受講生の  

 

放送大学教養学部・人間の探究コース「平安朝文学の世界」講義案内

2001年 東京第二学習センター   2001.01.31 Up Dade

講義日程.前期@02.03『源氏物語』の世界A 02.04 文化史の中の『源氏物語』B 02.04 絵画史の中の『源氏物語』C 02.10 紫式部と『源氏物語』D 02.10 『源氏物語』と女性達/

講義概要 日本文学の珠玉の結晶、『源氏物語』を中心に我が国の文学の特質について考える。内容は@『源氏物語』の世界A 文化史の中の『源氏物語』B 絵画史の中の『源氏物語』C 『源氏物語』と女性達D 紫式部と『源氏物語』を予定している。物語の概要、中世の冷泉家を中心として物語の享受、絵巻を読む、作中人物論、作家論を諸資料、視聴覚教材を用いて考えてゆくこととなろう。単位は出席とレポートを課し、総合的に評価する。

面接授業「平安朝文学の世界」レポート集    2001.02.26 Up Dade

映像・舞台における光源氏役者の変遷 

手塚ゆかり  941年度入学 (東京第2学習センター所属)

 瀬戸内寂聴の新訳が近年出版されて以来、今回の授業でも使われたように、あらゆるメディアにおいて瀬戸内寂聴自身の講演をはじめ、源氏物語の見なおしが広まった。そんな折、昨年度の演劇界、ことに歌舞伎界での大きな話題の一つは、5月の東京歌舞伎座、団菊祭で市川新之助が初訳で光源氏を演じたことだった。言うまでも無く、新之助は次代の歌舞伎界を背負うに違いない、1世紀に一人の逸材と言われ、祖父の11代目市川団十郎を現代的にかつ、骨太にした容貌は、はやり40年前、光源氏役で歌舞伎界の話題となった11代目に続く当たり役として、誰もが期待していたその舞台…あれだけの世間の注目の中、その大きな期待を遥かに上まるといってもいい、新之助の真に輝く光源氏の姿に、生きていて良かった、と思った観客がどれだけいたことか。はっきり言って、瀬戸内氏の新作版そのものの出来は忘れてもいい程のものだったし、共演の藤壺役、坂東玉三郎は自身の美貌の衰えを如実に表したに過ぎなかった中、それらの失敗を補って余りある源氏であった。

 現代の新之助は瀬戸内訳に基づく新しい源氏の姿、そして祖父11代目は舟橋聖一訳に基づく源氏、と、歌舞伎界だけで見ても、「光源氏」そのものが、時代、時代を映し出している。当然ながら、絶世の美男子だと誰もが認める役者、その役者自身から後光が指すほどの役者でなければ、「光源氏」の役柄そのものに負けてしまう。では、他の映像では一体誰が源氏を演じて来たであろうか?

 映画界では、日本の映画史上で最大の美男役者と言えるであろう長谷川一夫。私はテレビの衛星放送で何度か長谷川の「光源氏」に対面しているが、長谷川の源氏も、ああ、これこそが紫式部が描きたかったであろう、絶世の美男子、貴公子、と納得の出来る美しさであった。長谷川自身のやや鼻持ちならない個性と合間って、白黒映画ながら、それはそれは美しい平安朝の美を映画の中で再生していた。

 そしてテレビの源氏、そして私が同時代として子供の頃に見たのが、ジュリーこと沢田研二の「光源氏」。多分、もう25年位前になるであろうが、あの頃のジュリーは美しかった、輝いていた。声も、顔も、しぐさのひとつひとつも、同じグループサウンズから出たショーケンと比べても、歌手としてもスター性には大いなる違いが如実に見て取れたし、当時の美男子といえば、この人しかいない、というコンセンサスには誰も異口同音であっただろう。沢田もまた、やや鼻持ちならない個性を持っていた。

 これは現代の新之助にも共通するものだ。そう考えて見ると、時代、時代のやや鼻持ちならない、光か輝く美男役者、芝居の腕は二の次で、どんなに努力しても得ることの出来ない華のある、他にとってかえることが不可能な、そういった個性を持っていることが第一の条件、それが「光源氏」役者だ、と言えないだろうか?では次の「光源氏」役者は、といっても、私にとってはまだまだ新之助の時代がしばらく続くであろう確信がある。(以上1200字完了)

源氏物語について   (匿名) 941年度入学 (東京第2学習センター所属) 

 

 源氏に出会ったのは、多くの人がそうであるように中学時代の古文でした。先生が源氏物語のファンで、熱心に教えてくださったのを覚えています。

 その後、円地さんの訳本が出版されて、ハードカバーの時代に全巻購入し何度となく読み直していますが・・・どうしても、宇治十条だけは読めないでいます。ということで、たんにミーハー光源氏ファンだと自覚しています。紫式部の理想の男性像だとも思っています。平安末期の爛熟した時代に、古き良き時代の理想的な世界を物語上に再現したのでしょう。

 10数年前に、瀬戸内寂聴さんの源氏物語についての講演を、聞きに行く機会がありました。講演そのものは、源氏物語の入門編のような筋を追っただけのつまらないものでした。もっと深いところで瀬戸内さんの解釈なり、考えが聞けると思ってもいたので。今回のビデオでも言われていたように、瀬戸口さんご本人は光源氏が嫌いで、六条御息所に惹かれるとおっしゃっていたと記憶しています。読む年代毎に共感をおぼえる女君が違うとも言われていたと思います。年代を経てもいまだ未熟な私には紫の上より惹かれる女君はいないのですが。

 時代の寵児になってしまった光源氏でしたが、それなりに苦労もさせ、人間的にも成長して歳を経ていったにもかかわらず、晩年で致命的な過ちを犯し、死ぬまで悔いを残すことになるって言うのは、紫式部もただ単に甘やかし放題って言うわけでもないのでしょうか。紫式部本人の結婚生活もあんまり恵まれていなかったから、こんなに理想的な人物を創造しても、ハッピーエンドで終わらせなかったのでしょうか。最後に紫の上と死ぬまで幸せな生活を送りました・・・というのではこんなに現代まで残り、後世まで研究されることがないのでしょうが。

 放送大学で勉強しようと思ったきっかけは、「光源氏の世界」という講義があったからでした。単位認定試験は記述式で光源氏の女性観(記憶があいまいなのですが)を書け、との質問で、光源氏は終生母親の面影を求め(=藤壺)、理想の妻として探し、振り回されていたというようなことを書いたと思います。島内先生の面接授業もとらせていただきました。昨年11月の国文学入門で久しぶりに「源氏物語」に触れ、今回の授業でも続けて受講させていただきました。毎回感じるのは源氏に携わっておられる先生がたは源氏に対する思い入れの深さ、多くのことを生徒である私たちに時間を惜しんで教えてくださっているということです。5回の授業では「源氏物語」に触れる程度しかできないと思います。段階を追った源氏2・3の授業があったらと思います。  

源氏物語に思う  妻川 亜紀夫  001年度入学(東京第2学習センター所属) 

 天皇制、一夫一妻多妾制、宗教の実用面の強調等がほぼ二千年も変わらないことは、日本人の生き方を特徴づけている。源氏物語は、この生き方の型を描ききっている。日本人にとって、敗戦による社会的ルールの変化はあったが、生き方の基本は変わっていない。

 源氏物語において、例えば、今で言う不倫で女性側が「悩み苦しむこと」が、この用語のところで止まっていてこれ以上に具体的に形而上的に書かれていないのは、まさに現実に即していると言える。そこには、こうあるべきだという教条的なものは見られない。これが実際の生きざまであり、源氏物語の文学的価値の一つであろう。当時の歴史的社会的政治的な枠内にあって、その与えられたものを十二分に駆使して世の中を渡り歩いて行く人間の生きざまが、手に取るように描かれている。

 この根底には、おそらく、「宗教者を含めて人間を上回る絶対的教義(経典に記されている)を、そのまま認めないことが挙げられよう。つまり、ある場面における状況が「宗教者を含めて人間を上回る絶対的教義」に優先して、とりかわるのである。「宗教者を含めて人間を上回る絶対的教義」を、ある場面における状況に従ってどのようにも解釈するのである。これは日本の現代も同じである。源氏物語においては、色々の事件をこのような解釈によって変化させているようだ。同じような事柄を、ある場面における状況に従って、色々に解釈し展開している。読者層を巧みに広げている。当時の読者層は僅かな上層者に限られている。それでも、各人で深く興味を持つ事柄は異なっているから、この解釈し展開させることで広い支持を得たのであろう。例えば、高級感を出すための唐様のものの記述から、駅売り週刊誌の大見出しのような、車争いの下男達のやりとりの記述まで、工夫が重ねられている。

 次に、源氏物語の作成経過について述べます。万葉集から源氏物語に至るまでの二系列の物語(作り物と歌物語)が知られていますが、源氏物語の量質における違いから、次のような想像をしています。あのように発展した短歌の作者達は既に彫刻家集団のような、ある意味での共同体であったと思う。今日の売れっ子作家が下調べの人達を雇い、大筋をいくつか出させたり、また逆に、大筋を発展させたりして、最終的に自身の作品とするようなことは、当時の体制では非常に容易であったろう。紫式部の配下にも、おそらく、出世を夢見る教養ある女性が多数集まり、分業をしたのではないかと想像する。短歌の本歌取りを応用すれば、小説はどんどん膨らんで行くから、纏め役としての紫式部の力量次第で作品が大型になったのではないか。どんな天才といえども、全く新しい構想を作り出すことは困難で、必ずその種となるものをこの地上から学んで発展させている。とすれば、おのれの筋立てに従い、配下やその他の知人からの情報を駆使して物語りを纏め上げたと考えてもいいだろう。当時の情報媒体は、紫式部をはじめとしての宮中の女性達で、彼女たちは一流のジャーナリストであったはずである。しかし、紙に書かれた情報は膨大であるから、いったいどこに、どうやって、誰に保存させたのだろうか。収集した情報が、作品の少なく見積もって十倍であったとしても、書類の整理にはかなり大きな場所が必要となろう。そして、司書や校正、修理係、倉庫管理者、などなど、大変な人材が必要だったと思うのですが。

 というわけで、源氏物語の成立過程等について、配布資料に加えてお話をして頂ければと存じます。

参考文献 放送大学での配布資料

 源氏物語 秋山 虔 昇龍堂

グラフィック版 源氏物語 日本の古典 世界文化社。

平安朝文学の世界"を受講して  (匿名)991年度入学(東京第2学習センター所属) 

 

  30年ぶりに大学の講義を受けました。今回、初めて面接授業に参加させていただき、放送大学の学生の真剣さに目の醒める思いです。そして久しぶりのレポートなど、どう書いてよいのか…。先生のホーム・ページの中で、参考になればと思い、学生さんのレポートを読ませていただきましたが、よけいに自信をなくすばかりです。まだ、源氏物語について、何かを書くなどという蓄えがほとんどないので、私の知っている源氏物語関係のことや、授業の感想などを書いてみたいと思います。

 博物館や美術館で目にする絵巻や書跡について、もっと深く知りたいと思い受講しました。「鈴虫」「御法」の場面、人物、衣装、草木など自然の表現の意味をきちんと理解した上で、もう一度鑑賞したならば、また新たな良さも見つけられるかもしれません。また、東京国立博物館に「若紫」が有ることも、初めて知りました。展示される日を待ちどうしく思います。この「若紫」は、どんな道をたどって来たのでしょうか。 先日、訪れた京都国立博物館に、江戸時代に作られた高台寺蒔絵の「菊蒔絵源氏箪笥」があり、写本も当時と同じように納められていました。蒔絵の美しさだけでなく、写本も、もう少し丁寧に詳しく見ておくべきだったと反省しています。

 上村松園の「焔」も、たいへん印象に残っている作品です。松園の絵のいつもの美しさとは少し違った、なんとなく納得のいかない絵だったのですが、今回の授業で六条御息所の立場や心情をすこし理解できたように思います。源氏物語の中では悪役のイメージがあったのですが、見方を変えてみると、なかなかおもしろそうな人物です。もっと勉強していけば、松園がなぜ彼女をこのように描いたか、答えが出るかもしれません。流されるままのほかの女性たちの中で、本人の意識とは別のところではあるけれども、心のうちを表現していて面白いと思いました。ほかの女性たちも、もののけになってでも、訴えたいことがあったのではと思うのです。もちろん紫式部にも。

5時限の授業の中で、初めて知る事柄、また昔の記憶を確認する事柄と、多くを得ることができました。しかし、知らないことの方が、圧倒的に多いのです。勉強したいことは山のようにあり、時間には限りがあります。悔しいですね。

 また、思いがけず、琴の音を実際に聞くことができたのことも貴重な体験でした。法隆寺宝物館で見た、弦もなく黒ずんで模様もはっきりとは判らない「七弦琴」が、このような音色だったとは。本当に幸運でした。ありがとうございました。  

「源氏物語」レポート   北川 真知子 981年度入学 (東京第2学習センター所属)

   

 私にとって平安朝文学とは、ずっと枕草子のことでした。それは、高校生の時にNHKの「まんがで読む枕草子」を見て、古文って面白いんだと思い、橋本治の「桃尻語訳・枕草子」を読んでからです。しかしその影響で道長って嫌な人、ついでに中宮彰子も紫式部も源氏物語も!という思いを持ってしまいました。先生もおっしゃったように、一夫一妻多妾制ということは、帝といえども正式なお妃は一人だけで、それが中宮定子だったのにそのお兄さんを逮捕して流罪にしちゃったり、自分の娘を入内させる為に中宮と皇后は違うなんて言って定子を中宮の位置から追い出してしまったり・・。しかも一条天皇と中宮定子はとっても愛し合っていたそうじゃないですか。 時の権力という大きな運命の流れにはいくら帝であっても抗しきれなかったのでしょうか。

 というわけで、「源氏物語」は受験勉強の時だけで終わりと思っていましたが、なぜか「あさきゆめみし」も瀬戸内寂聴の「源氏物語の女性たち」も読み、放送大学の面接授業まで受け、原文にも挑戦したいなあなんて野望まで抱くようになってしまいました。千年間も読み継がれてきた魔物のような魅力に、はまりつつあるようです。

 源氏物語の主人公といえばもちろん光源氏で、容貌も才能もこの世のものとは思えないほどの魅力で描かれていますが、やはりそれよりも心惹かれるのは、そんな光源氏が愛した女性たちです。

 紫式部の名前の由来となった紫の上がやはり一番のヒロインということになるのでしようか。私も紫の上の可憐でしっとりとした美しさが大好きです。ところが紫式部はこの紫の上には苦難の道ばかりを歩ませているような気がします。生涯どの女性よりも光源氏に愛されているにもかかわらず、正式な結婚ではないし、女三の宮の降嫁もさせるし、出家を望んでも叶えられないし。それに何より子供を産ませていません。人生には人の力ではどうしようもないことがたくさんありますが正にどうにもできない現実を見せつけられているような気がしてきます。

 性格的に現代の女性を見ているような感じなのは朧月夜の君です。東宮妃よりも、好きになった光源氏を選ぶなんてこの時代の人とは思えません。(菅原孝標の女もそのようなことを言っていたということは、物語の世界はもちろん、現実世界でも光源氏は大人気だったのですね。)女性が自分の意見なんて持つことのできないこの時代に、朧月夜の君のような人がいたかもしれないなんて思うと、なんだかわくわくしてしまいます。

 「源氏物語」の登場人物は個性がはっきりと書き分けられていて、みんな人間らしく一生懸命生きているような気がして、そんなに嫌いな人はいないのですが、やっぱり怖いのは六条の御息所でしょう。物の怪になってしまうほど光源氏を愛しているのはわかりますが、それならなぜ源氏にとり憑かない?と私などは思うのですが・・。

これも女性の性なのでしょうか。どこか現代にも通じるところがあるようです。どう考えても浮気した男の方が悪いのに、それを誘惑した女が悪いなんて逆恨みしたり・・。しかも御息所は死後も源氏の愛人たちにとり憑いたりしていますから、それはもうすごいとしか言いようがありませんが、こういう形でしか自分の心を表すことができないというのはやっぱり不幸で、こんな性格の人って今もいるよなあ、紫式部ってすごいよなあと思わずにいれません。

 現実の宮廷社会はもっとなまなましく、どろどろしていたのかもしれません。藤原家の兄弟喧嘩のような政治と個人の恋愛とがいろいろに絡み合って、そして時間はゆっくり確実に過ぎて、最高権力者の道長でさえもそんな時の流れに呑み込まれて行ったのだと思います。流されたままの方が楽な場合もたくさんありますし、女性が自我すら考えてはいけない時代でも、個々の女性はしっかりそれを持っていて表現する方法を求めていたのではないでしょうか。そんな共感があったからこそ、千年間も読み継がれ、そしてまた新たな読者を獲得し、これからも残っていくのだと思います。

 まずは私がその新たな読者になりたいと思います。今回の授業をきっかけとしてもっともっと「源氏物語」にはまっていきたいと思います。

「5回の講義を終えて」  神谷 千枝 991年度入学(東京第2学習センター所属)

 

 源氏物語を手にしたのはかれこれ15年振りぐらいになります。私の学生時代の古文への感覚は、教わった教師との相性が悪かったせいか、それとも単なる「勉強」に対する拒否反応か、はたまた潔癖な年代で源氏物語の世界を理解するには未熟だったのか、なぜ難解な文章を辞書を引き引き、苦労してまで読まなくてはいけないんだろうというぐらいのものでしかありませんでした。しかし自分の心の奥にずっと読んでみたいという気持ちが眠っていたのでしょう、面接授業を申し込んだ時は気軽な気持ちでしたが、源氏物語風に?言えば、何かのご縁か、今回の先生の講義を受講することとなり、その読んでみたいという気持ちが一気に日の目を見ることとなりました。

 ほとんど予備知識なしに臨んだ講義でしたが、学生時代の食わず嫌いからは抜け出すことができたようです。

 紫式部自身は才媛であったことは間違いなかったようですが、物語の中に出てくるような男女の機微など、経験しているようにはとても思われませんでしたが、それを想像にしろ、書けるということは、そういった自分の周りの人々の噂話や、様子から鋭く観察し、人物描写をしたということでしょうか、そうだとしたら、周りの人にとってみれば、かなり鼻持ちならない人物だったかも知れません。

しかし、現在のようにワープロ、パソコンはもとより、筆記用具を用意するのももままならなかったと思われるような時代に、語り継ぎ、書き継いだということは本当に感嘆に値します。

 藤原定家がいろいろな物語を書き写したということを聞き、初めは、現代の感覚で、書き写すなんて、どうしてそんなことに時間を浪費したのかと思いましたが、そんな時代ですから優れた文学を後世に残すためにはそうやって書き写すしかなかったということに思い当たり、私たちが現在このような千年も前の物語を読むことが出来るのもそういった過去の人々の大変な手間のおかげであると、ただただ感心し感謝するばかりであります。

 まだ全編を通して読破したわけではないのですが、源氏物語に描かれている光源氏好みの女性というのは、頼りなく、なよなよとしていて、しかし自分の気持ちを和歌にするような教養を持ち、源氏がもしあまり来てくれなくても恨みごとを言ったりしないようなそんな芯の強い女性だったような印象を受けます。それは、私が思うに男性にとって非常に都合の良い女性のような気がします。男性中心の社会という時代背景を考えますと、当然なのでしょうか。しかし女性の時代と言われるようになって久しい現在でも、このような女性に対する価値基準は存在するように思われます。

 現在は女性も仕事を持ち、男性に頼らないような生き方も選択できる時代です。男性を待つだけのような源氏物語の中の女性は皆無と言っても良いかもしれません。恋愛以外にも日々の雑事など、しなくてはいけないことがたくせんありますから。逆に源氏物語の時代の身分のそれなりに高い人たちは、あくせく働くこともなく、実は退屈な毎日だったのではないでしょうか。そこで「恋愛」が最大の娯楽だったのではないかという考えに及びます。しかし、現代とも通じるところもいくらでも見つけられます。例えば、女性の場合ならば、少しでも身分の高い、教養ある男性の寵愛を受け、身分の高い子供を産むことに人生の目的があったように見うけられますが、現在もそういうような玉の輿願望の女性はたくさんいると思われます。また、物語中の細かい心理描写などに共感できる部分も多いことも新鮮な驚きでもあります。

 どんなに文明が進んでも、男女の関係における人間の感情は、千年前も21世紀を迎えた今も、変らない、というのが今回の講義を受けた私の感想です。きっとこれから千年先の31世紀になっても、源氏物語を読んで同じような感想を持つ人がたくさん存在していることと思います。人類が滅びぬ限り。

「源氏物語」レポート  広田 千鶴子 961年度入学(東京第2学習センター所属)

 

 平安朝という時代が日本文化においていかに大事な時代であったか,いかに重要な役割を果たしていたかがよくわかりました。十二単などの華やかな服装、行列仕立ての桜見物・紅葉狩などきらびやかな公家文化だけだと思っていましたが、そこには表裏一体となって大切なことが数多く隠されていることに気が付きました。

 中国からもたらされた文字が漢文形式そのままで写経や政治文書に使われ、限られた社会でのみ普及していました。男性社会で使われていた中から考案された日本独自の「ひらがな」「カタカナ」の出現により日本文学が大きく大きく変わったのです。

その中でも変革の中心的役割を担ったのが紫式部による「源氏物語」でした。

 口語訳の源氏物語をよんだときも、これが事実なら男性中心のなんて身勝手な世界だろうと思いました。女性は生まれた時から外の世界を知るチャンスも、垣間見るチャンスも与えられずに育てられるなんて信じられません。まして、同じ屋敷のなかでさえ居住空間が決められているなどとは思いもしませんでした。狭い空間で深窓と称して閉じ込め、太陽にあたることもなく不健康きまわりない生活のために寿命が短かったとは女性軽視も甚だしい限りです。

 しかし、そんなことがあったにしても公家社会の女性たちは政治という表舞台の煩わしさと関係なく、男性の庇護の下ではあったけれど、なにひとつ不自由なく短い生涯を暮らすことが出来たのだと思いました。その中には和歌があり、そのために使う時間と教授してくれる師はたくさんいたはずと思い込みました。それも違ったようです。女官として内裏に上がりながら勉強していたのが事実のようです。

 紫式部は叡智に富む女性だったと思います。そのような状況のなかで和歌をよみ、物語を書き、認められて広く世間に知られるようになるには並はずれた努力と才能、洞察力が必要だったはずです。講義中に「紫式部はけして他人から好かれる性格ではなかった。むしろ、ねたまれたり嫌がられていたのではないか。」というお話がありましたが、世に認められる物語を書いていくうえにはそれも仕方のないことではなかったかと思います。現在における人付き合いもよくなかったであろうし、身に付けた見識から人一倍自己主張もしたであろうし、努力の結果認められたことがねたみの原因にもなったのではないでしょうか。平安の世も現在と全くかわらないのです。

「出るくいは打たれる」のです。そしてまた、それが紫式部自身の性格さえも少しずつ歪ませていったのではないでしょうか。

 庇護し、応援してくれるはずの主・藤原宣孝山城守も死去した後であればなおさらのことではないでしょうか。政治的後ろだてもないのですから、男社会からも女社会からも格好の中傷の的になっていたのではないでしょうか。

 講義中に見せていただいた阿仏尼や俊成・定家の源氏物語の写しには感動しました。私が感動してもしょうがないとは思うのですが、書かずにはいられませんでした。

 第一に、千年ものあいだ残っていて現存することに驚きました。信じられない限りです。

 第二に、ほんとに芸術作品のように美しいのです。きれいなのです。いまも、2000年になった今でも読める文字なのですからすばらしいではないですか。

 「うつす」という行為はなんてことない事と決め付けていましたが、それはとても大変なことであり、素晴らしいことだと思いました。コピーを取るのとはちがい一文字一文字、一言一句間違うことなく長い物語を書き写し、書き違えても修正出来ないのです。想像を絶する忍耐と努力の賜物です。千年後の私達も同じ文字を使っているなんて平安の人々は思ったでしょうか、かんがえてもいなかったはずです。使い方や表現する内容はちがっても同じ文字を使えることが感動でした。千年たったとき、日本人が同じ文字を使い表現していたら、もっともっとすばらしいと思います。

   受講生の