初出、「古代文学研究 第二次/第十号特別号」(古代文学研究会、二〇〇一年十月十九日刊行)。

藤井貞和著『平安物語叙述論』のために

なるほど、同時代に享受されるために、その多くのものは書かれた。

口さがない批評も好意もあっての批評だ。

多くの作品は、満足しつつ、時代の推移とともに波間に消え去った。

だかしかし、いくらかの作品は古典として生き延びる。

時代を超えて生きるほうをえらんだ。

『源氏物語』には、そのような時代のなかの孤立感が、

そこにはにじみでているではないか。

本書 第二編 第十一章「古代/中世読者論」

T 記憶の彼方から

 思えば隔世の感がある。私が始めて物語研究会に参加しのは、今から十三年前、昭和六十三(一九八八)年の四月例会、ところは國學院の、今は書道教室と思しき常磐松校舎の二階が会場であった。発表は、まだ早稲田を出たばかりの井野葉子さんの「宇治十帖における竹取引用」と三谷邦明さんの「日本の祭祀や文学は堪えがたいほどの騒音から目覚める」から始まる、物語言説始原論らしき発表(「犯しの言説――物語言語あるいは錯乱へのささやかな招待状」年間テーマ「犯」)の二本立てであった。三谷さんは席から立ち上って教壇を歩き回り、煙草を燻らせながら、嵐のように語っていた。時には『古事記』の訓みに難渋して「國學院でこんな風に読んだら怒られちゃうな」などと冗談を言ったことすら思い出す事が出来る。私ですら二十代半ばの痩躯の貧乏学生だったのだから、どの会員も当然の如くみな若若しかった。今では、私も、あの時やたらとポジティブに三谷さんに立ち向かう司会者だった小嶋菜温子さんの、その時の年齢すら、とうの昔に追い越してしまったわけだから。

 それにしても、三谷さんの発表は難解で、後日『物語文学の言説』(有精堂、一九九二年、)に収められたその論文「第一部 三章「物語文学の<語り>――<モノ>と混沌あるいは拡散する<語り>(と改題)」を、今また、読み返して見て、ようやく方法的輪郭が見えてくると言った体である。しかし、私が思い起こすのは、その場にいて、質問の指名にあった(今は慣例としてしなくなったが)、藤井さんの、「今日の三谷さんは何が言いたいのか、さっぱり分からなくて混乱しています」とちょっと早口に言ったことだった。なんだか安心して「この発表は、藤井さんにも分からない発表なんだ」と自分に言い聞かせながら家路についた。あれから十三年の歳月が流れたのである。

  少年の春は惜しめども留まらぬものなりければ、

  花を踏んでは同じく惜しむ少年の春。               白楽天

U 『平安物語叙述論』の序論

 さて、本書、『平安物語叙述論』は、『物語文学成立史』(東京大学出版会、一九八七年)『源氏物語論』(岩波書店、二〇〇〇年)と並び立つ三部作であり、氏によれば物語学の「ゴール」にあたる書物であると言う。

 内容は、『物語文学成立史』が「フルコト」の始原から『竹取物語』までを論じた書であったことを思えば、その続編と言うべきものである。三部構成を採り、第一編 創意と創り―“作り物語”  第二編 叙述動態の形成 付論 からなる。言わば、氏が『源氏物語の始原と現在』(三一書房、一九七二年初版)以来、取り組んできた、物語内容、物語言説に関係する三十有余年の所論を再構成し、加除訂正を重ねた、《論文+集》ではない、平安――物語/叙述にまつわる、可能な限り主題に向かって統一され、一本に束ねられた《論文群》である。

 言うまでもなく、第一編は、「第一章 モノガタリとは何か」「第二章 創意と作り@」「第三章 物語の作りA」「第四章 創意と作りB」とある通り、前著『物語文学成立史』を受ける第一章を据えて、『竹取物語』『うつほ物語』『落窪物語』『源氏物語』短編物語諸論、『更級日記』の物語史的な視座から書かれた論考を、各テクストの成立順に配列する、物語内容に関する《論文群》と言う事になる。

 特筆すべきは、いささか物語史的視座からははずれるような気もするけれども、何より『竹取物語』の表現における新井本に焦点を当て、流布本本文と読み比べつつ、これを「古態な文体らしさをこちらに感じる」と、極めて穏当な本文批判をしたことである。これは、中田剛直氏没(一九八〇年)後、私の一連の研究(《「絶望の言説――『竹取翁物語』の物語る世界と物語世界」「解釈と鑑賞」一九九九年一月》が現時点の到達点と考えている)の他はまったく言及すらなされてこなかった、研究史のブラックホールを再突破するきっかけとなるような気配がある。この作業は、一見、中途半端な新井本と流布本九ヶ所の本文例示に留まっているるものの、この言及が埋もれたテクスト=新井本再評価に繋がるものと私は信じたい。なぜならそれは、このテキストへの執着を捨てきれない私の孤立無援な営みへのエールとなるものともなっているからである。

 また、こうした藤井さんの《本文》への拘泥は、国語学・言語学系の研究史においても画期となる業績に違いない。なぜなら、国語学・言語学系の、特に古典作品に関する研究が、叢書系の校訂本文に加えて校本の異文を参看するだけの、極めて信頼度の落ちる物ばかりだからである。しかも近年の文献学的な成果(=不動の真実)を取り込んだ論考にはめったに遭遇できない状況は、やはり遺憾としなければならない。特に最近、平安朝古典文学作品校本のデジタル化が加速化され、精密度はより厳密になりつつある。しかしながら、国語学・言語学系の研究論文に目を向けると、相変わらず、『源氏物語』では小学館全集本による考察ばかりが目につく。『枕草子』は旧大系本などということも少なくない。ましてや、『うつほ物語』を大系本でデータ処理した論文に、嗟嘆を禁じないのは私だけではあるまい。

 いずれにせよ、これでは、“解釈の近代主義”を踏襲しているだけで実態の古代語そのものはそこにはないではないか。やはりごく最近の大発見として、木簡資料から、一字一音の「万葉仮名」の成立を八世紀前半まで大きく遡らせたのも、言語学者ではない、国文学者の西城勉氏であった。しかしながら、今後、本書によって、国語学・言語学系の論考にも《本文》にデリケートな配慮を払った、信頼し得る研究が陸続と提出されることになるのではないかというのが、私の密かな期待である。

V 「第一編 創意と創り―“作り物語”」のつくり

 さて、ものけんに参戦し始めたあの頃の私にとって、最も読解に難渋した研究書が、あの『物語文学成立史』であった。本書はその続編とも言うべきもので、「第一章 モノガタリとは何か」に始まり、「創意と創り」@〜Bと括られる『竹取物語』論以下の物語論は、まさしく、成立順に並べられた、物語内容と物語史に関する論考の集成である。とりわけ、藤井さんの『竹取物語』や『うつほ物語』論、また、「物語の神話構造」や「『更級日記』の物語学的接近」などは、すでに私の記憶においては“古典”とも言うべき論文であり、これらが並んでいるだけで、壮観の一語に尽きる。しかも、かつての旧著に収められた論考までをも補綴して収録されていることは有り難い。配列の妙もあって、藤井さんの「作り物語」観が看取られるからである。『更級日記』の作者を物語作家として、しかもその憑依体験を強調するところに、藤井さんの、藤井物語学たる、始原と現在が混在してあることも不変であると理解されるのである。

 しかし、残念な事もある。それは、補綴における新出論文の採り込みの規準が分からないという事である。挙げればきりがない。あの論文が入っていてどうしてこれがないのだ、と言う戸惑いは、私の偏向した研究史観の中で、なんとか標準の研究史に立ち戻って行論を据え直してはみたものの、やはり混乱を禁じえないことがしばしばあった。しかし、著者もこの点、承知していることであったようだ。本書の「書後のおぼえ」に「六千枚をこのように書きつぶすことによって、日本物語の根底にひそむ動態は、かなり明るみに据えられてきたかと信じたい。すべて、先行研究の指導によることなのに、参考文献の注記を徹底できなかったことが遺憾であり、今後に諸説一覧というしごとをのこしたい。八一九頁」と記していることで諒としようではないか。本書じたい、「叙述」の組成の解明に腐心するための業績であり、物語内容論と物語史論の再編成は今後の展開を待つしかなさそうである。

  

W 「第二編 叙述動態の形成」と組成

 さて、本書はどうも「叙述論」にかなりの力点が置かれているように思われる。例えば、「物語言説」「テクスト」を置換する藤井学の基本タームである、「言語態」は二例使われていて、「……主体の表現として『う』なら『う』は意味を主張できる語彙の一つとしてある。コンテクストに比して言えば、テクスト(言語態と称してよいか)的意味を担う実体だ、ということになる。」《三五七頁「第五章 叙述の時間 第三節 物語文に見る時間の経過で使用》と、「『源氏物語』をはじめとして、叙事文学のある場合に、過去のことであろうと、非過去の文体で叙述し、現在制の強い言語態(−言語の生存状態)に行文をゆだねて、生じる臨場感によって読者を作中に引きずり込むという傾向が強い」《四三九頁「第六章 物語過去と現在――叙述の時間(その二) 第三節 「た」の性格」》と( )付きの重要語として差異をも包含する記号として書き記されている。すなわち、語るように書かれつつある、物語本文=物語言説のアプリオリな実態に、氏自らが独自の形而上的な意味を付与しようとする試みとしてある、ということなのであろう。それにしても難解な行文ではあるが、後者の行文で、「言語態」は、テンス的意味や、ボイス的意味までを生成させる、ある実体的な書記言語としてあることは了解される。そうした意味で、「言語態」のみならず、これらの《論文群》は、章毎に独立する論文集成ということではなく、論述のすべてが有機的に連関しつつ平安物語の「叙述動態の形成」を解明せんとする目的の基に展開されているのだということが分かるはずである。しかもこれらのベクトルは第一編の《論文群》のように時間的懸隔もすくなく、第二編の《論文群》の緊張度、衝撃度は、極めてスリリングである。文体は時に晦渋ではあるものの、含蓄と含羞に富み、時に饒舌で、憑依したかのようにダイナミックな時もしばしばある。

 とりわけ、『物語文学成立史』において、「ki/ ari」説を徹底した、あの周到さと執拗さは本書でも健在である。『物語文学成立史』が、読者である私には、いくばくかの曖昧さを残しつつ、「けり=来たりつつあった」と訳せばよいのだ、と前著を要約したい欲望すら喚起させたのに対し、本書は、その記憶自体を、「(ア)単位としてあり(イ)活用としての接続の法則性があり(ウ)それ自体に直接の意味を有する(助動詞制がある)とまとめられる」「三五七頁 第五章 叙述の時間 第五節 「『けり』の事例」」とその基本的な前提からもう一度克服することを試みるところから、その営為は再始動すると言う周到さである。

 この恐るべき労作を、以下のように簡単に要約するのは、申し訳ないけれども、「き」「けり」論の発展的展開は、「つ」「ぬ」「り」の分析や、近代語「た」の分析によって、「日本語は時制表現が着脱可能で自由な言語であると称したい」「四五〇頁 第六章 物語過去と現在 叙述の時間二 第四節 時制の考え方」と記す通り、どうも、欧米語やその分析方法を適用させても、明析な回答を提示することは不可能で、むしろ、そうした欧米語の時制の分析概念そのものが、「古代日本語」にはそのまま適用出来ないことを匂わせている。本書は文法書でも文法辞典でもないわけだが、それにしてもこのあたりの展開は、慎重なあまりかなり晦渋である。つまり、本論の展開に添って、「き」「けり」の意味内容を厳密に意味規定しつづけながら累積させ続ける。そこから、動態としての、古代語における「き」「けり」の実態的なありようを、出来得る限り語るように書きつくすこと。これが本書の生命線なのであろうと思われる。

 さて、本書のもうひとつの白眉は、「草子地」における、四人称語りの“発見”である。

つまり、「草子地とは本来、ゼロ人称である担い手が第一人称になって自己言及する場所ではないか、という見当をつけられる」「五一〇頁 第九章 物語人称と語り 第二節 語り手と書くこと――草子地の視野」とか「少納言の乳母とこそいふめるはこの子の後見なるべし。/とあるのは、光源氏の叙述に光源氏の視線がかさなって人称が累加する。前節触れた考えを導入してよければ、こういう人称の累加は“第四人称”叙述ということになるのではあるまいか。」「五五八頁 第九章 物語人称と語り 第三節 心内表現と人称(続)」などの叙述でも理解は可能であろう。おなじみ、三谷言説分析では「自由直接言説」もしくは「同化的言説」と規定された、言語態=テクストの氏なりの意味規定である。

 例えば、三谷言説分析が、“言説単位の品詞分解=上原注”に陥る危険性を否定できないのに対し、時枝主義者を標榜する、藤井さんなりのアンチテーゼでもあると言えよう。もちろん、三谷さんの規定した《視者》説は引用しているので(六四五頁)、まったく三谷言説分析を通過していないわけではないことがわかる。と言うより、三谷言説論との直接対決を微妙に避けつつ、「人称」の定義によって、さらに明確な《言語態》の、その実態を語るように書くことを試みたのが本書であると言えるであろう。

 ところで、藤井さんのもうひとつの「語り論」の中核とも言える、「第十章 語りの行為生成」や「第十二章 行為としての演唱者的世界――古代と中世」のように、「平安」の古代を繋ぐ記号(=書記言語)の存在しない、口承や演唱の世界の物語と、書かれた語りとを比較検討しつつ分析するこの二章は、もちろん、充分にその連関性に配慮されて書かれているはいるものの、やはり、これは『平家物語』の語りや演唱の実態解明には有効であっても、物語(=書記言語)を朗誦しながら享受されたり(『紫式部日記』)、あるいは、少女の黙読によって享受された(『更級日記』)、平安朝の物語にこの方法を適用しようとするのは、やはり、多大なる違和を抱かざるを得なかったことを申し添えておこう。しかし、これは、中世的世界と古代的世界を繋ぐ変換点、と同時に結節点でもあるわけで、常に注意を払い続けなければならないことは言うまでもないだろう。

X 銘酒「秩父原人」の現在と物語学の行方

 昨年度、私の放送大学の講義を二度履修してくださった、私の父より年配の学生さんから、自らの揮毫にかかる「秩父原人」なる日本酒を頂戴した。同じ頃、本書の著者・藤井貞和さんは、物語研究会の十一月例会(土方洋一さんの『源氏物語のテクスト生成論』の合評会があった)に参加され、石器捏造事件で日本考古学界を震撼させた藤村某を引き合いに、ものけんが三十年にわたって作り上げて来た学の“価値の信憑性”について言及されたのであった。さらに、二次会では私まで刺身のつまにして、「上原が『竹取物語』の原本を発見しました〜〜なんてことをしなければ、研究者として名は残らない」などの名言(=迷言)を残して帰って行かれたのである。

 研究史において残るものと消えて行くもの――。つまりは、本物の研究以外は淘汰されて消えて行くしかないのである。銘酒「秩父原人」にまつわる物語は、「作為の神話が消えて行く物語」そのものなのである。

 翻って、本誌『古代文学研究第二次』は十冊目の記念号だそうである。創刊号から、安藤徹、高木信さんら、当代きっての論客や、ベテラン曽根誠一さんの論文が並ぶが、なんと言っても忘れてはならない論考は、四号(一九九五年十月)の、吉海直人さん「消息を経紙に漉き直す話――シンポジュゥム遺文」である。何よりこの論考は、年齢層や方法の異なる論者、中世文学研究者等、広汎な研究者に引用率の高いことで知られるものである。それは何故か。答えは簡単である。吉海さんが永年の薀蓄を傾けた実証主義に貫かれた論考であるからだ。それに対して、方法論先行型の論文群は、やはり方法論派と目される研究者の論文に、やや限定的に引用される率が高いように思われる。自家発電の自家使用といった趣だ。しかし、本来、論文とは、自らが死しても利用価値の残るものでなくてはならない。でも、それはごく一部の論文に限られる。ところが本来は、誰しもそうした論文を書き残すことを願っているはずである。つまり、研究の先端に立ち、流行を作ることじたいは、才能さえあればそれは簡単に出来るものの、不易の研究を創ることは、極めて地道な作業の蓄積の上に形成されるため、目立ちもせず、また顧みられることの少ない、過酷な仕事であるということなのであろう。

 さて、本書『平安物語叙述論』は、例えば、「き」「けり」論が、鈴木泰氏の『古代日本語動詞のテンス・アスペクト――源氏物語の分析』(ひつじ書房、一九九二年初版)の成果に多大な影響を与えたように、言語学者らの注視を常に浴びている外在的状況に鑑みても、また、「第二編 叙述動態の形成」を中心に、「第一編 創意と創り―“作り物語”」「付編」の所論とが有機的・相互補完的に連関するという緊密な構想力と言う内在的状況においても、戦後の物語学の研究史に照らして、必ずや不朽の名著たり得る書物であると言えよう。

 なぜなら、本書は、ストィックな実証主義に貫かれた論考群でありながら、旧来の実証主義の弱点を克服し、語るように書かれ、かつ読者にも知的好奇心を喚起しつづける“新たなる叙事詩”たり得ているからである。

 明日は二十九回目を数える物語研究会大会である。十三年を経て、去って行った人々、新しくやってきた人々。シンポジュウムは新しくやってきた、三村友希さん、加えて古代文学研究会――物語研究会両会の大会を常にリードし続けてきたエース・宗雪修三さん、そして、「書かれた語り」「語られた語り」を究めた、物語学の藤井貞和さんの久方ぶりの報告が聴けることになっている。宴に私が携えて行くのが銘酒「秩父原人」であることは記すまでもない。

  

  年年歳歳花相似たり。歳歳年年人同じからず。 劉希夷

  

      東京大学出版会、二〇〇一年三月刊行、一万四千円