ちょっといい話と、ちょっと珍奇なCD(ソコロフとチェルカスキー)

デデでーす。 今日の新聞にちょっといい話が載ってたから、紹介するね。


録音できないもの

---岡田 敦子

今日、クラシック音楽はどんな場所で出会われているだろうか。それは、量的には、コンサートをはるかに凌いで、放送やCDのような録音であるに違いない。録音でしか音楽を知らない人が音楽学者の中にもいる、とアドルノを驚かせたのは1960年代始めのアメリカだが、昨今の日本は“演奏家の中にもいる”。いや、日本は小林秀雄の時代から、ほとんどレコードでクラシック音楽を聴いてきた国である。  だから、コンサートを拒否したグールドが他のどの国より好まれたわけだし、コンサートも、とりわけそれが大演奏家である場合、音楽を“楽しむ”というより、録音で知られた演奏を一目(耳?)実地に確かめる場ではなかったろうか。私自身、かつてベームやゼルキンに捧げた拍手は、むしろ宗教的というべき崇拝だったと思う。  ところが、こうしたコンサートも、ここ十年くらい、ずいぶん変わってきた。何より違うと思うのは、巨匠の公演なら日本中の音楽関係者が集まるようなことがなくなった代わりに、演奏家によって聴衆が異なってきたことだ。たとえば若い男性ピアニストなら、もっぱらステージ付近に女性客が押し寄せるが、四十歳前後の中堅ピアニストだと、音の良い席から埋まる。  つまり、今では聴衆のほうが演奏家を選んでいるわけで、昨年他界したピアニスト、チェルカスキーが典型だったように、人々はただ拝聴するのではなく、ある演奏家を支援し、それを“楽しみ”はじめている。一方、知名度の高い演奏家でも演奏が良くないと、次には聴衆が減るようなことが現実に起こる。  こうした聴衆との関係に、録音や録画ではけっして見えない“演奏”のもうひとつの顔が見える。コンピューターは紙や本を駆逐しなかったが、コンサートもまだまだ滅びない。(朝日、2月15日夕刊、東京)


フニャ、フニャ、フガー、ガオー

(猫が怒っています)

ガンバ:デデったら、いつも人の書いたもんばっか使って、自分じゃ書かないんだから。どっかの大学教授みたいだよ。

CoCo:そう、「デデの小部屋」とかいいながら、実際に支えてるのは僕らさ。来月からは「CoCoの小部屋」にしちゃうぞ。

G:それだったら「デブの小部屋」ね。←もうどこかで建設中だとか(デデ)

C:それはそうと先日の「チェルカスキーを偲ぶ会」。ビデオを見るってだけだったけど、ずいぶん集まったね。それにあのシュトックハウゼンの『ピアノ曲』ももう一度聴けたし。

G:うん。それにちょっと面白いCD買っちゃった。なんとあのソコロフとおじさんが一枚のCDに収まってんの。ソコロフはショパンの1番コンチェルト。おじさんはリストの1番。(DENON COCO-78571)廉価版で1800円よ。

C:こんなのが出ていたなんて知らなかったなあ。ソコロフのほうは1977年の録音。ヴィトルド・ロヴィツキの指揮でミュンヘン・フィル。ソコロフってチャイコフスキー・コンクールに優勝したのが確か68年で、その後すぐに日本に何回か来たよね。

G:あの頃はまだ十代だったけど、すごいテクニックと腕力でねじ伏せるっていう感じだったわね。でもその後全く音沙汰がなくなって、4〜5年前に突然上野の小ホールに現れた。

C:あんときのブラームスのソナタ凄かったね。若い頃と違って凄い粘り腰というのか、音を徹底的に磨き上げて、鳴らし切るっていうのかなあ。全く弛緩した瞬間がない、どんなに簡単なつなぎのフレーズでもなおざりにしないピアニストになってたね。

G:出だしのあの和音のすさまじさ、腹の底にズシンと来たわ。で、このショパンだけど、ちょうど行方不明になっていた頃のよね。よく聞くようなフランスっぽい情緒に流れた演奏とどっか違う感じがするのは、どんな弱音もしっかりキーを押しきっているし、速いパッセージも絶対に曖昧にしない弾き方だからね。

C:そう、かなり振幅の大きい、その意味では情緒的って言える演奏だけど、安っぽくならないのは、徹底して弾き切り、歌い切ってるからだろうね。ロマンティシズムっていうよりもスラブ的な情念の世界って言えるかもしれない。でも、二楽章のあの“ガラスのオクターブ”のところなんか泣かせるね。

G:ルービンシュタインだとあそこほとんど音楽が止まっちゃうでしょ。ああいう演奏も捨てがたいけど、ソコロフはそこまで極端じゃない。情に流れる一歩手前で、音楽の流れを掴みなおしている。1950年生まれだっていうから、今46歳。これから楽しみだニャー。去年は奥さんの病気だとかで、演奏会がキャンセルになっちゃって残念。

C:ロヴィツキの棒もさすがだね。まあずっとショパン・コーンクールの伴奏やってた人だから、当たり前っていえばそれまでだけど。

G:ところでおじさんのリスト。十八番。勧進帳か忠臣蔵ってとこね。確か88年の来日の時には二日間で四曲のコンチェルトを弾いたわよ。一日目がリストとチャイコフスキー。二日目がショパンとラフマニノフの『パガニーニ・ラプソディー』。

C:あの小さな体のどこにあれだけのエネルギーがあるんだろうね。

G:おじさんのコンチェルトの録音てほとんどないわよね。それだけでも貴重なのに、この録音結構ピアノの繊細な音がよく録れてるわ。1964年、バンベルク交響楽団、指揮はお馴染みハインツ・ワルベルク。おじさん50台の半ばって頃ね。

C:シフラみたいにバリバリっと弾くわけじゃないけど、音の粒立ちがなんともきれいだよね。珍しくオケとの相性もいいみたい。ショパンと違って、リストの曲はオケのほうもかなり書き込んであると思うんだけど、頻繁にテンポが変化するところや、速いパッセージもよく合わせているね。

G:中間部の叙情的なところの普通なら何でもないトリルのきれいなこと。トライアングルが鳴ってからの速いパッセージの小粋なこと。音が薄くなって高音で駆け回るところなんか凄いわね。

C:そうソコロフみたいに腹にズシンとくるような音は持っていなかったけど、でもズシンと感じさせるというか、ズシンと来たなって錯覚させるのがおじさんのテクニックだったんだ。

G:そう絶対的な音量はなかったのかもしれないけど、どんなにオケがフォルテでうなっているようなところでも、おじさんのピアノって突き抜けて聞こえたのよね。

C:あれは不思議だったね。

G:録音の古さを感じさせないレコードでよかったわ。でも不思議なカップリングね。

C:うにゃ。両方とも音源はドイツのEurodiscだから、デノンの妙な録音と違って安心して聴けるね。


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