ジョルディ・サヴァールと仲間たち
モンテヴェルディの愛と祈り
10月25日 北トピア



(ガンバのひとりごと)

サヴァールのモンテヴェルディを聴いてきたんだが・・・曲目は、ほぼマドリガーレ集第8巻からの抜粋。サヴァール、フィゲーラスの他に、ヴァイオリンのヒロ・クロサキと木村美穂子、ガンバのカサデムント、平尾雅子、テオルボのロルフ・リルヴァンなどお馴染みのメンバー。スペインものでは定評のある連中だが、モンテヴェルディは如何なものか。ヴェスプロの名盤もあるし。まあ、そんな楽しみもあって、出かけたんだが・・・

舞台上に高さ1メートルはありそうなかなり大きな山車が3個。中央の山車にはチェンバロ(たぶんイタリアンのシングル、これはすごくよく音が通る楽器で、芝崎久美子というチェンバロ弾きもとてもリズム感がよかった)。左右の山車には曲目によってガンバ、ヴァイオリンなど弦楽器がのっかる。舞台中央の前面にテオルボのリルヴァンが坐り、その背後、山車の前に6人の歌手。

戦いのマドリガーレの第一曲「人々が愛の神を歌おうとも」の短いシンフォニアが始まったとたんに、400年ほどタイムスリップ。サヴァールとヒロ・クロサキの掛け合いが絶妙。ととと、ところが声楽陣が入ってきたとたんに音楽が流れなくなった。男性歌手のメリスマが甘いだあ。2曲目は「敵が取り巻いている」。これは編成が小さい分、フィゲーラスの声が中心となり、それなりに楽しめた。

3曲目は第7巻から有名な「ティルシとクローリ」。ストリッジョの楽しい詩に合わせて、ダンス・メドレーが展開される・・・はずだったんだが。楽想の目まぐるしい移り変わりがどうもしっくりしない。これは一つにはサヴァールがガンバを弾きながら指揮しているために、今一つ全体への指示が行き渡らないせいか?もし指揮者がチェンバロを弾いていたら、もうちょっと引き締まるのではないだろうか。フィゲーラスもスペインのダンスものと違って、溌剌としたところがない。ティルシ役のテナーもメリスマが決まらないので、もぞもぞ口ごもった歌になってしまう。つまり語らないんだニャー。

後半は、まず第7巻の「竪琴の調べに合わせて」の5声のシンフォニア。器楽だけだとかなりワクワクする。スビトで第8巻の愛の歌集の冒頭曲「人々が軍神マルスを歌おうとも」に入ったとたんに、音楽が流れなくなる。困ったもんだニャー。プンプン。日本人ソプラノ木島千夏というのが如何にも非力。本来ならフィゲーラスと張り合って愛を歌わなければならない役どころが、もごもごとした発声で、埋もれてしまう。これではバロックは歌えない。

後半の2曲目、「ニンファの嘆き」は文句無しに楽しめた。この手のラメントを歌うとフィゲーラスは滅法うまい。ラメントというよりも狂女ものとでも言ったらよいだろうか。3人の男性歌手がフィゲーラスに寄り添うように絶妙な合いの手を入れる。この日一番の聴きものだったニャ。

最後に6声のシンフォニアに続いて「今や天も地も」。やはり締まりがない。劇的要素を前面に出すでもなく、アンサンブルもよくない。ちょっとがっかり。でも、アンコールの最後に、打ち物のエステヴァン氏を交えてスペインの「チャコーナ」。こいつはさすがに盛り上がったんだニャー。


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