ロンドン・バロック

バッハとその息子たち

J.S.バッハ:トリオ・ソナタ ハ長調 BWV.529、ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ト長調 BWV.1021
W.F.バッハ:行進曲 変ホ長調 NV.30、ファンタジア イ短調 F.23
C.P.E.バッハ:トリオ・ソナタ 変ロ長調 H.584
J.C.F.バッハ:トリオ・ソナタ ヘ長調 F.VII/3
J.C.バッハ:ヴァイオリンのための二重奏曲 第四番 変ロ長調 T.335/1
J.C.バッハ/W.A.モーツァルト:チェンバロ協奏曲 ニ長調 K.107

6月5日 紀尾井ホール




このごろあまりいい演奏会に巡り会っていないもので、なんか爽やかな曲を聴きたいなあと思って、ふらっと入ってしまったのがこの演奏会。入ってからパンフレットを見て曲目がわかり、ちょっと地味なプログラムかニャーなんて感じがしたのですが・・・

あのJ.S.(ヨハン・セバスティアン)バッハは実に子沢山。二人の奥さん(誤解なきよう、一人目は死別です)に18人の子供を産ませている。まるでボス猫ですニャ。このバッハっていう家系はかなり詳しく研究されているんだけど、ほぼ200年にわたって音楽家をあまた輩出した一族です。歌舞伎なら梨園と言ったらよろしいでしょうか。でもなんたってセバスティアンが一番偉大な人。バロック音楽をその一番の高みにまで引き上げて、どん詰まりに追い込んでしまったのがこの人じゃ。

一曲目のトリオ・ソナタはそのセバスティアン親分のオルガン曲を編曲したもの。今、音楽付きでご覧の方はバックに流れているのがその曲です(97年6月現在)。全曲お聴きになりたいというご奇特な方は、MIDIの小部屋にどうぞ(と、さりげなく宣伝)。イギリスの古楽グループというと、ピノックにしろホグウッドにしろ、いまいち演奏が平板で自発性に欠けるいうのがおおかたの評価でしょうが、ロンドン・バロックもそのような感じ。ちょっと上手な素人さんの集まりといった雰囲気であります。テンポ感は今流れているのと同じくらい。ただし、二つのヴァイオリンとチェロにアレンジしたものですから、ちょっと地味な感じでしょうか。

二曲目のヴァイオリン・ソナタも淡々と弾き進んでいく感じで、そう目新しい発見とか、一瞬のきらめきといったものとは無縁の演奏。よく弾かれる6曲セットのソナタとは別のバラのものです。

次は、チェンバロの独奏でW.F.バッハの小品を二曲。ちなみに、W.F.の部分はヴィルヘルム・フリーデマンと読む。大バッハの長男坊。定職に飽きたらず(?)世の中を広く渡り歩いた人。行進曲はときどき演奏される可愛らしい曲。ファンタジアの方は多感様式というのか、思い入れタップリの曲想が次から次へと湧き出してくるといった自由な形式の曲。でもなんだかテンポの変化にしても、音色の変化にしても、とってつけたようなところがないでもない。これは演奏者の問題なのか、曲そのものの問題なのか???

とまあ、ここらへんまではちょっとストレスがたまる展開だったのですが、次のC.P.E.バッハの曲が始まって形勢逆転。この面々がやりたかったのは、大バッハではなくて、むしろセガレどもの音楽だったんですニャー。C.P.E.はカール・フィリップ・エマヌエルと読みます。日本ではイニシャルを英語読みしてシー・ピー・イー・バッハと呼んだり、エマヌエル・バッハと省略したりします。大バッハの次男坊で、たぶん一族の出世頭でしょう。音楽好きだったプロイセンのフリートリヒ二世(大王)の宮廷音楽家をやったのち、テレマンの後任でハンブルクの楽士長になっております。ちなみに、エマヌエルがベルリンの宮廷に伺候していたころ、オヤジが訪ねてきて、「音楽の捧げ物」が生まれたっていうエピソードは有名ですニャ。

オヤジの音楽に比べると実におおらかなメロディーが湧き上がってくる感じ。大バッハのメロディーはどちらかというと一ひねりしてあって、なかなか一筋縄ではいかない理知的な側面が強いんですが、次男坊は流れるようなメロディーです。音楽の作りも複音楽的なものよりも、和声的な動きがまさっており、トリオ・ソナタという形式ながらもバロックを超えた音楽であります。ロンドン・バロックの面々はこのアッケラカンとした曲を実に楽しそうに弾いておりました。

J.C.F.バッハの音楽もバロックを超えて古典派を模索する音楽です。J.C.F.はヨハン・クリストフ・フリートリヒと読みます。大バッハの三男坊。エマヌエル同様におおらかなメロディーが特色ですが、肝心の才能がイマイチかなあ・・・で、作品目録を眺めていたら、独唱カンタータ「アメリカの女たち」なんていう作品を残した人でした。作曲年は1776年。むむう、時代が煮詰まってきてるう。

最後にJ.C.バッハを二曲。ヨハン・クリスティアンと読みます。普通クリスチャン・バッハと呼ばれるのがこの人。大バッハの末子です。バッハ一族では唯一のコスモポリタン。オヤジが50歳の時の子供ですから、父親よりも兄貴のエマヌエルから音楽を学び、ボローニャでマルティーニ神父にも習っています。つまりモーツァルトの兄弟子ってことになるんでしょうか。

ヴァイオリンの二重奏曲は地味な音色ながらも、古典派の形式感が芽生えてきている、そんな感じの作品。ソナタ形式までもう一歩っていうところでしょうか。展開部の転調が結構面白い曲ではあります。二台のヴァイオリンの呼吸もぴったり。弦の艶も一層増してきたように思いました。たぶん大バッハを弾いたときとは別の弓を使っているんだと思いますが。

何といってもこの日の圧巻は最後のチェンバロ・コンチェルト。J.C.バッハ/W.A.モーツァルトとなっていますが、モーツァルトはバッハのセガレじゃありません。念のため。モーツァルトはレオポルトのセガレです。この曲はJ.C.バッハのソナタをモーツアルトがコンチェルトに編曲したものなのじゃ。「旅の日のモーツァルト」はロンドンでクリスチャン・バッハに師事している。1764年のことと言われているので、ウォルフガング坊やの御年8歳。曲自体はクリスチャンのもので、フリーデマンやエマヌエルの多感様式から一歩進んで、イタリア風のギャラントでデーハーな曲。おまけにこの日の楽器がミートケというジャーマン・スタイルの楽器だったので、ギンギンに響いておりました。(ちなみにこの楽器はギタルラの貸し楽器のようだけど、去年カザルスホールでレオンハルトが弾いたときには全然鳴らなかったもの。ホールの違いって大きいですニャ)。この曲はピアノで弾かれることもあるみたいだけど、やっぱりチェンバロでやるべきものなんでしょうね。といっても、チェンバロの性能のほぼ限界を行っている感じですが。

そんなこんなで、結構楽しめた演奏会でした。でも、この日の演奏者は大変だっただろうニャー。たとえば1600年前後(スウェーリンクの頃)から1750年頃(バッハの死んだ年)までの曲を一夜で取り上げるのにはさほどのことはないと思うけど、1740年からの50年間の曲を一夜で演奏するのは並大抵のことではないと思う。この50年というのは音楽史の上でも、大きな変革の時代だったから。というよりもむしろ、革命の時代だったと言った方がより適切かな。




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