アンサンブル・クレマン・ジャヌカン

“マドリガーレとカンシオン”

カウンターテナー:ドミニク・ヴィス
テノール:ブルーノ・ポテルフ
バリトン:ヴァンサン・ブーショ、フランソワ・フォーシェ
バス:ルノー・ドレーグ
リュート、ギター、オルガン:エリック・ベロック

3月10日 紀尾井ホール




(デデのひとりごと)

ドミニク・ヴィスとジャヌカン・アンサンブルの最終日は、イタリアとスペインの音楽を中心としたプログラムでした。ジャヌカン・アンサンブルでスペイン物を聴くのは珍しいかもしれませんが、イタリア物はお手の物。マレンツィオ、ヴェッキ、ディンディアといった16世紀後半の作曲家の叙情的な作品がしっとりと歌われていきます。ここには、フランス物の日のような都会の喧噪や、騒々しい狩りの雄叫び、動物の鳴き声などはありません。世俗的なマドリガーレではあるものの、むしろ雰囲気としては教会で聖歌を聴いているような感じです。紀尾井ホールのたっぷりとした残響も非常に好ましく思われました。

そしてペトラルカの詩にパレストリーナが曲をつけた、「美しい乙女よ」、「聡明な乙女よ」、「乙女よどれだけ多くの涙を」の三曲は前半のハイライト。恋人ラウラと聖母マリアとが二重写しになり、その前に跪くペトラルカ。ダンテの「神曲」と並んで、ルネサンスの嚆矢となったこの作品が、パレストリーナの曲に乗せて歌われると、保守反動のレッテルなどどうでもよいくらいに美しい。ここではヴィスの特徴ある声も全体のハーモニーの中に吸い込まれて、一層清らかさを増し、透明感をかもしだす。

リサイタルの日のマショーもすばらしい歌唱だったけど、こういった透明な叙情の世界もヴィスの一つの持ち味でありますニャー。(ため息)

で、そういった側面があるかと思えば、ちゃんとお楽しみもあるわけで、前半の最後に歌われたラッススの三曲、「歌え、ジョルジア」、「出ろ、ろくでなし」、「キ・キリキ」では、このアンサンブルのもう一つの持ち味を余すところなく発揮してくれました。「主人は眠り、パリーノはベッドの下、奥様はその首の回りに脚を置き、 主人は叫び、奥様逃げる・・・僕は愛の王様だ、グワッ、グワッ」。「・・・眠っていたのに起こしやがって」「ふん、何だい、あんたなんかもう愛しちゃいないよ、あんたは一晩中眠ってて、キスひとつしてくれなかった」。まあこんな感じ。ラッススとジャヌカンていうのは心情的に結構近いのかもしれぬ。

後半はスペインの音楽でした。フレーチャの「戦い」と「ラ・ボンバ」という楽しいエンサラーダ(ごっちゃまぜ)を最初と最後に置いて、中間にはバスケスの叙情的な作品を4曲配するという構成。フレーチャの作品は楽しみにしていたんですが、どうもごっちゃまぜの猥雑感が今ひとつ。これは言葉の問題かもしれないし、音楽そのものの違いかもしれない。ジャヌカン風のパッセージは随所に見られるものの、どうも同じ歌い口では単調に流れてしまうようだ。それに、スペイン物はアカペラではちょっと苦しいのかもしれないですニャ。やっぱり土俗的な香りのする、打ち物やら、かき鳴らし物がないとちょっと・・・ってとこかニャー。



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