アルバン・ベルク弦楽四重奏団

シューベルト:弦楽四重奏曲第12番、13番「ロザムンデ」、15番

6月2日 紀尾井ホール




またまたアルバン・ベルク弦楽四重奏団を聴きに行ってきました。よくもまあ懲りないネコであります。前回(4日前)があまり調子良くなかったせいか、今日はかなり空席が目立つホールでありましたニャ。

最初がシューベルトの12番。これは1楽章しか残っていない曲で「断章」と呼ばれているものであります。冒頭から弦のトレモロが恐い曲です。ところがやっぱり調子が今一つ。思うに、あまりさらっていないのではないだろうか。さすがに縦の線が崩れるということはないけど、かなりごまかしている。リーダーのピヒラーも速いパッセージでしどろもどろになったり、和音が揃わないから、トレモロの重音もぐしゃっとつぶれたような感じになるし、いっそう強く弾いてごまかそうとしたり・・・

二曲目は13番「ロザムンデ」。もちろん劇音楽「ロザムンデ」からのテーマが第二楽章で変奏されるものです。死と乙女に比べると、比較的穏やかな音楽。どちらかというとヒーリング系の音楽でしょうか。でも今日は全然癒されなかった。

このカルテットが今世紀前半の団体と著しく異なる点の一つは、その完璧なまでの合奏力でした。今世紀の始めにわずかに音盤に残されたヨアヒムやサラサーテの演奏を聴く限り、今世紀初頭の弦楽器奏者はかなりきちっとした技巧を完成させていたように思います。それがいつしかビブラートを多用し、ポルタメントで音程を調整するような演奏に変化していく。ビブラートにしろポルタメントにしろ、本質的な装飾音だったはず。それがいつしか忘れ去られ、のべつまくなしに使われるようになっていく。これが、今世紀前半の弦楽器奏者の傾向でしたニャ。

20世紀後半における演奏の顕著な特徴は、このような厚化粧を施した演奏に対する反動と言ったら言い過ぎかもしれないが、より音楽の本質に根ざした方向に向かって行くことだったと思うわけです。おそらく古楽の復興などもそうした流れの一つなわけです。現代では、バッハの鍵盤曲を「何でピアノで弾くの」って逆に問われているわけですニャ。

そのような傾向の一つとして、アルバン・ベルク四重奏団は完璧なまでの技巧と合奏力を誇っていたはず。ところがところが・・・「ロザムンデ」の第四楽章、ハンガリー風の民謡のテーマも、ピヒラーのヴァイオリンにキレがないもんだから、なんだかデレっとした音楽になってしまうのですニャ。ちょっと困ったことになってしまいました。今度来るときにはもうちょっとよくさらってきてね。

というわけで、後半の第15番は聴かずに帰途についたわけです。今日のビールは苦かったあ・・・




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