アルバン・ベルク弦楽四重奏団

シューベルト:弦楽四重奏曲第9番、10番、14番「死と乙女」

5月29日 紀尾井ホール




このところ毎年来日しているアルバン・ベルク四重奏団、今年は紀尾井ホールでの演奏会に行ってきましたです、はい。

いつものサントリーに比べてちょっと小さめのホールなのでほぼ満員。今年は、シューベルトの生誕200年やら、ブラームスの没後100年やら、いろいろ企画ものが多い年ですが、こちらはシューベルトにあやかった演奏会。この日は第9番、10番、それに14番「死と乙女」の三曲。もちろん9番、10番レコードでも聴いたことのない曲。

8番以降は一応プロの演奏会にも登場する曲だと言われてはいるけれど、やはり晩年(と言っても確か30歳くらいで死んじゃったんだよね)の作品に比べてやや小ぶり。内声の書き込みがやや薄い感じがしましたニャ。彼がまだプータローになる前の作品だから(たぶん)、全編溢れ出るような豊かなメロディーには陰りがなく、ものすごく素直な感じでした。長調がいつの間にか短調になって、それがいつしかとんでもなく明るい調子に戻っているって感じの、シューベルト独自の転調の世界はまだまだ先の話。まだやっとウィーン少年合唱団を卒業したばかりの頃の作品だと思いますです。

で、このまま、家業である学習塾のセンセをやってれば、そこそこの生活ができて、早死にすることもなかっただろうと思うんですが、なぜか家を捨て親を捨て、「可愛い子分のてめえたちとも別れ別れになる門出だあ」ってなわけで、自由生活に入ってしまったんですニャ。

でも彼はこの自由生活をとことんエンジョイした(?)んだと思う。そうじゃなきゃあの微妙な転調の綾を見いだすこともなかったでしょう。メンデルスゾーンみたいに、裏も表もない曲ばかり膨大に残っていたとしたら、今の我々は不幸ですよね。 ちなみに猫たるものも自由生活を目指すべきであります。「万国のネコよ、四畳半を捨て、広く世界に羽ばたくべし」

そんなこんなで、赤貧洗うがごとき生活の中から生まれたのが14番の「死と乙女」。これはすごく恐い曲です。冒頭のニ短調の和音からして恐い。ジャリ〜〜ンと響く開放弦の音がすごみを増します。第二楽章の「死と乙女」の変奏では、先に述べた長調と短調のはざまで揺れる微妙な綾が聴きどころです。ベートーヴェンのような長調と短調のコントラストではなくて、何と言ったらいいんだろう、プリズムを通したスペクトラムが境目なく変化していくような、そんな感じでしょうか。

とまあここまで書いてきて、当日の演奏について何も言っていないことに気が付きました。これに関しては、まあ何と申しましょうか、たぶん演奏者の体調があまりよろしくなかったのでしょうか・・・どこが悪いと指摘する気もありませんが、レコードで聴く演奏と全く同じ、すでにある解釈を忠実になぞっているだけ、といった演奏会でした。「死と乙女」に関しては丁々発止とやり合う、本番一発の気迫を期待したのですが・・・そんなわけで、この日はアンコールもなしでした(まあ当たり前ですニャ)。




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