アンサンブル・クレマン・ジャヌカン

“パリの物売りの声と16世紀のパリのフリカセ”

カウンターテナー:ドミニク・ヴィス
テノール:ブルーノ・ポテルフ
バリトン:ヴァンサン・ブーショ、フランソワ・フォーシェ
バス:ルノー・ドレーグ
リュート、ギター、オルガン:エリック・ベロック

3月5日 紀尾井ホール




(デデのひとりごと)

昨日に続いてアンサンブル・クレマン・ジャヌカンを聴いてきました。今日の曲目はこのアンサンブルの名前にもなっている、クレマン・ジャヌカンを中心としたもの。ルネッサンス真っ盛りというか、1500年前後を生きたフランスの作曲家のシャンソン(声楽曲)ばかりのプログラムでした。

まず前半は、ジャヌカンの「パリの物売りの声」。「パリの物売りの声を聴きたいかな。/・・・白ワインに赤ワイン/売った売った、・・・/・・・だれかミルクはいらないか/いるよ、いるよ、寒くて死にそうだ/・・・マッチ、マッチ、乾燥マッチ。・・・/奥さん、払った払った、新鮮なアーモンドだよ/熱々のお菓子はいらんか〜/・・・」。パリの雑踏。ごったまぜのにほひ。ひといきれ。もしかして、今の日本に似ているところがあるとすれば、そう、魚河岸か、あるいは祭りのテキ屋のたんか売だろうか。思わず、「ヨッ、待ってました。寅サン」と叫びたくなる雰囲気。(おいらはトラ猫、ランララン)。

ジャヌカン・アンサンブルはこの手の歌がとても得意だ。というよりこれを歌いたくてアンサンブルを結成したのだろう。日本ならさしずめダークダックスという感じの編成だけど、あれほど美声を持った歌手は一人もいない(たぶん)。とにかく語り口が命だ。この猥雑な曲を最初に持ってきて、聞き手を一気に自分たちの世界に引きずり込んでしまうというプログラムなんですニャ。

これに続いて、ジャヌカンの作品を6曲。「緑の森に私は行くの」、「愛について人はどのように表現できるのだろう」、「ある朝私はこれまでになく早く起き」、「さあ、ここにおいでよ」、「愛と死と人生は」、「鳥の歌」が矢継ぎ早に歌われました。語り口調で自在に変化するテンポ、達者なオノマトペ(楽器の音、鳥の鳴き声などの物まね)、そして、何と言っても音楽と詩が伝える、あっけらかんとしたむき出しのエロス。これらの力が、ホールに詰めかけた聴衆を1500年へとワープさせてくれたワケであります。

もっともそれだけではありません。次に歌われたジョスカン・デ・プレの音楽では、しっとりとしたハーモニーの綾を満喫させてくれました。特に「オケゲムの死を悼む挽歌」などはこのアンサンブルのもう一つの側面を見せて、なかなかの好演。生き生きとした言葉の語り口を失わず、しかも、アンサンブルとしての精度も落とさない、こういうアンサンブルは他にはないですニャ。

後半はコンペール、作者不詳のかの有名な「フリカセ」、プティ、ヴェルモン、ゴンベール、セルミジ、ラフォン、ヴェリエなど、ジャヌカンと同時代の作曲家の作品が次々に歌われた後で、最後にジャヌカンの「狩り」。これもまた擬音語の固まりみたいな曲ですから、アンサンブルの正確さだけじゃどうにもならない曲。それだけにこの団体の真骨頂を見た思いがしました。あの独特なテンポ感っていうのは、やっぱりフランス語のネイティブじゃないと無理なんじゃなかろうか、なんて思ってしまったワケでありますニャ。

そして、なんと、アンコールではやっぱりジャヌカンの「戦争」が歌われました。もうこの日一日で、ジャヌカンを満喫した感じ。「ファーン、ファーン、トラララランファン・・・」とまあ、鼻歌気分で帰途についた次第。



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