アンドレ・ワッツ ピアノリサイタル

ドメニコ・スカルラッティのソナタ3曲
モーツァルト ロンド イ短調 K.511
ベートーヴェン 「熱情」
ショパン 幻想曲、ノクターン3曲、バラード第1番

1999年6月10日 サントリーH



(デデのひとりごと---ぶつぶつ)

ホントに20年ぶりぐらいでしょうか。アンドレ・ワッツを聴いてきました。若い頃の颯爽とした弾きっぷりを頭の中で懐かしく思い出しながらホールに向かったわけであります。

ロレックスだかが冠スポンサーになっていて、「時の記念日」コンサートと銘打たれておりました。ちなみにこの日の呼び屋は、むしろスポーツ選手の口入れ屋として名高いIMG。最近はクラシックも“ビジネス”になるらしい。冠コンサートといっても、別にチケットが安くなるわけではなく、かなりバブリーなお値段でございました。その代わりに招待客とおぼしきちょっと場違いな年輩のみなさまのプレゼンスがかなり目立っておりました。おまけに、演奏の前に時の記念日とやらのいわれを一くさり聞かされたりして。

まあ、いいでしょう。問題は演奏ですから。

ワッツというのはデデのイメージではリスト弾き。それもかなり馬力で押しまくる熱演型。なんでそんなの聴きに行ったのって言われそうですが、でも、めちゃくちゃうまいってのはそれだけで価値があると思うんですニャー。で、実際に聴いてみて、このイメージはそのまま当たっていました。最初のスカルラッティからして、美しい音の綾を聴かせるよりは、技巧を前面に押し出して、かなりたっぷりとした音量で弾いていました。イ長調(L.345)、ヘ短調(L.187)、イ長調(L.391)の3曲でしたが、最初の2曲は情緒、旋律美、和声の美しさといったものは、あえて切り捨てて、ペダルをたっぷり使ってロマン派の曲を弾く感じ。3曲目はリストばりの同音連打が続く技巧的な曲ですが、これも轟音とでもいうべきペダルの響きでごちゃごちゃに聞こえる始末。スカルラッティのソナタはカークパトリックが番号を振り直して、成立年代が見直されたために、K番号で連続する同種の調の曲を並べて演奏するのが最近の習いになっていますが、指ならしだったらなにも3曲弾く必要はないだろうに。それに、イ長調とヘ短調は、月とすっぽんどころか、地球とアンドロメダぐらい離れてるよ〜???

そして、この指ならし状態が次のモーツァルトでも継続。このイ短調のロンドはちょっと怖い曲ですニャー。でも第二主題だか第三主題だか、ふっと明るい光が射し込んできます。でも、それは偽りの晴天。やっぱり深い悲しみの淵へと突き落とされるような曲です。ここらへんの対比がうまくいくかどうかが鍵ですけど、これもやはり練習曲風にバリバリっと弾いてくれました。あまりにもコントロールが行き届いた演奏ってのは、かえって美しさがないですねぇ。この人どちらかというと、旋律を歌わせるのは不得手。強弱やらテンポやらの対比で曲を作っていこうとするんですが、如何せんバランスがよすぎる。ってことは、どこを取っても落ち度はないんだけど、全然面白くない。係留音とか前打音とか、いわゆる不協和音は強く、解決音は弱くというのが生理的に快適な音楽を作る基本だと思うんですが、こういったニュアンスは全然考えないみたいですニャ。

ベートーヴェンの熱情ソナタになってやっと練習曲を脱して、ワッツ本来の持ち味が発揮されるかと思いきや、これもかなりぶっきらぼうな演奏でした。ただ二カ所。第一楽章のコーダに入るところの「ダダダダー」、そして、終曲のコーダ、これは本当にすごかった。この手の部分がやはり彼の十八番なんでしょうニャー。

後半はショパンばかり5曲。幻想曲はかなりゆったりしたテンポで入って、「雪が降る町を〜〜」の部分は情緒纏綿とやるかなと思わせておいて・・・裏切られた。楽譜の見開き2ページ分の間に、何回同じメロディーを繰り返すでしょうか? 繰り返すたびに和音がだんだん厚く(熱く)なっていくるわけですが、ワッツのバヤイ、和音がだんだん煙ってくるんですニャー。春霞なら情緒もあるでしょうが、工事現場のダンプの如くもうもうと土煙を上げて・・・世界がぼんやり霞んでしまうわけです。これは聴く方にもかなり忍耐力が要求される演奏です。中間部分の華やかなアルペッジョのパッセージの切れ味は鮮やか。ただし、もうちょいペダルを控えてくれないもんだろうか。全体の見通しというのか、曲の構成力は確かなものを感じただけに、この音の汚さには閉口しましたニャー。

ノクターン(Op. 27-1, 37-1, 48-1)も同様。旋律を歌わせることには関心がないか、あるいは、関心がないふりをしていますから、これはやっぱり面白くないですねぇ。内声部にハッとするような対立主題が現れたりといったことは、まず期待しても無駄。48-1はバラードといってもいいくらい、かなり規模のでかい曲ですから、これは彼の性格にも合っていたんでしょうか。

この日、一番ましだったのは、最後のバラード第一番。ただし、あくまでもこの日に弾いたうちでということで。あれだけの完璧な技巧をもってしても、かなり平板な演奏であることには変わりありませんでした。

終演後、花束元ギャルが(“元”の位置に注意)数名、ステージに駆け寄っておりましたが、うん、あの世代に受けるのかなあ・・・と。

眠かったよぉ (=^^=)Zzzzz



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