京劇 三国志

Aプロ:諸葛亮 空城の計
Bプロ:関羽の忠義は永遠なり

北京京劇院

1999年6月19-20日 芸術劇場中ホール


(デデのひとりごと)

三月に続いて今年2度目の京劇です。思えば、子供の頃から貰い物の券で京劇に連れていってもらったことはあったのですが、イマイチ馴染めなかった。歌舞伎なんかも同じような経験をした方は多いんじゃないでしょうか? デデの母親は何かというと「六代目がねぇ」というのが口癖でしたから、子供心に、きっと「ロクダイメ」という名前の人がいたに違いないと思いこんでおりました。「六代目」にはちっと間に合わなかったけど、松緑や水谷八重子は何度か見たはず。でもほとんど印象に残っていない。そう、興業ものはやっぱり自腹を切って見ないといけない。これは音楽も同じ。で、池袋の駅前を通りがかったら京劇が掛かっていて、フラッと入り込んでしまったのが1993年のこと。本当に久しぶりでした。この時の公演がやはり三国志で、しかも北京の三派合同公演と銘打ったもの。当代の名優が勢揃いしたさまは、文字通り開いた口が塞がらないほど絢爛豪華なものでした。

今回の公演は三派の中でも代表格の北京京劇院で、二年前の公演に引き続き、「三国志II」と題されておりました。今回の出し物は上にあげた2つ。Aプロは、時代的には、三国志のず〜〜っと後の部分。ほとんどエピローグ。魏の曹操も、蜀の劉備、関羽、張飛ももうみーんな死んじゃって、どちらの陣営も2代目の時代。

最初は、馬謖が諸葛孔明の命に反した陣を敷いたために司馬懿仲達の魏の軍に敗れる「失街亭」。血気盛んで功名心が強い馬謖(羅長徳)が、守備隊長に任命されたものだから踊り浮かれて大喜び。そこらへんの踊りが面白い。さて、後方の西城にこもる孔明(譚孝曾)だが、街亭が奪われ孤立無援。老兵と傷病兵しかいないこの城を、いわば腹芸一つで守り通す「空城の計」。魏の大軍を目の前に、城門を開け放ち、物見の上で、悠然と酒を飲み琴をつま弾く。この様子を見て、さすがの司馬仲達も攻撃をためらっている間に、趙雲(葉金援)が援護し事なきを得る。舞台が暗転する直前、さんざん一人で歌いまくった孔明が一言、「ああ、危なかった」。ここで、場内大爆笑。

趙雲てのはかっこいいんだなぁ。桃園の三兄弟からは一歩離れた位置にいるわけですが、三国志の中ではいつ出てきてもカッコイイ。「金鎖陣」を破る時には切り込み隊長。「長坂坡」で撤退する場面では、最後尾にあって盟主劉備の赤ん坊を抱きかかえながら、敵と斬り結ぶ。思うに隠れ趙雲ファンというのが世の中にはたくさんいるんじゃなかろうか。さて、自陣に戻ってきた馬謖の裁きを扱う「斬馬謖」は、聞くも涙、語るも涙の幕切れ。逡巡する孔明の演技はさすが。

三国志は日本でも別の意味で馴染みの深い書物ではあります。趙雲は知らなくても卑弥呼は知っているという人も多いでしょう。魏志倭人伝当時、日本は百余国分かれていて、水行何日、陸行何日で邪馬台国にたどり着くと、「能く衆を惑わす」卑弥呼ってえのが居て・・・まあ、要するに律令制が確立して「国家」となるまでには、まだ500年ほど時間が必要なわけで、当時の日本はいわゆるカタカナの「クニ」の時代。ちょうどそのころお隣では、後漢の王朝が傾き、地方豪族が蜂起したり、世の中、乱れに乱れていたわけですニャー。

Bプロはちょっと変わった構成でした。徐州の戦いに敗れた劉備軍が散り散りになってしまうのは、三国志の中でもかなり初期のお話。利害が異なるものの、反董卓の一点で連合していた劉備と曹操が目的を達したとたんに決別し、関羽は劉備の二人の夫人(!)を伴って曹操の捕虜になる。ただし、劉備の消息がわかったら、二人の夫人を引き連れて蜀の陣に舞い戻るという、かなりいい加減な条件付き。関羽に惚れ込んでいる曹操は、金品を送りなんとか関羽を自軍にとどめようと懸命。呂布の乗っていた名馬 赤兎馬も関羽に与えるが、関羽は曹操の下心を読んだかのように、のらりくらりとはぐらかし、贈り物はしっかり自分のものにする。このへんは関羽もさることながら、曹操(羅長徳)のコミカルな演技がなかなかみものでした。三国志演義では悪役だそうですが、京劇ではずる賢いけどちょっと間抜けといった役どころでしょうか。

接待攻勢の最後の一手は色仕掛けで、中国三大美人の一人、貂蝉(チョウセン)を繰り出します。(ちなみに他の二人は?「西施がかんばせをなからしむ」と比喩に持ち出される傾国の美女 西施、それからもう一人は、「覇王別姫」の虞美人ですニャ。この3人はもう楊貴妃なんか目じゃないほどの極めつけの美人だったそうです・・・おいらは知らニャーだよ。残念ながらお会いしたことがないんで。)

貂蝉という人はつくづく薄幸の人ですねぇ。思えば「美女連環の計」のダシに使われ、最愛の呂布は殺され、そして今、また関羽の酌婦に遣わされ・・・そこらへんの経緯は関羽もわかっていますから、心中はともかく、絶対に手を出すわけにはいかない。こりゃ、しょうがないんですニャー。貂蝉の色仕掛けと、関羽の無骨な拒絶。期せずして客席からも笑いが漏れます。貂蝉役(尚偉)が絶世の美女の色香を余すところなく表現すればするほど、関羽はいっそう意固地になっていきます。そして決めぜりふは、「呂布の轍は踏めぬ」。ハッと我に返った貂蝉。剣を取り、自害して果てます。呂布が殺害されて2年後のこと。これを題して「曹営十二年」。美女連環のエピソードは有名ですが、貂蝉の最後ってこうなっていたんですニャー。

ところでこの芝居、舞台の中仕切りの黒幕を効果的に使っていました。黒幕の前で演技している間に、後方では舞台装置を入れ替えるわけですが、芝居がスピーディーになるばかりでなく、黒幕の前で演技する俳優の絢爛豪華な極彩色の衣装が実に映えるんですニャー。

さてBプロの後半は「古城会」。曹操の陣にとどまること12年。実はこの間に、三顧の礼、天下三分の計、赤壁の戦いなど、三国志の主要なエピソードがすべて詰まっていると言っても過言ではありません。それを全部すっ飛ばして、第二幕はいきなり三国志の大ラスになります。劉備らの消息を知った関羽は、二人の夫人を引き連れて古城目指してまっしぐら。途中の関所を次々と力ずくで抜いていきます。関羽強いぞぉ!そして劉備の待つ古城を目前にしたちょうどその時、曹操軍の蔡陽が迫ってきます。蔡陽はリンズ(どういう字だったかニャー?キジの羽をながーく棒状にしたもの。頭につけるとかっこいいんだなぁ)をつけ、貂の毛皮をまとい、なかなか強そう。

関羽は城壁の上の張飛に向かって、早く城門を開けるように要求しますが、曹操の計略と思いこんだ張飛は頑として門を閉ざしたまま。「兄貴は曹操の陣営にいて、いい目を見ていたんだろう。おれたちゃすっごい苦労したんだぜー」という張飛の言葉に実感がこもります。それもそのはず、先ほども言ったように、捕虜になっていたので、三国志の主要場面に関羽は全然登場しないんですニャー。ただ、この張飛という奴、思いこんだら何とやらの、お調子者で、ちょっと単細胞。仕方なく関羽は単独で迫り来る蔡陽を斬って捨てます。劉備が登場し関羽と再会の抱擁。立場がないのが張飛。「兄貴、許してくれよー」と懇願すること二度三度。やっと許され、メデタシメデタシ。

Bプロの関羽も葉金援がやったんですが、この役は歌が多くて、立ち回りは比較的少ないですねぇ。どうも彼の持ち役じゃないみたいです。ちょっとしっくりこない。葉金援は隈取り役じゃなくて、武生と呼ばれる、スッピン顔で、立ち回り主体の趙雲みたいな役の方が、絶対に映えると思うんだがニャ。とまあ、Bプロの方はちょっと、違和感が残る舞台でありました。

ところで、ひとしきりのカーテンコールが高まったところで、舞台上手の「古城」の門が開き、プロデューサーの津田忠彦という人物が登場。この人が京劇公演の仕掛け人らしい。本場中国でも近頃人気が下降気味の京劇を日本に呼んで大成功を収めている秘密は、どうもこの人のセンスによるところ大のようですニャ? 長々としたセリフや歌を大胆にカットして、立ち回りを増やし、所作もかなり大げさに振り付けるらしい。場面転換もスピーディー。大体、初めて来日した京劇役者は、暗転という手法を知ってびっくりするそうです。で、こうして作られた「日本バージョン」を北京でやると、また受けがいいそうだ。そんなこんなで、この日(19日)の夜の部が、津田忠彦プロデュースの1000回目の公演だったそうで、おめでとうございますニャー。第一回が板橋のホールで、千回目が池袋。これは大変な出世です。てへっ



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