プーランク生誕100年記念

「人間の声」 「ティレジアスの乳房」

モーツアルト劇場
松尾葉子指揮、アンサンブル of 東京

1999年9月25日 グローブ座



(デデのひとりごと)

(いやあ、暑かったですニャー。ムルソーならずとも、思わず「太陽がまぶしかったから」とつぶやきたくなる秋の夜長、徒然なるままに、終演後バー“シャ・ノワール”にて毛皮モノどもが聞こし召しております。)

DeDe: 今年は知る人ぞ知るプーランク・イヤー! それを大々的に祝おうではないかっ、という趣向でプーランクの超大作オペラが二本立てで上演されました。ん?
まあ、大きいか小さいかは主観の問題でありまして、要するに、滅多に聴けないものを聴いた感動が言葉に現れたとお考えいただきたい。オホン。で、「人間の声」はもちろんあの中丸美智繪(こんな字でよかったかニャー?)ちゃんのヒット作。じゃなかった、ジャン・コクトーの大ヒット作。

CoCo: 王様の耳はロバの耳。

Gamba: ちゃうでしょ。あたいの耳はネコの耳。

DeDe: そりゃそうだ。

ブチッケ:納得しちゃダメだぁ。「私の耳は貝の殻 海の響きをなつかしむ」だろう。

CoCo: そうとも言う。

DeDe: まあその、「貝殻耳」で有名なコクトーさんのモノドラマにプーランク様が曲を付けたわけ。

Gamba: まあ、うまくまとめたわね。それで、たった一人最初から最後までシュミーズ姿でのたうち回るわけだから、いっぺんに財界にタニマチが増えたってわけね。美智繪ちゃん。

DeDe: まあまあ、そこまで言わなくても。

CoCo:うふっ。みんな知っています。

DeDe: それはともかく、今回は日本語上演でしたが、みなさまどう思われましたか。

ブチッケ:なんだよ、急に。このオペラの登場人物は最初から最後まで下着姿の女性(浜田理恵)だけ。道具も電話が一つあればいいんだけど、とにかく話すといっても電話に向かって話すわけだから、そう大げさな演技はできない。というわけで、やっぱり歌詞が重要だよね。そういう意味では、日本語でやったのはよかったかニャー。

Gamba: 別れたんだか、捨てられたんだか、まあ、とにかく長年同棲した男を必死に引き留めようとして、電話を通して声で演技するわけね。最初はレストランに行って来たとか、ベルサイユに遊びに行ってきたとか、かなり強がりを言ってるんだけど、途中でがらっと調子が変わるところがあるでしょ。

CoCo: うん、本当は睡眠薬を飲んでいたって告白する下りね。

Gamba: そうそう、あそこで、演技の調子も変わるはずなのに何となく切れ目がよく見えなかった。

DeDe: オケの問題もあるんじゃないかなぁ。1stが6人だっけ、そのくらいのかなり小ぶりな編成だったけど、それでもここぞっていうところで弦が強すぎて、日本語の音の曖昧さがでちゃったみたい。それにグローブ座はピットがあるわけじゃないから、平土間と同じ高さにオケがいるんで、舞台の上で寝ころがった状態で声が通るように歌うのは至難の技だと思う。

CoCo: でもオケ全体としてはかなりプーランクの気分を出していたと思うよ。特に管楽器は最初の一音から、んめかったぁ。

DeDe: うん、んめかった。

ブチッケ:ところで、ふと『マルセルの夏』って映画を思い出したんだけど・・・

Gamba: マルセル・パニョルの自伝映画ね。すごくきれいな映画だったわね。

ブチッケ:そうそう。ちょうど今から1世紀前の話。マルセル少年の父親はプロヴァンスの田舎町の小学校の先生なんだけど、「20世紀」って黒板に大きく書いて、来年から20世紀が始まるんだって、子供たちに言うんだ。20世紀になると電話ってものがこの村にも引かれて、居ながらにしてマルセイユの人と話ができるんだぞーって、誇らしげに言うわけ。すると、クラスからホーっというため息が起こるんだ。この村とマルセイユは、わずか10数キロしか離れていないんだけどね。
このオペラの台本が書かれたのが1929年。オペラの中でもしょっちゅう電話が混線したり、切れちゃったりしますニャ。オペラの初演は1959年だけど、その頃でも混線ていうのは結構現実味があったみたいですニャー。

CoCo: 混線するんで、オペラの筋がこんがらがっていきますニャー。途中で相手の男が優しい言葉を掛けてくれたんだと思いこんじゃったりして。でも、相手の男もエライ!

Gamba: どーして?

CoCo: だって、如何に哀れを催したからって、別れた女相手に1時間近くも電話で話し続けるなんざぁ、凡人にはできません。

Gamba: ふん。

CoCo: しかも断線すると男の方から掛け直したりして、いい男だねぇ。

DeDe: まあまあ、『人間の声』このくらいにして。『ティレジアスの乳房』のほうはかなり楽しめたんじゃないでしょうか。

Gamba: はいな。これはよかったニャー。ティレジアス(山本真由美)の旦那をやった近藤政伸がすてきだったわ。

DeDe: この旦那、事実上の主人公なのに、登場人物として名前がない。いつも「あなた」とか「お前」とか呼ばれているだけですニャー。

ブチッケ:ところがところが、風船のオッパイをライターで爆発させたあと、ティレジアスが「世界も女も俺のもの」とか言って出ていっちゃうと、この旦那が異常に頑張りますニャー。なにしろ女性参政権を求めて、ザンジバルの女性が子作りを一斉に拒否したそうですから。

CoCo: そう、自分一人で子作りを始める。今日の舞台では試験管にフラスコなんかを持ち出して、色つけ実験のようなことを見せていたけど、このあたりのコミカルな仕草と群衆の動きは、かなりはまっていました。

ブチッケ:試験管ベイビーかどうかはわからんけど、とにかく1日で4万49人の子供を産んでしまうわけですニャー。ネコでもそこまでは絶対に無理です。生まれた子供が詩人で、「普通の詩人の5万年分の印税を稼ぐ」ってんだからこれはすごい。

Gamba: 作者のアポリネールが自分の境遇をあざ笑っている感じね。

ブチッケ:そのとおり。次の子供はジャーナリストで、「小遣いをくれなきゃ、パパの秘密を暴いてやる」と抜かしたり、まあ、「恐ろしき子供たち」が次から次へと産まれてくる。そうこうするうちに、ザンジバルは食糧難。

DeDe: カード占いの女にカード(食料配給券)をもらう羽目になる。

CoCo: ところがこの占い師が実は、男になったはずのテレーズ(ティレジアス)で、「子供を作らニャ、ザンジバルの未来はない」と歌い出す。

DeDe: まあここらあたりは、アポリネール相手にストーリーの整合性云々を言っても始まらないわけで、「みなさん子供を作りましょう」と大団円。

ブチッケ:およそナンセンスもいいところなんでけど、プッと吹いてしまうのは、このグラン・フィナーレがあまりに大仰にできているから、かえって、「あほらしかー」って気分になるんだね。

DeDe: 旦那の好演と、群衆や端役をこなしていたモーツァルト劇場の面々の演技力の高さをしかと見た気がしますニャー。一昔前のお人形さんのような演技しかできなかった歌手とは違って、最近の歌手はどんどんヨーロッパでも勝負しているし、必然的に歌だけじゃなくて演技のレベルも向上しているように思いますニャ。数年前に松本で小沢征爾がやったのは、テレビで見た限りでは主役のフシェクールの独り舞台で、群衆の動きが雑だし、オケも重ったるかったですけど、今日のは、パリの場末のキャバレー風の猥雑さや軽みもあって、かなり楽しめる公演でしたニャー。

Gamba: うん。オケの連中もサイトーキネンよりはずっと乗りがよかったニャー。特に管楽器は音色からして、プーランクって気分を出してたねぇ。指揮の松尾もそこらへんの雰囲気をよく掴んでいました。

DeDe:あ、そうだ。舞台となっているザンジバル(Zanzi-Bar)はアフリカかどっかの国じゃなくて、架空の場所ですから。念のため。


この公演は9月26日午後3.00からも行われます。



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