エウリピデス 『メデイア』

ギリシャ国立劇場

1999年6月25日 第二国立劇場


(デデのひとりごと)

初台のオペラハウスでギリシャ国立劇場の『メデイア』を観てきました。国立劇場といっても、古典劇を復元上演するわけではなく、セリフは現代語、仮面もつけなければ、コロスも同じステージ上で演技します。

アルゴー丸に乗ってコルキス遠征を行ったイアーソンは、王女メデイアを連れて故郷イオルコスに帰還します。しかしここでも叔父を殺害し、コリントスに逃れます。ここで二人は幸福な10年を過ごすわけですが、イアーソンの心は いつしかコリントス王クレオンの娘に傾いてしまいます。言葉もわからぬ異境にたった一人放り出されたメデイア。乳母の口上に語られる背景はこんなところでしょうか。ちょこっと子供たち(白塗りの人形)の姿が見えて、ホール中に響き渡る悲鳴。何事かと集まってくるコロス(コリントスの女たち)。観客はすっかり狂女の登場を期待してます。

ところが、現れた女性は非常に理性的。およそ命あり、心ある生き物のうちで、女性ほど虐げられた境遇にあるものはないと、論理(ロゴス)を披瀝します。もともと三大悲劇詩人のうちでも、とりわけ弁の立つエウリピデスのこと、この悲劇では理性は女性の側にあることがはっきりと示されます。クレオン王が登場して、禍根を断つべくメデイアに即刻追放を言い渡しますが、この場面でも理を説き、クレオンの情けにすがって、1日の猶予をもらいます。この1日の猶予こそが、メデイアの緻密な計画を実行させるのに決定的な意味を持ちます。ついでイアーソンが登場しますが、ここでも、まるで法廷弁論のように緻密な論理を展開して、夫を完膚無きまでに叩きのめします。このあたり、エウリピデスのソフィスト的な弁舌の実に鮮やかなこと。主演のカリョフィリア・カラベテの演技も冷静沈着、感情に溺れることなく理不尽な夫の行状をなじる姿は、あたかも検察官のごとし。コロスは終始二人の間に位置して、溝の深さを印象づけます。イアーソンは面目丸つぶれ。

場面が変わってアテネ王アイゲウスが登場。この王様は子供ができないために、デルポイ詣でをして神託を受けてきた帰り道。メデイアは子づくりの秘薬をちらつかせ、アテネへの亡命を求めます。クセノス(異邦人)として生きる女が、確かな亡命先を確保したことで、復讐劇の準備が整うわけです。偶然とはいいながらも、退路を確保してからじっくり復讐に取りかかるあたり、女は怖い! 王家最大の国事行為たる子づくりがままならぬ王様と、自らの子供を殺めようとするメデイアの境遇。この強烈なコントラストがいっそう悲劇を際だたせます。

再度イアーソンが登場。メデイアは先ほどとはうって代わって弱い女を演じます。イアーソンも先ほどの口論が伏線になっているだけに、下手に出られると今度は仲直りせざるをえません。せめて子供たちだけはコリントスに留まれるように頼み込むと称し、子供たちに新しい母親へのプレゼントのベールと黄金の冠を持たせて、コリントス王女のもとへ使いに出します。しかしこれには毒が仕込んである。予定通り王女と、それを助けようとした父王クレオンは無惨な死を遂げます。予定外だったこと、それは、二人の子供が無事に帰ってきてしまったこと。使いに出した子供は巻き添えを食うか、捕らえられて惨殺されるか、しかもイアーソンの眼前で、そのいずれかを予想したにもかかわらず、無邪気に帰ってきちまったではありませんか。

綿密な計画ほど偶然の要素が入り込む余地があるわけですニャ。で、このため、メデイアは自らの手で子供を殺すことになるわけです。大詰め。二児を殺めたメデイアは、太陽神ヘリオスの馬車に乗って登場。今回は宙乗りというよりは、下から油圧ジャッキで押し上げた感じでした。全体に白が基調の舞台で、メデイアの赤いニットのロングドレスが、目にはひときわ鮮やかに映りました。

メデイアの守護神はヘリオスだったり地母神ガイアだったりと、明らかにオリュンポス以前の古層の神々です。ここらあたりが未開・野蛮を象徴しているわけでしょうが、事の理非を説く理性の女メデイアは、イアーソンへの復讐を成就して神の高みに登り詰めたわけですニャー。誰だい、母性が本能だなんて抜かす奴は?

というわけで、メデイアは無事アテネに逃れ、メデタシ、メデタシ。ん?

さてさて、この芝居が初演されたのは、時あたかも、ギリシャ世界が真っ二つに分かれて30年近く戦うはめになる、ペロポネソス戦争の開戦前夜。まさしくこの悲劇の舞台となったアテネの隣国であるコリントスには、スパルタ同盟軍が続々と集結している紀元前431年の春。前年秋に行われたペリクレスの開戦演説に熱狂したアテネの男どもは、戦争ガイドラインにもろ手を挙げて大賛成。もう戦争準備しか念頭にない。この初演に立ち会った人々の耳に、「女性ほど虐げられた境遇にあるものはない」というメデイアの言葉はどう響いたのか。人々の目にメデイアは幸福の使者と映ったのか、それとも・・・・・・ちなみにこの年のコンペティションでは、3人の競作者うち、堂々の第3位だったと記録されています。

余談ですが、メデイアとアイゲウスの方も最初からできていて、つまり、夫婦ともフリンフリンという設定にしちまった、後世の喜劇もあります。

メデイアのカリョフィリア・カラベテは理性の女の内面に潜む魔性を好演。イアーソンのラザロス・ヨルガコープロスは、無限上昇志向の男の弱さ、傲慢さ、みじめさをよく出していました。ちょい役ではありましたが、コリントスの王女と国王の死を伝える伝令も、その言葉の力強さが印象に残りました。現代語による上演ということで、言葉の抑揚、韻律には多少物足りない点が残りましたが、シンプルな舞台装置と、白塗り暗黒舞踏風のコロスなど、抽象化された演出が物語の筋道を整理して見せてくれたようで、まずまずの上演だったんじゃないでしょうか。

上演予定は6月30日まで東京。7月2日、富山。4日、大阪。6日、静岡。9日、京都。



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