カツアリス復活かっ?

オールショパン

葬送行進曲 ハ短調(Op.72)、前奏曲 第17番 変イ長調(Op.28-17)、幻想即興曲、
子守歌、マズルカ 変ニ長調(Op.57)、ポロネーズ イ長調 「軍隊」、ノクターン 変ホ長調(Op.9-2)、
舟歌、幻想曲

☆  ☆  ☆

葬送行進曲 変ロ短調(ソナタ第2番より)、ソナタ 第3番

1999年10月12日 上野文化会館大H



(いやあ十月も半ばというのに、暑いこと。神も仏もないものかと、愚痴の一つもこぼしたくなりますニャー。神無月だから神様がいないのは、あったりめーだとしても・・・いやいやいます、おりますです。ところは上野の「蓬莱閣」。4匹の神々が語らっておりますニャー。)



CoCo: 今年はプーランクの生誕100年といういうことで、すっかりその陰に隠れておりますが、実をいうと、何ということか、ショパンイヤーでもあるんですニャー。

ガンバ: ぜーんぜん隠れてないよ。ショパンの没後150年でしょ。

CoCo: おや、よくご存じで。まあ、そんなこんなで、ショパンイヤーの目玉といえば、なんたって今日のシプリアン・カツァリスのリサイタル。(あ、おねえさん、ビールね。)

ガンバ: あたしゃ、シューマンかリストを弾いてほしいんだけどニャー。

CoCo: まあまあ、抑えて。確かにカツァリスがショパンを弾くと、この作曲家が小者に見えちゃうんですニャ。だけど、日本だとこの手のお祭り企画に乗っからないとならないという面もあるわけで・・・ふにゃふにゃ  (それから、餃子も。)

デデ: カツァリスの魅力って何だろう。

ガンバ: 叙情性と、スケールの大きな表現。一見矛盾するようだけど、抜群の技術を持っているから、これが全然破綻しないのよね。

ブチッケ: オールショパンでプロを組むと、どうしてもサロン的な雰囲気になってしまうんだけど、カツァリスの場合には、そういったものに対する強烈なアンチテーゼを用意していますニャ。そこが一番の聴き所だと思うんですがニャ。ワルツ、マズルカ、ノクターンといったいわゆる小品でさえ、必ずと言っていいほど曲の内部を深くえぐり出します。

ガンバ: そうそう。今日のアンコールに弾いた嬰ハ短調のワルツ(Op.64-2)なんかそういった弾き方の典型ね。ピアノの初心者でも、それなりにルバートしたりして、何となく弾いてしまう曲だけど、カツァリスにかかると、「これがあの曲?」って思わず声に出してしまうほどアプローチの仕方が違う。ズン・チャ・チャっていう左手の伴奏音型の中からも対旋律を見つけだしてきて、右手と対話を始めるわけね。

デデ: シューマンを感じさせるようなショパンですニャー。サロン的演奏に慣れた人にはちょっと聞きづらいかもしれません。でも、ショパンの弟子たちの回顧なんかを読んでみると、ショパンは実演ではああいったことをやっていたらしいです。蒲柳の質だったってこともあるんだろうけど、ダイナミックの差だけではなくて、内声部やベースラインの進行にすごく注意を払った演奏をしていたようです。没後150年というわけで、今日のプログラムの前・後半の始めに葬送行進曲を配していたというのもちょっとこの手の演奏会では異例と言えば異例。

ブチッケ: 葬送行進曲から子守歌までをひとまとまりに弾いていましたニャ。ちょうど四楽章ソナタのように。弁証法的とは言わないまでも、起承転結をもった一つの作品のように聞こえました。

デデ: 連続した曲のように弾きながら、曲の移り変わりが鮮やかでした。特に有名な幻想即興曲の最後の嬰ハ短調の和音をペダルでずーっと残しておいて、そのまま変ニ長調の子守歌の最初の音に移行させてしまうところは、ハッとしましたニャー。

ガンバ: そういう意味でも、今日のプログラムはすごく練り上げられた物だと思う。

デデ: それから小品だけど、ロ短調のマズルカ。おいらはこれがググッと来たねぇ。変幻自在なテンポ感。NHKの番組でやっていた、ルバートAとルバートBの話そのままに、例えば左手はインテンポで右手だけルバートしたり。曲調が変わる瞬間に極端にテンポを動かすんだけど、それが人間の生理的な呼吸に実にぴったりあてはまってくる。あそこらへんが、演奏の普遍性という問題に対する一つの回答だと思ったですニャー。

CoCo: おいらは、有名な変ホ長調のノクターンがよかったな。子供でも弾く曲だけど、これは本当に心から遊んでいましたニャー。さっきから出ている言葉に引っかければ、典型的にサロン的な演奏がまかり通る曲だけど、あの曲でこんな遊びができるんだよって見せてくれたみたいだ。ショパンでよくやる弾き癖のようなもので、一オクターブの装飾的なアルペッジョを二オクターブに広げてみたりとか、最後の細かな装飾句を極端なほどに表情豊かに弾いてみたりとか、一つ一つを取り出すとどうってことはないんだけど、曲全体にそれを行き渡らせる神経というか集中力というのか、これは並大抵じゃないね。(ネーチャン、老酒おくれっ!)

ガンバ: 後半のソナタの3番がやっぱり最高だったと思うわ。冒頭に第2番の葬送行進曲を置いたのもよかった。葬送行進曲を静かに弾き終わって、右手を顎に持っていってしばし腕組み。考え込んでいる風でいて、その間、最後の音をペダルで残している。その音が消えないうちに3番ソナタ冒頭の下降アルペッジョが突如鳴り始めるっていうあたりの演出は、なかなか役者やの〜って思ったわ。

デデ: 葬送行進曲では低音の鐘の音がすごい響き方をしていましたニャー。追悼の鐘の音なんでしょうが、教会の鐘の音ってのは常に一定の強さのはず。でも、行進して近づくに連れてだんだん大きく聞こえてくるわけ。ピアノで表現する場合にはピアノ→フォルテで対照を付けるわけだけど、弱音で弾いていても本当は大きな音で鳴っているんだなっていう気分になっちゃうんだよね。

ブチッケ: そうそう、遠くで鳴っている大きな音を表現するのは難しいですニャー。

ガンバ: というわけで、久々にカツァリスが復活してきたようです。

CoCo: うん、アンコールの2曲目。お得意の嬰ハ短調のノクターンは涙がちょちょぎれました。前半はたっぷり歌って、例のピアノコンチェルト第2番のテーマが出てくるあたりから小粋に流して、そしてまた主題が戻ってきて、切々と歌い出す。最後の急速なスケールの粒立ちのみごとなこと。

デデ: お客さんもあっけにとられたというのか、しばらく拍手できませんでした。うん、カツァリスに復活の兆しありですニャ。



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