マウリツィオ・ポリーニのリサイタル

5月11日 サントリーホール



〔おさニャンさんのご投稿です)

POLLINIリサイタル  シュトックハウゼン他
98/5/11  Suntory Hall 最前列1-16,17,S席\14000×2,19:00−21:40

今日の演奏会をどのように表現すればよいのだろうか。確かに以前(80年代)に比べれ ば,技術,集中力,音色といったものに翳りが見えるのは仕方がない。彼は90年代に 入って明らかに衰えを見せている。現在の彼に,昔と同じ超人的な技巧と人間離れし た集中力を求めるのは最早無理,無い物ねだりだろう。しかし,ここには現代音楽の 弾き手としてはやはり空前絶後,唯一無二の天才ピアニストが居る,と言わざるを得 ない。POLLINIではなく,では一体誰が他にシュトックハウゼンをあのように弾ける だろうか。
演奏に先立ち,通訳を交え,自身イタリア語でプログラムの解説を行う。シュトック ハウゼンに加えてリスト,シェーンベルクの曲目の追加がある。無調音楽に至るまで の十九世紀からの作曲家の流れを簡単に説明する。難解と思われている現代音楽を少 しでも聴衆に理解してもらおうというPOLLINIならではの姿勢に好感が持てる。
開始の曲,リストの'灰色の雲'から今日は調子が良さそうだと感じる。早くも首から 上が赤らんでいる。'凶星!'も良い。'悲しみのゴンドラ','R・ワーグナー−ヴェネ ツイア'と一気に弾く。CDで聴くのとは大違いで面白い。曲への理解がまるで異なっ てくる。現代音楽は,会場に足を運んで,生で「観て」「聴く」のに限る。現代音楽 では視覚の要素が非常に大きい。この点,最前列(奏者から3m位しか離れていない! ),ど真ん中の席だったのは幸運だった。表情も顔色の変化も汗も鍵盤の上の指も丸 見えだ。
続いて,シェーンベルクが十二音音楽に入る前のOp.19の'六つの小品'。最小単位の 音楽。6つで5分強。これもレコードで聴くと面白くも何ともない曲であるが,Liveは 別。観る楽しみに倍加されて,音が素直に聴こえてくる。
いよいよシュトックハウゼン。89年来日時に聴いた恐るべき演奏が再現されるか... 。緊張に胸が高鳴る。第五。今回も板のボードに記譜された楽譜を用いる(眼鏡を用 いない所をみると彼はコンタクトレンズに変えたのだろう)。そして第九。ああ前回 と同じとはいかないけれども,やはりPOLLINI以外には絶対に聴けない音楽,音,世 界が眼前に拡がる。紛れもなく当代随一の「現代音楽の」弾き手がここにいる,と思 わないわけにはいかない。音が,ただ「音」のみとして聴こえる。他には何もない。
テープ音楽の'少年の歌'で第一部は終わり。第二部は同じくテープのみの'コンタク テ'。不気味な電子音楽の響きが次々に襲ってくる。解説には"一瞬の響きに注目し, その瞬間に集中してもらう云々"とあるが,35分にもわたって,古臭い電子音楽('50 年代作曲)を聴かせられるのは,少々苦痛でもある。POLLINIがこれをプログラムに載 せているのは,一体何を本日の聴衆に向かって伝えたかったのだろうか。率直にいっ て理解できなかった。ここでふたたび15分の休憩。

最後はやはりシュトックハウゼンの第十。上着を脱いで,手袋をはめて登場。引き出 すと同時に驚いた。腕で肘で,さらにはこぶしを握りしめたまま鍵盤を強打する。上 半身が右に左に大きく傾く。驚くべき音の洪水。演奏は困難を極めるのか,楽譜を読 むのが難しいのか,譜めくりの人もついていけない。全身でPIANOと格闘している奏 者。これが音楽なのか。これが現代音楽なのだ。
惜しむべきはやはり音が甘い。構成力も弱い。限界ぎりぎりまで自己を追い込んで弾 く以前の姿ではなかった。10年前に聴きたかった。それでもシュトックハウゼンの音 楽の恐ろしさ(難解さ!?)は十二分に伝わった。現代音楽には古典を演奏するのに比べ て,はるかに体力,技術が必要なのだ。
音楽は生身の肉体を持つ人間が奏でるものだ,ということに改めて気付かされた晩で あった。


(ガンバのひとりごと---おさニャン氏への返信)

実は昨日2人で行きましたが、前半で帰ってしまったのです。
おさニャンさんたちの席がどこか忘れてしまったり、人混みに紛れて
探し損ねてしまいました。ごめんなさい。

うーん、感想なんですが・・・
おさニャンさんの最初の印象と重なってしまいましたね。
それなりに期待していたんですが。

私の89年の印象でも、もっと音が繊細かつダイナミックで、
全体の構成感もはるかに、比べ物にならないほど、しっかりしていました。
しかも、自ずと湧きあがるような、何というか、音楽の中心
というか、精神というかあったように思います。
例えて言えば、長年修行を積んできた修行僧なのだが、
本来の宗教心を忘れてしまった人、のような・・・

技術的には決して水準は低くない演奏だとは思います。普通のピアニストと
比較すれば。
それに、あのプログラミングは?
全体の演奏会の半分がテープ演奏というのは納得できませんでした。
音響が強すぎるように感じました。耳の中が痛くなって
後半の30分には到底耐えられないと思いました。
クラシックを聴く人の耳って、繊細な音の方向にチューンナップ
されるのではないかしらん。
美しい現代音楽に接する機会は本当に希です
(元気なときのアルバンベルクカルテットとか)。

ダンナはこんな感想でした。
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あのねえ、あれは詐欺ですわ。ん〜ん。ポリーニって昔から
そうねえ、音楽の解釈がどうのこうのっていう演奏家じゃなくて、
どちらかというと感覚的な美しさとか、技巧の冴えで聴かせた
人でしょ。ありゃないよね〜。確かにペダルワークはすごくうまい
というのはわかったけど。300円でも堪忍してや〜。
あのステージ上の音大生たち拷問だニャー。
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うん十年前にドイツだかベルリンだかで、ポリーニの
現代音楽のプログラムを聴いたそうですが、まったく
違う出来だったそうです。音楽が消えてしまったと言ってます。

二人で話していたんですが、ポリーニはある時点から
形を放棄してしまったんじゃないでしょうか?
だから、現代音楽を中心に演奏する。でも、現代音楽にも
形や構成は必要なのではないでしょうか?

残念ですが、こういうこともあるんですね。
1,2ヶ月前から1回は行ってみたほうがいいかと
気に掛けていて、一応これで納得がいったような気がします。



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