ハルモニームジークの楽しみ

ベートーヴェン:管楽八重奏曲 変ホ長調 Op. 103
モーツァルト:13管楽器のためのセレナーデ 変ロ長調 K. 361 (370a)

パリ・シャンゼリゼ管楽合奏団とその仲間たち

11月23日 北とぴあ さくらホール



(デデのひとりごと)

モーツァルトはセレナーデとかディヴェルティメント(喜遊曲)ってジャンルの曲をたぁ〜くさん書いているんですニャー。しかも、これらの曲は管楽器が主役のものが大部分。モーツァルトのホントに無邪気な遊び心が満ちあふれた曲が多くて、デデはこの分野が大好き。セレナーデっていうんだから、たぶん楽隊を雇って、思いを寄せる女性の家の前で演奏させたりしたんでしょうが、この日のいわゆる「13管」はそれにしちゃちょっと規模がでかすぎる。それに4本のホルンを家の前でならされた日にゃ、うるさくっておちおち寝てられニャーだ。だからというわけじゃないけど、これはセレナーデといっても、現実的には食卓の音楽(ターフェルムジーク)の方だったんでしょうね。地獄落ちの直前に、ドンジョヴァンニが楽隊の演奏を聴きながらひとりで食事をしている場面がありますニャ。あんな感じで、サロンや宮廷のBGMとしてこの曲は演奏されたんでしょうか。

これはとにかく長大な曲です。たぶんどの交響曲よりも長くて、楽器編成も多彩です。演奏にも1時間近くかかる大曲。ステージにかかることは滅多にありませんが、モーツァルトの作品の中でも傑作中の傑作と言ってもいいでしょう。モダンのオケでたま〜〜〜〜に演奏されることがありますが、楽器編成がナンですから、どうしても「ブカブカ・ドンドン・ピ〜ヒャララ」っと、要するに上質のブラスバンドの雰囲気になっちまうんですニャー。

その楽器編成ですが、オーボエ、ファゴット、クラリネット、バセットホルンが2本ずつ。それにフレンチホルンが4本とコントラファゴット。バセットホルンちゅうやつは、クラリネットのちょっと大型のやつで、たぶんF管でしょうか。モダンのバセットホルンはバスクラリネットに似た形の黒檀製ですが(木でできたサックスみたいな感じ)、この演奏会で使った楽器は中央のジョイントからくの字に折れ曲がっている時代楽器。朝顔が真下を向く形で吹くことになります(オーボエ・ダ・カッチャとか、バロック時代の楽器も同じような形をしていますね。要するに管が長くなると、右手が穴に届かなくなるんで途中で折り曲げてあるわけですニャ)。

13管といっても、全部が独立しているわけではなくて、オーボエ・ファゴットのカルテット、クラリネット属のカルテット、それにホルンのカルテットという3つのグループがあって、その中央でコントラファゴットがあっちに付いたり、こっちに付いたりという関係になっていると考えたら、少しはわかりやすいでしょうか。ただこの関係は硬直したものではなくて、オーボエとクラリネットが掛け合いをしたり、ホルンとクラリネットがアンサンブルを繰り広げたり・・・とにかくいろんなアイディアがタント詰まった曲です。

冒頭のラルゴの前奏、全部の楽器がフォルテで鳴り始めたとたんに、18世紀のウィーンにタイムスリップでんねん。音のバランスは現代楽器と異なり、ホルンがかなり前に出てきます。でも3拍めでピアノになり、柔らかなクラリネットのスケールが心地よく耳を撫でて通り過ぎて・・・またホルンの咆吼。モダンの楽器に慣れた耳にはちょっとアンバランスかなと思えますが、モーツァルトの聴いた音はこういう響きだったんだニャーと納得させられます。古楽オーケストラを聴くと、洗練されたモダンな響きとはかなり違うのに違和感を感じる方もいるでしょうが、現代楽器と違うアンバランスな響きっていうもの、慣れてくると面白いものよの〜。完全に統率された現代オケ異なり、ここぞってところで後方の奏者がしゃしゃり出てくる。そんな生き生きとした自発性が古楽の魅力です。

第3楽章のアダージョは映画「アマデウス」の中で、サリエリがモーツァルトの才能にびっくり仰天する場面で使われていました。ザルツブルクの大司教猊下の宮殿。モーツァルトが例の如く、スカトロな文句を言っては「キャハハハハ」と奇声をを上げて女の子といちゃついていると、隣の部屋でこの曲の演奏が始まる。「あれっ、僕の曲だよ〜」とか言いながら隣室に急ぐモーツァルト。音楽の美しさに驚嘆しながらも作曲者は誰だろうと、影から様子をじっとうかがうサリエリ。たぶん歴史的には正しくないフィクションの場面ですが、才能と人格の乖離を余すところなく表現した場面でした。よくいるでしょ。めっちゃくちゃ切れ者だけど、性格は幼児丸出しとか、逆に切れ者の上に性格も鼻持ちならないやつとか。

ただ一つ。あれを演奏していたのがアカデミー室内管弦楽団という点だけが、今となると残念至極。サー・ネヴィルが悪いワケじゃないんだけど、今あの映画をみると演奏がやけに古くさく感じてしますのです。そう、古いものを発掘してより新しい表現の可能性を開いているのが現在の音楽界の状況でしょう。古いものほど新しい。

それで、このアダージョ。伴奏の音型は終始一定で、その中からオーボエやら、クラリネットやらがフワッと浮かび上がってくる仕掛けになっています。ソロを吹き終えるとまた自分のパートの伴奏音型に戻る。単調な伴奏とそこはかとない哀愁を帯びた旋律。この対比がすばらしい。しかも演奏者が自分の役割を熟知していて、引くところは引く、出張るところはちゃんとしゃしゃり出る。サリエリが天才を知るきっかけになった演奏もきっとこうだったに違いない。

冒頭のオーボエのメロディは、再弱音からフォルテシモまで一音のなかで登り詰めます。ここらへんのマルセル・ポンセールの技術もすごい。後で譜面を見たらPとしか書いていないんですが、出るところはちゃんと出なきゃならニャーだ。(ポンセールはたぶん今年になって3度目の来日ですか。トントンのオケだったり、ヘレヴェッヘのとこだったり、来る度に所属が変わりますニャー。)この旋律はすぐにクラリネットに渡されて、またオーボエに戻って来ます。譜面で見ると2小節かそこらの切れ切れの旋律にしか見えないんですが、各パートの受け渡しが絶妙で、すごく息の長〜〜〜いフレーズが存在するかのように聞こえるんですね。すごい。モダンの楽器でやる場合には10分以上かかる楽章で、デデには今までちょっと長すぎて退屈な楽章だったんですが、この日の演奏は普通より3割ぐらいは速い感じだったでしょうか。7分ほどでした。このテンポだとモーツァルトが書いたとおり4/4拍子なんだってのがよくわかる。遅くやられると8/8拍子なのか、16/16拍子なのかほとんど拍節を越えたマーラーのような世界になっちまうんだよ。

このほか書きたいことはたくさんあるんだけど、とりわけ印象に残ったのが第5楽章のロマンツェ。その昼間部の、いや中間部のアレグレットの部分。猛烈なスピードで短調のアルペッジョを吹きまくる、あそこのファゴットの名人芸はすさまじかったですニャー。小林秀雄風に言うならばまさに「疾走するスカトロ」。いや違った「疾走する悲しみ」。山口昌男流に言うなら「疾走する道化」。

まあ、とにかく楽しい演奏会でした。アンコールはもちろん第3楽章のアダージョ。えーと、パリ・シャンゼリゼ管楽合奏団とその仲間たち(L'Harmonie des Champs Elys仔s and Friends)という奇妙な名前の団体でしたが、その“Friends”に入るんだと思いますけど、日本人のトラが4人(クラとバセットホルンの2番、ホルンの3番4番)大健闘でした。特に4番ホルンを吹いていたかわいらしい女性奏者、なかなか太い音でよかったですニャー。日本人の古楽器のホルン奏者なんていたんですねぇ。

あ、それから、前半にはベートーヴェンの八重奏がありました。でもねぇ、眉間に縦皺を寄せてる人が書いたディヴェルティメントはねぇ・・・




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