<<春の二国>>

3月13日 カルメル会修道女の対話
3月18日 ラインの黄金
4月9日  ワルキューレ


新国立劇場



デデ: え〜と、2月と3月はバレエを見ました (=^^=)

ガンバ: 「ライモンダ」と「バレエ・ザ・シック」っていうコンサートね。ライモンダはそりゃもう二国の十八番。アメリカ公演もこなしてきて、いっそう磨きが掛かった舞台でした。こんどはボリショイに持っていくんだそうですニャー。もう一つのバレエ・コンサートのほうは、バランシン、サーブ、ドゥアトという3人の振付師の作品が舞台に上がっていましたが、あたしはドゥアトが振り付けた「ポル・ヴォス・ムエロ」っていうのが面白かったな。サバールの音楽に乗って、どことなくいにしえのスペインのムードが漂っていました。

CoCo: ぼくは何て言っても、チャイコフスキーの音楽で踊るバランシンの「セレナーデ」が圧倒的に面白かった。二国のコール・ド・バレエの神髄を見たよ。もっとも全員ソリストクラスが踊っていたみたいだけど。

ブチッケ: あたしもどちらかというと、バランシンに一票。まあ、あまりにも古典的ではありますが・・・

デデ: で、バレエの話はそのくらいにして、新教のセクトに関してはマックス・ウェーバーが詳細な研究を残していますが・・・

CoCo: お〜っと、いきなり来ましたニャー (=^^=;; まあ、そうですな、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。

ガンバ: イタリアやスペインみたいなカトリックの強いところ、そしてドイツのようにルター派の信仰が根強いところで、なぜ資本主義化が遅れたのか。オランダ、イギリス、アメリカなどカルヴィニズムが浸透した国々でなぜ早くから資本主義が花開いたのかって問題を、宗教のセクトを詳細に分析することによって、人間のエートス、あるいは資本主義的行動様式に及ぼすセクトの影響という観点から解明した論文だったわねぇ。

デデ: 然り。ところで、カトリックだって決して一枚岩だとは言い切れないと思うんだ。イエズス会みたいなおっそろしい武闘派もあれば、70年代にかなり話題になった解放の神学なんてムーブメントもありましたよねぇ。

ブチッケ: 今でも活動しているのかもしれないよ。あれはバチカンとはかなり険悪な関係になっていたけど、中南米の神父にはかなりの支持者がいたらしいよねぇ。教皇庁も破門はできないけど、さりとてイエズス会みたいに内部に取り込むわけにもいかない。教皇から見れば黒い羊。

デデ: そういうのって日本では半ばゴシップ的に取り上げられたり、翻訳小説の題材になったりはするけど、カトリック内部のセクトを分析した研究って、まとまったものはあるのかなぁ?

ブチッケ: さぁ、聞いたことないねぇ。でも、3月に二国の研修生の公演、プーランクの『カルメル会修道女の対話』ってやつを見て、まさにそこらへんをもうちょっと知りたいなって気になりましたニャー。

ガンバ: でしょ! 革命と宗教という、ありがちなテーマを題材にしているんだけど、なんかしっくりこないストーリーだよね。

CoCo: 1789年、貴族の令嬢ブランシェは迫り来る革命から身を隠そうとして修道院に入る。だけど、いよいよというときに逃げ出してしまう。でもやっぱり、逃げ切れるもんじゃなくて、最後は自らの意志で断頭台の露と消える。まあ、こんなような筋書きなんだけど、台本が矛盾だらけというか、緩すぎて、何に焦点が当たっているか、何が本筋なのか見極めるのが難しい話だよねぇ。

デデ: 修道院に入るときにはやけに厳しいことを言っていた修道院長が、いまわの際に錯乱して神を呪ってみたり、通夜の寝ずの番をしていたブランシェが怖くなって部屋から逃げだそうとしたり、こういった細かなエピソードが積み重ねられていくんだけど、それぞれ緻密な心理描写を施された音楽に乗って淡々と進んでいく割には、その意味が全くわからない。どれが芝居の本筋に関わる話なのか、全く不透明なままずるずる話が進行するんだよねぇ。

ブチッケ: え〜と、プログラムによると、「E. ラヴリー氏から上演の許可を得た、3幕12場のオペラ。G. v. ル・フォールの小説と、R. L. ブリュックベルガー、P. アゴスティーニのシナリオからインスピレーションを受けた、G. ベルナノスのテクストに基づく。」ということですよ。これ重要!

デデ: なるほど! そうだったのかっ!

ガンバ: 一番印象的だったのは、修道院から逃げ出して家に戻ったブラシェに会いに、マリーという怖い修道女が尋ねてきたシーン。対話の内容はどうでもいいんだけど、突然男の声が響いて「おい、買い物に行ってこい!」 この一声で一場がさっと終わる。あそこはなかなかだったね。父親が死んだ家で、男に養われているっていう含意がみごとに表現されていた。

デデ: 全く意味不明な箇所っていうのもいくつかあったでしょ。たとえば、これは本筋中の本筋だけど、革命勢力によって修道院から追い出される直前に、たいして深刻に語らうわけでもなく、わ〜っと盛り上がって「全員で殉教する」なんて決めちまったところ。あそこは薄ら寒い集団心理を見せつけられたね。あの瞬間にカルメル会というやつがカルト集団だっていうことが判明する。生キャラメルを作っているだけじゃないのだ。あの狂信的なエートスというかマンタリテは一体どこから来たんだろう? ここらへんカトリックのセクトに関してちょこっと好奇心が刺激されますニャー。十数年前、富士山麓を根城にして大活躍したとあるカルト集団を彷彿とさせるんですよ。

ブチッケ: カトリックは今でも女の聖職者は認めていないでしょ。だから女の信徒は殉教者になるっていうのが、身を立て名を上げる一番の方法なのかな、なんて思いましたがニャー。

ガンバ: でもそれじゃ、身を立てるどころか、身を滅ぼすだけじゃない。

ブチッケ: まあね。健康が一番! 健康のためなら死んでもいいって人だって、なきにしもあらず。一方で尼さんたちにミサを上げてやっていた(もちろん男の)司祭は、賢明にも変装して市井に消えて行きましたですな。

デデ: もう一つ、全然わからなかったところ。え〜と、平服に着替えて尼寺を退去した後、なぜか修道女たちはコンシエルジュリに捕らえられている。なぜだ?

CoCo: え〜とですね、台本にはないですが、彼女たちは革命委員会に乗り込んで、サリンちゃんをぶちまけたんですニャー (=^^=;; そのくらいのことをしなけりゃ、全員死刑の宣告が下されるわけないでしょう。

デデ: じゃあ、なんで男に囲われていたブランシェが、最後の最後になって断頭台に上ったんだ。サリン事件の時モスクワにいた某氏と同じく、完全なアリバイが成立しているじゃないか。

ブチッケ: そんな矛盾だらけの芝居でしたが、プーランクが書きたかったのは最後の「サルヴェ・レージーナ」なんだろうなぁってことは何となく伝わってきた。

CoCo: うん、引かれ者の小唄って雰囲気だったけど。

デデ: 演出、特に装置は簡潔だけども、効果的なライティングと相まってなかなかよかったと思う。ブランシェが修道院に入ろうとして院長と面会する部屋の格子窓が、大詰めではコンシエルジュリの監獄の鉄格子に転用されていて、象徴的でもあり、すごく効果的だったね。さすがにフランス人の演出家(ロベール・フォルチューヌ)だと思った。

ガンバ: ジェローム・カンタンバック指揮の東京ニューシティ管弦楽団っていうのも、かなりリハーサルを重ねていたみたいで、なかなかいい音楽をやってたと思うわ。欲を言うとプーランクの透明なハーモニーにはもう一歩の修練が必要なのかもしれないけど。歌手も研修生とはいえ、かなりのレベルだったと思う。実際のキャストの側には何の問題もなかったと思うけど、やっぱり作品がねぇ。

ブチッケ: それはともかく尼さんていうのは、やたらとしゃべる連中なんですニャー (=^^=;;

デデ: さてさて、3月と4月には「ラインの黄金」と「ワルキューレ」がありました。これは再演ですから、さっと手短にご感想を。

ガンバ: 指揮にダン・エッティンガーを抜擢したのは大成功だったと思う。前回からずいぶん時間が経っているけど、音楽のスケールが段違いに大きくなった気がしたよ。

CoCo: 「ラインの黄金」ではローゲのトーマス・ズンネガルドとアルベリヒのユルゲン・リン、それにエルダのシモーネ・シュレーダーがいい芝居をしてましたニャー (=^^=) 「ワルキューレ」ではヴィブラートが強烈だったけどフンディングのクルト・リドルが貫禄。あとはジークリンデのマルティーナ・セラフィン、ヴォータンのユッカ・ライジネンなど歌手が全般的にかなりハイレベルだったと思うけど。

ブチッケ: そうですニャー。今回は歌手が粒ぞろい。なかなか豪華なキャストでした。エッティンガーと東フィルも大健闘していたし、賛否両論喧しいのはわかっているけど、エッティンガーがやろうとしてる音楽はよくわかった。かなり大時代的な、あるいはロマンティックな、グランドマナー風の巨大なスケールの音楽を目指しているみたいだけど、東フィルもその要求によく応えてはいたと思う。だけど、もう一歩何かが足りないのかな。

ガンバ: すごく息の長〜い音楽を指揮者は要求していたけど、盛り上がりの頂点に達する前にオケが目一杯になっちゃうんだよねぇ。

デデ: 再演ですし演出は別に話題にすることもないでしょうが・・・

ガンバ: あたしはね、一言だけ言っておきたい。ウォーナーだっけ(?)この演出やったの。もうこれは二度と見たくない。とにかくチープなのよ。「黄金」の大詰め、ドナーが雷を鳴らし、フローが虹の橋を架けて、神々がワルハラに入城するシーンで、天井から七色の風船が落ちてくる。「ワルキューレ」第一幕大詰め、ジークムントが「冬の嵐を追い払い」と歌い、ジークリンデが「あなたこそは春」と応えると、舞台の床から緑色の矢印がにょきにょきと生えてくる。第二幕の冒頭ではブリュンヒルデが「おまる」の馬に乗って「ホヨトーホ」と歌いながら登場。とにかく説明的に過ぎるんだよね。この演出。幼稚園の学芸会レベル。

デデ: 1階と2階の後ろのほうはかなり空席が目立ったし、もうこの演出は飽きられてるね。アルベリヒ的観点から、女性を徹底的に醜く描いたっていう点では斬新だったのかもしれないけど、もうよい下がれって感じかな。観客の想像力を刺激しない演出は本当に邪魔ですね。たぶんクイズ番組なんかが好きでよく見ているような人には、「あれはこれこれしかじか」って講釈ができて面白いんだろうけど。



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