カルメンその他芝居など・・・

2007年12月6日 新国立劇場


デデ: ちょこっと気分を変えて、10月から11月にかけて3つほど芝居を見に行きました。二国の支配人はオペラだけじゃないんで、演劇にもバレエにもそれぞれ芸術監督というのがいるんだそうです。で、演劇部門もこの秋に監督が交代して、鵜山仁という人になったんだそうな。その最初の企画が「三つのギリシャ悲劇」と題する3作品の上演。すべて書き下ろしで、初演と言うことになるんでしょうか。

ブチッケ: 最初が「アルゴス坂の白い家 −クリュタイメストラ−(ママ)」。台本は川村毅、演出が鵜山仁。ご存知「エレクトラ」の翻案ですが、起こるはずの悲劇が起こらないまま、ずるずるとなが〜〜〜〜〜〜い芝居が続くんですニャ。クリュタイメストラという名の大女優を演じた佐久間良子が、おっとりとしたいい味を出していましたが、エレクトラの小島聖は体当たりの演技というのか、最初から終わりまでシャウトしっぱなし。磯部勉以下男優陣も何となく場違いな芝居だなぁって感じで、ウロウロ。最後には跳ねっ返りのエレクトラが、花咲く丘の白い家に戻ってくるという、ナンチャッテ悲劇でございました。

CoCo: きっと不条理劇っていうんじゃない?

ガンバ: かもね。唯一面白かったのは、小林勝也っていう人が演じた新宿中央公園在住のエウリピデスさん。あの滑舌はみごとだったよ。ただ、台本のせいなのか、演出の問題なのか、芝居の中にプロセニアムを何重にも仕掛けるんだけど、それが全然生きていなかったし、必然性もなかったね。

ブチッケ: まあ一番外側の枠は、エウリピデスに血塗られたアトレ薄毛の、いや間違った、アトレウス家の系図を説明させるために作られていたんだろうが、その内側、さらにエレクトラの芝居そのものとの有機的関連はまるでなかったですニャー。
2作目は鄭義信作、鈴木裕美演出の「たとえば野に咲く花のように アンドロマケー」。ヘクトールの妻。旦那と子供を殺され、アキレウスの子ネオプトレモスの妾として異国に連れ去られた、あの悲劇の主人公ですニャー。

デデ: 舞台は朝鮮戦争当時の博多・・・かな? ダンスホール兼売春宿。ヒロインの七瀬なつみは実は朝鮮人。ヒーローの永島敏行は戦場での暗い過去がある。とまあ、何やら問題ありげな設定ですが、その問題意識が収斂していかないもどかしさったら・・・。現代演劇に不可欠な(?)シャウト専門の山内圭哉も、イマイチからみが足りない。まあまあ、いい味を出していたのは、売春宿のオカマ経営者を演じた佐渡稔ぐらいかなぁ。

ガンバ: ドタバタした割には、女給たちのお腹がみんな大きくなって、メデタシめでたしって、一体何よ? これが金取って見せる芝居かっっ。

ブチッケ: と一喝が入ったところで、第3作「異人の唄 −アンティゴネ−」ですが、土田世紀作で、鐘下辰男の脚色・演出。

CoCo: もうこれになると、何が何やら・・・土居裕子、純名りさの両ヒロインは何となくアンティゴネとイスメネの性格を醸し出してはいたようだけど、木場勝己、小林十市、すまけいあたりはどうもねぇ。役者の問題というよりは台本やら演出の問題が多すぎましたニャ。

デデ: 寒々とした北国の海岸に櫓が一つ。荒涼とか、貧困とか、恐怖とか、そういったイメージを喚起すべく芝居が進行するんだけど、3作の中で一番台本の作りが粗雑だったかな。悲劇っぽくコロスも登場するんだけど、シャウトというかシュプレヒシュティンメというのか、ただ怒鳴っているだけ。騒音としか思われない音楽に合わせて踊りを踊って見せるんだが・・・ありゃちょっと・・・どうにかして欲しい。連中としてはウェストサイドストーリーかなんかのつもりなのかな?

ガンバ: あは〜ん。この3作目にしてやっとわかったわ。悲劇は死んでしまっていたのよ。プログラムにはっきり書いてある。

ジョージ・スタイナーの『悲劇の死(1961)』は、形式としての「悲劇」に死を宣言した。以後四十数年、「悲劇」はもはや不可能とされ、それにとって代わって、不条理な絶望を謳うか、悲劇的結末に至らない茶番劇を再生産するのかが定番となった。(プログラム22ページ)
デデ: わぉ。まさにこれだね! こういった基本的重要事項は、総ルビ総ゴシックでチラシにもはっきりと明記して欲しいね。「三つのギリシャ悲劇」と銘打ったチラシをまいているわけだから、客は詐欺にあった気分。さすがに国立劇場。3回にわたって定番を再生産して見せてくれたわけだ。スタイナーって方も、作り手の側の創作上の隘路はともかく、見に来る客のことは考えないのかなぁ。まあ同じことが、美術、音楽など芸術全般にみられるわけなんだが。(以上、役者やら劇作家の名前と顔はぜ〜んぜん知らないので、プログラムを見ながら思い出していたんですが、勘違いしていたらゴメンナサイね。)

CoCo: そこで本題のカルメンですが、実は今回は新演出で、しかも演劇とオペラのコラボとでもいうのか、鵜山仁という人がオペラの演出に出張ってくるというわけで、巷では全然話題にもなりませんでしたが、オーソドックスな定番を3つも見てしまった後なんで、かなり不安を抱いて出かけたわけでした。が、結果的には・・・

ガンバ: よかったじゃない。群衆の扱い方がやや雑だったけど、全体としてはなかなか見せる舞台たったと思うよ。

CoCo: だよね。二国では、え〜と名前は忘れちゃったけど、さんまの別れた女房と結婚した演出家が、とんでもないマクベスをやって顰蹙を買ったことがあったでしょ。あれを覚えているからちょっと心配だったけど、この人は大劇場の演出もできる人みたいだよね。

ブチッケ: 何より、せめて芝居と音楽を邪魔しないで欲しいっていうのが、最近のオペラ演出家に対する客の要望だと思うけど、この点は十分クリアしていたと思うね。悪くはない。

デデ: タイトルロールはマリア・ホセ・モンティエル。10月のタンホイザーに続いて主役が交代という「悲劇」が続いたんですが、このモンティエルっていうメゾはなかなかよかったですねぇ。本場スペイン生まれ(フランスオペラですが)、可憐な容姿と、爽やかな歌声が印象に残ります。フジテレビの夜中のニュースで、眠たそうな顔をしてニュースを読んでいるアナウンサーにどことなく似ています。ま、あれほど目が垂れているわけじゃないけど。最近はどうもスラブ系のドスが利いたカルメンが多いせいか、こういうカルメンはかえってすがすがしい。でも、ちょこっとした節回し、小節の聞かせ方なんかは本場もんですニャー。

ガンバ: そうそう、ハバネラもそう粘っこい歌い方じゃないんだけど、「私が惚れたら覚悟しな」のあたりにちょっと凄みを効かせたり、あるいは鼻歌っぽくあしらってみたり、魔性の女カルメンのいろんな側面を歌で表現していたと思うな。

CoCo: ホセは、いかにもひ弱なお坊ちゃんといった感じに演じる歌手が多い中、トドロヴィッチというテノールはしっかりと性格や心の動きを表現していたね。それからミカエラの大村博美も、耐える女を好演。この人、やっぱり「ちょちょさん」の印象が強いけど、演技もうまいと思うよ。

デデ: エスカミーリョのヴィノグラードフってのはよかったねぇ。二国の今までの公演では、闘牛士がちょっと弱いなぁってことが多かったと思うんだけど。2幕は吐き気がするほどキザったらしくやってくれないと、芝居が締まらないよね。

ガンバ: それになかなかいい男だったし!

ブチッケ: あたしゃも少し背が欲しい(ヴィノグラードフ♪)・・・3幕の岩山の場面ではなかなか心理的な演技もうまかったね。

デデ: 総じて歌手は好調だったですニャー。ジャック・デラコート指揮の東フィルも、細かいミスには目をつぶるとして、上々の演奏だったと思う。楽譜の指定では四分音符=120というテンポなんで、よく時計代わりに使われる前奏曲ですが、とんでもない速度で飛び込んじゃったよね。

ガンバ: あたしもいきなりヒヤッとした。

デデ: あのテンポだと管楽器が大変。一体どうなるんだぁと思ったんだけど、「運命の動機」からしっかりと落ち着いてきて、幕が上がるとむしろ通常よりも遅めの感じでした。特にアリアでは指揮者が出しゃばるよりも、歌い手さんにじっくり歌ってもらって、それに寄り添うようにオケが手を差し伸べるっていう雰囲気でしたニャ。

ブチッケ: だから歌手が思い入れたっぷりに小節を聞かせたりしていると、どんどん遅くなっていって、最後は予定時間より15分ぐらい延びちゃったかな。でも決して舞台の進行を妨げるようなことはなかったし、歌もたっぷり聞けてよかったよ。

デデ: 前回までは藤原オペラの製作だったか、二国との共同製作だったか、とにかく舞台の底が抜けるんじゃないかと心配になるような大合唱団が乗っていたんですけど、今回の演出ではそこらへんうまく透かしてちゃんとした芝居になっていました。

ガンバ: 4幕の珍奇な回り舞台もなくなって、祝祭と殺人とのコントラストが生きてきたよね。

デデ: まあ、このくらいのレベルの上演をしてくれれば、お金を払ってお客さんが来ますニャー ヽ(=^^=)ノ

CoCo: とか何とか言いつつ、この週はもう一つホールオペラを見に(8日、東京芸術劇場)・・・
池袋で「道化師」がかかるってワケで、ふらっと行ってみたんですが、これはまあ、クピードの立派な声を聞いてきたということでいいかな?

ガンバ: 感想としてはそういうことね。読響が池袋でたま〜にやっているシリーズみたいだけど、オケはなかなかご立派。特に反響板をオルガンが隠れるくらいまで下げたんで、よく響いていましたニャー。通常の舞台の上にオケ。その客席側に仮設の橋掛かりと演台を作って歌手が歌うわけで、歌手にとっても声がよく通る。歌手はどうやってきっかけを掴むかというと、演台の前にモニタが置いてあって、どうやら指揮者が映っていたみたい。

デデ: そんなことはどうでもいいんだけど、春にカヴァレリア・ルスティカーナをやって、キャンセル魔のジョン・健・ヌッツォだっけ?なかなかいい芝居を見せてくれたじゃない。それでまた行ってみようかと思ったんだよね。それとチラシによると演出の光瀬名瑠子という人が、イタリアでコメディア・デラルテを勉強してきた人だというわけで、ちょっと興味が湧いたんだけど、結果的には演出はさほどのことはありませんでした。

ガンバ: そうね。劇中劇が始まってから、ちょっとコメディア・デラルテらしい動作が使われていて、それはそれで面白かったけど、どちらかというと演出はなくてもいい、あるいはない方がいい舞台だったかな。劇中劇付きの元の台本の外側に、子供のレオンカヴァッロとその父親というプロセニアムをかぶせてしまったでしょ。現実と芝居との境目が余計な外枠のお陰で曖昧になって、ついに芝居の中で(現実の)妻を刺し殺してしまうという本来の心理劇的な構造が、なんか昔話みたいな、現実離れした「お芝居」って感じになっちゃったよね。あれじゃせっかくの音楽の力が半減。その上、トニオって一体何なのって疑問まで残してしまって。

デデ: この人もオペラの演出は初めてだったみたいだし、いい教訓にしてくれればってことかな。え〜とそれから、ネッダを歌ったミナ・タスカ・ヤマザキという人、日本人らしいですが、覚えておいていいでしょう。ブリュンヒルデなんか歌ってもらいたいくらい、スピントの効いたソプラノでした。


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