トン・コープマン リサイタル

2003年10月29日 チェンバロ&オルガン 所沢ミューズ
2003年10月30日 チェンバロ 東京カテドラル


デデ: え〜と、コープマンは3年ぶりの来日ですニャ。前回はマタイ受難曲がメインで、確か放送用にブランデンブルクを収録していきました。で、今回は完全なソロリサイタルでの来日です。首都圏だとオルガンは所沢でしか弾かないようなので、航空公園という新開地まで出かけてみました。

CoCo: 結構大変かなぁと思ったけど、それほど不便というわけでもなかったよね。でも、駅を降りてびっくりしましたニャー。演奏会の前にちょっと腹に入れておこうかと思ったんだけど、駅前から市役所前を通るメインストリートに「店」というものが存在しない。

ガンバ: バスは夜中の1時台まで頻繁に出ているみたいだけど。スーパーもないっていうのは一体なぜ?

ブチッケ: 猫の子一匹出ませんでしたニャー。「死して屍拾う者なし」って環境ですニャー。ここらへんは行き倒れも多いって話だし。

デデ: ヲイヲイ。さて、この日は前半がチェンバロで後半がオルガン。チェンバロを弾き出したとたんに、「お、お、音が・・・」

ガンバ: 聞こえなかったのよね。アクションの雑音ばかりが拡大されてしまって、肝心の楽音が聞こえないのよねぇ。このばかでかいホールでチェンバロの演奏会をやろうっていう主催者の気が知れないね。まあ、あたいらはチェンバロのすぐそばで聞いていたから、なんとか音のカスから実体を想像することはできたけど、平土間や奥の方の席の人には、音が届かなかったんじゃないかなぁ。

CoCo: まあそれはともかく、最初のフォルクレからトントン節が全開。こういうユーモラスな曲を弾くとコープマンの性格が露わになりますニャー。この日のチェンバロで一番面白かったのは何と言ってもブクステフーデのト短調の前奏曲。普通オルガンで弾く曲なんだろうけど、2段チェンバロのレジスターを上手く弾き分けて、曲の構成を鮮やかに描き出す演奏だったよね。

ガンバ: ドライなホールだっただけに、オルガンじゃなくてチェンバロで演奏して、曲の意味がよくわかったってところかな。ルイ・クープランのパッサカリア ハ長調はちょっと期待していたんだけど・・・

デデ: こればっかりは、楽器の音色を味わえないことにはどうもなりませんなぁ。え〜と後半は、と言っても、休憩前にオルガンの演奏に突入しちゃって、ブクステフーデとクープランまで弾きましたニャ。さすがにオルガンになると壮麗な音が響き渡りましたが、このオルガンやホールの特性なのか、それともコープマンのストップの選択によるものなのか、かなりくっきりと明瞭な音楽が鳴っていたと思います。

ブチッケ: ま、それは、両方だと思いますニャ。確かに音量で圧倒するような演奏じゃなかったし、パッサカリアやシャコンヌといった曲で低音主題を強調するにしても、音楽全体の構造を崩さないコープマンらしいバランス感覚が冴えていたと思いますニャー。

ガンバ: やっぱりブクステフーデってすごいね。どこがすごいってあの自由闊達な音楽の構成。バッハになるとちょっと形式感が先立ってお上品になっちゃうけど、ブクステフーデの奔放な音やリズムの扱いは聞いていてウキウキしてくるわね。

CoCo: まあそれは、コープマンの演奏にもよるんだろうけど、この日は特にペダルの切れ味がよかったですニャー。前奏曲とフーガとシャコンヌ ハ長調のペダルソロもバリバリっと聞かせてくれたけど、面白かったのはフーガ ハ長調かな。すごくモダンなリズム感で生き生きとした音楽を聞かせてくれたと思う。

デデ: フランソワ・クープランの修道院ミサからの2曲は柔らかい音色のストップを使って、華麗な響きを出していたね。最後にバッハを4曲弾いたけど、堂々とした幻想曲 ト長調に続いて『いざ来たれ、異邦人の救い主よ』BWV659でしっとりとした味わいを聞かせたあと、フーガ ト短調ではアーティキュレーションを効かせてくっきりと各声部を描き、最後のパッサカリアでは堂々としたペダルのリズムに乗って、壮麗な響きを聞かせてくれたね。

ガンバ: さて翌日の関口教会でのリサイタルですが、こちらはチェンバロ曲のみのプログラム。所沢とは正反対の響きすぎるホールよね。残響が長すぎる。でも所沢のホールみたいに、余計な雑音が増幅されることはなく、むしろ撥弦(プラッキング)の音がくっきりと響いて気持ちいい音になっていたんじゃない。

ブチッケ: そうですかな? なんか音が響きすぎてまるでオルガンのように響きが混ざり合い、トントン特有の鋭いアーティキュレーションがよく聞き取れなかったんだが。まあ、響きとしてはある意味で心地よい音だったのは確かだけど。

CoCo: 最初のスウェーリンクからコープマン自身が音楽を楽しみながら弾いているっていうのがひしひしと伝わってきたよね。「大公のバッロ」のウキウキするような舞曲のリズムとか、それがディミニューションで細分化されていき、ほとんど音階練習のようになっても、舞曲の楽しさが失われない。ホールの響きが邪魔していたけど、やっぱり明瞭なアーティキュレーションで弾いているからそれが伝わってきたと思うよ。「涙のパヴァーヌ」のように、ゆったりとしたリズムの曲でも細部の明瞭さっていうのは必要だよね。

ブチッケ: アーティキュレーションの切れ味の良さは、バードのファンタジア イ短調なんかでも明らかだったね。コープマンがごく自然に呼吸するように弾いている、それが生き生きとした音楽となって伝わってくる感じ。なんて言ったらいいのかなぁ。呼吸のように自然な音楽とでも言ったらいいんだろうか。

ガンバ: そうそう、「どうだぁ、これだけ速く弾けるんだぞぉ」って演奏が一般的な風潮になっているんだけど、コープマンはそういった傾向とは一線を画して、音楽から自分が理解した喜びを率直に演奏として表現するっていう、最近では希有の演奏家になっちゃったねぇ。

デデ: 前日も弾いたルイ・クープラン、フォルクレ、デュフリはフランス音楽特有の低音の響きが充実して、この日はかなり楽しめたかな。ただフォルクレの「ルクレール」みたいなちょっとユーモラスな曲になると、やっぱりディテールがもっとはっきり聞こえたらなぁっていうもどかしさを感じたね。それから、ブルーナの「聖母マリアのリターニア」は2段のコントラストを上手く使って面白く聞かせてくれたけど、おいらがこの日一番感心したのはフローベルガー。トッカータ第2番 ニ短調では目まぐるしいテンポとリズムの変化をごく自然に聞かせてくれたし、「ブラクロシェ氏のトンボー」ではリズムのない音楽を、人間的な息づかいで聞かせてくれたね。あれは何なんだろう。リズムのないリズム感というのか、リュート音楽や日本なら尺八の音楽に相当するような、響きそのものの楽しみを聞き手が共感できる音楽にして聞かせてくれるってのは、かなり大変な技。コープマンはその境地にまで達してしまったねぇ。

CoCo: そう、以前はちょっと肩肘張ったところがあったけど、今回はすっかり肩の力が抜けて、自分の感じるままに音楽を紡ぎ出しているって様子だったよね。スカルラッティのソナタ4曲なんかもやたらと技巧をひけらかすわけじゃないけど、後味すっきりの快演。それから前日も弾いたブクステフーデの前奏曲だけど、この日はオルガン的な響きの中ですごく充実していたと思わなかった。

デデ: やっぱり響きが長いと、先を急ぐよりは、その瞬間に没入するような音楽になるのかもしれませんニャー。パーセルのグラウンド ハ短調でしっとりとした味を聞かせた後は、最後に前日も弾いたトッカータ ト長調。これはコープマンの十八番ですニャ。やはり所沢の演奏とは違って、じっくり細部まで磨き込んだ感じでしたか。楽器の音も豪勢に鳴っていましたニャー。


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