フィガロの結婚

2003年10月14日 新国立劇場


デデ: 二国も支配人が交代して、いよいよ新しいシーズンの開幕。その最初の演目が、新演出で「フィガロの結婚」。というわけで、遅ればせながら眺めて参りました。前支配人率いる団体が「ロメオとジュリエット」の公演を二国の初日(10日)にぶつけてきたり、また終演後1階席から盛大なブーイングが起こり、天井桟敷がブラボーで応酬したといったことも伝えられていますが、各々方ご感想を。

CoCo: なんか忠臣蔵、討ち入りの段てな感じですニャ。まあ、演出がどうのこうのって喧伝されていた割には、そう破天荒な舞台ってわけでもなかったよね。あれで初日にブーイングが起こったってことは、やっぱり前支配人系列の「仕込み」でしょうかね。

ガンバ: 斬新な舞台とはいっても、まあ装置が段ボールだけだとか、色が白と黒だけだとか、豪華な舞台装置を期待していた向きには物足りなかったのかもしれないけど、芝居としてはものすごく練られていたよね。とにかく紋切り型の立ち居振る舞いが全くなくって、歌手や合唱団の一人一人にまで演出の意図が貫徹していたと思う。

ブチッケ: そうそう、このアンドレアス・ホモキという演出家はただ者じゃありませんな。とにかく人物の動かし方がうまいし、台本をよく読み込んでふさわしい振りをつけていました。キャストもそれに応えてみごとな演技をしていましたニャ。

ガンバ: やっぱりシングル・キャストにして、リハーサルの時間もたっぷりと取れたってことが大きいんじゃない。恵まれない日本人歌手が舞台に乗れるようにというわけで、柿落し以来ダブル・キャストでやってきたわけだけど、客にとってはいい迷惑だったよね。明らかに実力の差があるキャストの公演も同じ値段だったんだから。しかも今回シングルにして、日本人の歌手の実力も遺憾なく発揮されていたじゃない。スザンナの中嶋彰子、この人ボエームのムゼッタをやってなかなか聞かせてくれたけど、今回のスザンナは大抜擢なのかな? 声の調子、演技の性格からしても、スザンナははまり役だったよね。

デデ: そうね。むしろ、フィガロ(ペテリス・エグリーティス)や伯爵(クリストファー・ロバートソン)よりもスザンナが聞かせてくれたね。

CoCo: 「フィガロの結婚」てオペラは、ここかしこに有名なアリアがちりばめられていて、有名どころを集めた公演だと、当然どのアリアがどうだったかというのが焦点になるわけだけど、今回のフィガロは全体のアンサンブルがみごとだったよね。演出も抽象的って言えなくもないけど、それは「ここにはベッドがあるはず」とか、「ここに衣装部屋」、「あそこには四阿」といったト書きが見る側の頭に入っているからでしょ? もちろん、台詞の中でも語られたりするわけだけど。でも観客が具体的なイメージを持っていれば、舞台上でことさら具体性を追求する必要もないってわけさ。

ブチッケ: なるほど、観客の頭に刷り込まれた虚構を逆手に取っているというわけですニャ。そう言われれば、具体的なベッドという代物がなくても、段ボール一つでいくらでも虚構を構築することは可能なわけだし・・・

ガンバ: 考えようによっちゃ、重厚長大な装置よりもエレガントかもね。男と女の本質に向かって突き進む推進力にもなっていたと思うし。トーキョー・リングのシリーズが毎回大仕掛けな舞台で客をねじ伏せようとしている割には、考えオチというのか、むしろオチもメリハリもなくダラダラと進行しているのに対して、今回のフィガロは好対照なプロダクションだと思わない。

デデ: えーと、キース・ウォーナーだっけ、リングの演出は? あの人確かに色々と目を楽しませてくれはするけど、一貫性がなく思いつきの演出だよね。特に人物の所作に関する振り付けがまるで意味をなしていないよね。だからジークフリートとブリュンヒルデが、マグロとアシカの恋のような、何とも珍妙な学芸会風の舞台になっちゃったんだけど、こちらのホモキっていうのは所作、表情の一つ一つにまで繊細な神経を行き渡らせているね。だから、装置がいかに抽象的であっても、客はそこで何が起こっているのか実に具体的に理解できるんですニャー。これは演奏会形式では絶対に無理なこと。二国という舞台があって初めてできるやり方じゃないかな。

ガンバ: 歌手一人一人について感想を述べるのはお門違いかもしれないけど、ケルビーノのエレナ・ティトコーワはキュートでよかったわねぇ。男であって実は女。男が女装させられるのは恥ずかしいけど、そんな恥ずかしさを表現している人物は、実は女。宝塚風の倒錯した世界にぴったりのキャラクターと声だった。それにバジーリオの大野光彦、マルチェリーナの小山由美、バルバリーナの中村恵里などの脇もしっかりと舞台を引き締めていたね。

CoCo: それからロジーナのジャニス・ワトソンは、出だしこそ多少不安定だったけど、次第に調子を上げてきて、きれいな弱音を聞かせてくれました。それに対して伯爵とフィガロはちょっと弱いかなって気がしたけど、決してアンサンブルを乱すほど出来が悪いってわけでもなかったよね。初日は特にタイトルロールの評判が悪かったようだけど、ここにきて調子が戻ってきたのかな。

デデ: 演出家の意図としては、ボーマルシェの原作のようなアンシャン・レジーム批判という面よりも、「エロスと秩序を巡る男と女の問題」とでも言ったらいいんだろうか。ちょうどコシ・ファン・トゥッテとパラレルな世界を垣間見せようとしたんじゃないかなぁ。で、その意図はみごとに実現されていたね。

ブチッケ: 出演者のアンサンブルの良さが、カギを握っていましたニャ。それにウルフ・シルマー指揮の東フィルもなかなかシックな音楽を聞かせてくれました。弦を少な目にしてきびきびと引き締まった音楽。聞かせどころでは管楽器がここぞとばかりに出張ってくる楽しさは格別でした。シルマー自身がセッコのチェンバロを担当していましたが、これはまあ、旦那芸の領域だったでしょうか。でも、普段は単なるつなぎって感じで聞き流してしまうレチタティーヴォがこれだけ雄弁に語られたのは久しぶりでげすニャ。うん、レチタティーヴォが唄になり、いつの間にか2重唱、4重唱・・・と膨らんでいく、絶妙のアンサンブルを堪能した一夜でございましたニャ。

デデ: 最後に字幕について一言。まあ、オペラの字幕なんてその場限りのものだし、大して気にもしないもんだよね。でも今日の字幕は、以前「フィガロの結婚、高砂や〜」とやった人。今回はまあまあこなれてきたんじゃないかな。限られた時間とスペースの中に、その場や心情を的確に表現できる言葉をちりばめればいいわけで、必ずしも厳密に台本に沿ってやらなきゃならないわけじゃないんだし。うろ覚えだけど、「あんたの女房がうちの亭主とナニしてるのよ」、「愛のムチ、愛のビンタ」なんて、遊びのツボがわかってきたのかなぁって気がしますですニャ。


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