シプリアン・カツァリス演奏会

第1部 バッハをめぐって

第2部
 
シューベルト:ピアノ小品 第2番 変ホ長調
シューベルト/リスト:セレナード、水車屋と小川、アヴェ・マリア
リスト:孤独の中の神の祝福
ワーグナー/リスト:イゾルデの愛の死

ピアノ:シプリアン・カツァリス

2001年11月14日 紀尾井ホール


デデ: カツァリスの来日は2年ぶりでしょうか。前回は全部ショパンということで、ちょっとなぁって気がしながらも、内容はなかなかでしたニャ。

CoCo: どこかのサイトでは、「カツァリス復活か?」なんて見出しも見かけましたニャー (=^^=ゞ

ブチッケ: たまたまよかったら、すぐその気になっちまうんですな。日本人というやつらは。

デデ: でまあ、その、なんですな。まあ、今回も、ちょっと期待して出かけたわけです。

ガンバ: うん、すごく期待していた。でも、前半のバッハはどう評価したらいいのかなぁ。あ、プログラムを大ざっぱに説明すると、バッハのオリジナルは平均率第1番のプレリュードと、フランス組曲の第2番だけ。あとは、他人の作品をバッハ自身が編曲したオルガン協奏曲やらクラビーア協奏曲からの抜粋。それに器楽曲、カンタータ、コラール等々の編曲にカツァリスが大幅に手を入れたものが数曲。

ブチッケ: 本当は去年のバッハイヤー用に用意したプログラムの、そのまた抜粋らしいんだけど・・・明らかにカツァリスが弾きたかったのは、有名な「トッカータとフーガ ニ短調」を自分で編曲したバージョンでしたニャ。

ガンバ: そうそう。それに持っていくために、1時間近く前置きが必要だったのかしら。はっきり言うと、この人、古楽器の演奏なんて物は全く聴いていないし、興味もないわね。あるのはバッハの譜面と、自分の感性だけ。フランス組曲なんかは、内声を響かせてみたり、バッハの語り口をカツァリスなりに捉えて、面白さを引き出して聴かせた所はあったけど・・・どうなのかなぁ。やっぱり、バッハ/ブゾーニの影がチョロチョロと見え隠れして、ちょっと時代がかった演奏だったかなぁ。

デデ: 時代がかったというと、私なんかはブゾーニよりもオランウータン、じゃなかった、え〜と、あの、唸りながら弾く人。え〜と、誰だっけ?

ガンバ: グールド?

デデ: それっ。あれなんかのバッハは、単純で機械的で、いかにもロマン派のアンチテーゼって感じのひからびたバッハだったと思うけど。

CoCo: そういう人もいたね。バッハの音楽から遊離しているっていう点ではどうしようもない演奏だったけど、それなりに熱烈なファンがついていたよね。今日のカツァリスの演奏は、あそこまで機能的な行き方じゃなかったけど、やっぱり、バッハの音楽じゃなかったな。

ブチッケ: フルートソナタのシチリアーナとか、G線上のアリアとか、主よ人の・・・なんとかとか、なんか、ムード音楽スレスレの編曲・演奏で、どうも気持ち悪かったですニャ。カツァリスはかつて、クラヴィーア協奏曲の名演をしたことがあるんだけど、今日のプログラムビルディングはちょっと「?」ですニャ。

ガンバ: 確かに多彩な音色の持ち主だから、時々ハッとする瞬間はあるんだけど、全体的にはやっぱり単調だったわねぇ。トッカータとフーガも、腕の冴えは十分聴かせてくれたし、多彩なオルガンの音色を出そうとしているんだニャーってのは、理解できたけど、やっぱりこのプログラムは変だわ。

デデ: さてさて後半ですが、テーマはズバリ「死」ですニャ。

ガンバ: そう。1曲目の普通は「即興曲 D.946」と呼ばれている作品だけど、小品とは言え、かなりの大作。1828年作曲だから、まさに死んだ年だわね。ただいま我が家は引っ越し途中の仮住まいなんで、すぐに譜面が見つからないんだけど、長調といいながらどこか暗い。で、暗いばっかりじゃなくて明るい光が射し込んでくる瞬間もあるわけよね。でも、本当に一瞬。希望が見えたかなぁと思ったら、死に神が手招きしている。そんな感じの(たぶん)ロンドよね。

CoCo: そうですニャー。長調だけどほの暗い死の世界を暗示するような色彩感ですニャ。その微妙な音の綾を、なかなかみごとに綴っていたんじゃあ〜りませんか?

ガンバ: 私は、この日のイチオシね。

デデ: 次にシューベルト/リストの編曲物が3つ。この中では有名なセレナードが気に入ったニャ。リュートかギターの伴奏にのって、歌い出した瞬間から思わず身を乗り出してしまいましたニャ。それから、あの有名なエコーの部分の音色のコントロールのすばらしさ。

ガンバ: わたしゃ、水車屋と小川かな。20曲ある原曲の最後から2番目でしょ。もう若者は失恋まっただ中。死に場所を探しているわけよぉ。だけど、ちょっとだけ、「希望の光」が射し込んできちゃうでしょ。あの心の迷い。そして、何もなかったかのようにコトコト回る水車と、チョロチョロ流れる小川。美しい自然を前にしたら、人間の心の迷いなんてたいしたことないわ。ってわけにはいかないのよねぇ。冬の旅の菩提樹もそうだけど、死を決意した人間の心の迷い。シューベルトの名曲でもあるし、リストの編曲もすばらしいし、そして、カツァリスの演奏もみごとだったわぁ。

ブチッケ: とはいえ、やっぱり、リストそのもの、Liszt an sichと言やあ、「孤独の中の神の祝福」ですニャ。

CoCo: これなのよぉ。カツァリスの十八番ですニャ。

ガンバ: 客席に集中力があって、ホールの響きがよかったら、もっともっとゆったりと弾き始めたんだろうけど、宗教曲でありながら官能的な曲ね。

デデ: この曲になって、カツァリスの音色のパレットが全開になったような気がしました。メロディーラインは、声部を変えながら常にゆったりと歌っていたでしょ。それでいて、右手のきらびやかなフレーズがまるでレースのように旋律にまとわりついて、その上、ベースの進行もしっかりと聞こえてくる。さながら「天使の奏楽」といった気分でした。

ブチッケ: 私もこれが今晩のイチオシですかニャ。

デデ: で、最後が「イゾルデの愛の死」だったわけだけど、これは順番が逆だよね。

CoCo: うん。おいらも、最後にベネディクシオーンを持ってくるべきだと思う。いやあ、なんかワーグナーが付け足しみたいに感じてしまいましたニャ。

ブチッケ: まあ、リストは破戒僧だったわけで、娘の嫁ぎ先であるワーグナーの所に入り浸っていたらしいけど、ワーグナーのほうは、リストを毛嫌いしていたっていう説もありますニャ。

デデ: ワーグナーはピアノが下手くそだったからなぁ。

ガンバ: そんなことはどうでもいいけど、なんかあっという間の「愛の死」だったわねぇ。

デデ: それから、あの、アンコールで弾いたショパンのソナタ第3番の終楽章。あのテンポは何?

ガンバ: びく〜りですニャー。

CoCo: カツァリスがショパンを弾くと、ショパンていう作曲家がやけに小者に聞こえちゃうでしょ。もちろん、いろんな工夫をして弾いてはいるんだけど、カツァリスとショパンてぇのは、なかなか相性よく行かないですニャ。ただ、ぶったまげるような演奏であったことは確かです。



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