モンテヴェルディの「オルフェオ」

【配役】
オルフェオ:マーク・パドモア
音楽/ニンファ/牧人:ニッキ・ケネディ
エウリディーチェ:キャサリン・メイ
使者/希望/精霊:ドミニク・ヴィス


【管弦楽】
ヴァイオリン:キャサリン・マッキントッシュ
ガンバ:リチャード・ブースビー
テオルボ/ギター:ヤコブ・リンドベルイ
ヒズ・マジェスティーズ・サックバッツ&コルネッツ


音楽監督:リチャード・ブースビー



2001年10月18日 オペラシティー


デデ: 野分立ちて俄かにはだ寒き夕暮の程、オルフェオを観んとて、オペラシティーに参る。

ガンバ: なんだろうねぇ、この人。ちょっとおかしいんじゃない。

CoCo: 狂ってますニャー。でもまあ、あらかじめ予測できたことだけど。

デデ: でも、おいらだって多少は期待を持って出かけたんですがニャー。オルフェオを観る機会って滅多にあることじゃないですから。

ブチッケ: 8年前に「東京の夏音楽祭」で「ウリッセ」、そして、3年前だっけ、「ポッペア」が上演されて、どちらもかなりハイレベルの公演でしたからニャー。今回もひょっとして・・・という淡い期待は抱いていたんですが・・・

ガンバ: 幕が開くと、といっても最初から幕はないわけで、下手に枯れ木が10数本林立しているという殺風景な舞台。上手側にはスケルトンまるだしで、一段高いお立ち台。これは、破壊された建物の残骸ね。神話のオルフェオの舞台はトラキアだから、まあ、ユーゴ空爆の傷跡を、そのままいただいたって感じかな。

ブチッケ: そうでげすな。いかにもバルカンの田舎の村人という風情の衣装も、それをはっきりと示していました。幕開けのトッカータからして、なんとなくしまりのない、はんなりムード。およよ、どうしたのかニャーと思っていたら、いかにも農家のおかみさんといった雰囲気の女性が登場。このオペラの趣旨に関して重大発言をする「音楽」なんでげすニャ。

デデ: のっけから神話の世界をぶち壊して、現実の殺戮に目を向けよっていうメッセージですニャ。「音楽」がプロローグを歌い終わった後、お腹を抱えて倒れそうになりましたニャ。横にいた人たちがあわてて助け起こしていましたが、よほど体調がすぐれなかったのかなぁ。それともあれも演出?

CoCo: 一幕と二幕前半の婚礼やら喜びの場面はけっこう華やいでいたね。ただ、群衆の動かし方、婚礼の儀式なんかは、ちょっと「劇団四季」の素人芝居を彷彿とさせるような格調の高さだったけど。

ガンバ: あれには、思わず笑い声がでていたわね〜。でもルネサンス風のマドリガーレを歌う群衆は、そこそこ頑張っていたと思うわ。でも、音楽のメリハリがまるでないのよねぇ。それから、急遽代演でエウリディーチェを歌ったキャサリン・メイは、ちょっとかわいそうなできだったわね。まあ、事情が事情だから、まったく持ち歌じゃないものを、いきなり歌わされたわけだし、同情の余地はあるけど。

デデ: さて、使者が登場し、メデタシめでたしの雰囲気が一転する二幕の後半。音楽的にもすごい不協和音が書き込まれていて、いかにもバロックだぞ〜ということになるんだけど・・・ここは、タイトルロールの甘さがもろに出てしまいましたニャ。仕方ないのかなぁ。不協和音は強烈に、解決は静かにというバロック音楽の大原則がまるで生かされない歌いかたで、ありゃモンテヴェルディが聴いたら怒り出すよ。

ブチッケ: それに、そもそもモンテヴェルディを歌う基本的な技術が甘すぎるね。メリスマをきちっと歌えない歌手を、なんで主役に大抜擢したんだろう。あの程度の歌手でも、脇の合唱やら牧人あたりなら大過なくこなせるんだろうけど、歌と言葉の重要性をまるで認識していないねぇ。確かにモンテヴェルディは、たくさん歌手の悪口を書き散らしたらしいけど、きっと、マーク・パドモアっていう歌手もいたんじゃないかな。

ガンバ: そうそう、オルフェオのストーリーなんて誰でも知っているたわいない話しでしょ。歌手がしっかり歌っていれば字幕なんか必要ないのよね。言葉、あるいは語りといったらいいかな、その重要性がまるでわかっていないから、ああいう陳腐な歌い回しになってしまうのよね。これは器楽も同じ。まるで、イギリスのガンバコンソートを弾いているような平板な演奏だったわね。

CoCo: ここの一場を救ってくれたのがドミニク・ヴィスだったってわけだニャ。決して絶好調じゃなかったようだけど、バロックの歌唱法をぴしっと決めてくれたね。

デデ: この対比は、三幕のいわゆる「黄泉下り」の場面でいっそうはっきりしちゃったでしょ。

ガンバ: 「希望」役のヴィスが、ステージ上手の瓦礫の上から、オルフェオの手を引いて地獄に下っていく場面ね。ヴィスがこういう風に語るんだよって一生懸命教えている感じだったわねぇ。でもパドモアは全然感じていない。

デデ: 仕方ないのかな。オルフェオだから歌わなきゃって思いこんでいたんじゃないの。三途の川に到着して、今度は一生懸命渡し守のカロンの説得工作にかかるでしょ。レチタディーヴォとアリアが頻繁に交錯して、オルフェオの思いの丈を述べるわけだけど、ここがいかにも平板。レチタディーヴォの部分もまるでアリアのように譜面通り歌ってしまう。だから、まるで音楽的なコントラストがつかないんですニャー。

ブチッケ: いえいえ、あれは、カロンがオルフェオの歌に退屈して眠り出すっていう一ひねりした演出です。

CoCo: 地獄の閻魔様ご夫妻もなんだか、威厳が無くて軽かったニャ。プルトーネはもともと妻のペルセポネを地上から略奪してきたっていう経緯があるから、悩んだ末にエウリディーチェを返す決心をするわけだよね。
お前の優しい言葉は愛の古い傷を
私の心に蘇らせる
っていうところが、まさにそれ。そのペルセポネの説得、閻魔様の苦悩、ここらへんも見どころのはずなんだけど、なんかやけにあっさりといっちゃいましたニャー。

デデ: 地獄から再び瓦礫の山を登っていくわけだけど、でも今日の演出では、地獄でエウリディーチェをちゃんと見ちゃってたよね。

ガンバ: 「あっ、あ〜、いいの?」って気がしたわ。

CoCo: 演出に一貫性がないですニャ。

ブチッケ: あれもまた、「進むも地獄、戻るも地獄」という一ひねりした演出です。

デデ: そして、ついに振り向いてしまう、そのちょっと前の不気味に響く不協和音。のはずだったんですが、なんとも柔な音。

ガンバ: あれ、がっかりねぇ。

デデ: え〜と、終幕ですが、初演時にはオルフェオはバッコスの信女に八つ裂きにされるというエンディングだったそうですが、1609年の出版譜ではオルフェオの父アポロンが天界から下ってきて、「天国よいとこ一度はおいで」ってなわけで、ともに天界に昇っていくという結末になっています。
(オルフェオ)
心からのご忠告に従わないなら、
これほどまでのお父上に
ふさわしくない息子となるでしょう。

(さらにアポロも加わって)
歌いながら天に昇ろう
そこでは真の徳が
ふさわしい報いである喜びと平安を得る。
というわけですニャー。

ブチッケ: で、実際にこの日舞台上で起こったことは、父アポロンによる息子オルフェウスの刺殺。その直後の
行け、オルフェオよ、幸せに満ちて
天上の栄誉を享けるために
という合唱が実に効果的かつグロテスクに響き、楽しい楽しい踊りで一巻の終わり。実に明快で具体的な演出だったから、好き嫌いはあるんだろうけど、お客さんに逐一わかりやすく説明してくれる舞台だったね。

ガンバ: 照明もほどほどというか、奇をてらわず、さりとて美しく効果的にはせずに、ドロドロとした雰囲気を醸し出そうとしていたみたいね。


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