ホプキンソン・スミス リュート・リサイタル



ゴーティエ、ザンボーニ、ヴァイス、バッハ

2001年6月22日 武蔵野小ホール


デデ: いやあ、ついに聞きましたニャー。

ガンバ: うん、聞いた。

ブチッケ: おそらく初来日だと思うんだけど・・・

CoCo: レコードも膨大だけど、むしろ日本では教育者として捉えられている面が強いんじゃないかな。

デデ: 確かに、この人の弟子はまたすごいのがゴロゴロしておりますニャー。チェンバロで言えば、ちょうどレオンハルトのような存在でしょうか。ところで、どうなんでしょうニャー? この人、もともと演奏会はそう多くない人なんじゃないだろうか。最初に弾いたゴーティエのプレリュードとシャコンヌの、特にノン・ムジュレのプレリュードだけど、何となくノリが悪いというのか、調子が出きっていないなぁって感じがしましたが。

ガンバ: そうね。演奏会の冒頭からハイテンションで弾きまくるっていう、タイプではないみたいね。ノン・ムジュレだから、どうフレーズを作っていくかというのが一番の問題で、リュートの場合にはアクセントの位置がフレーズを決定するんだと思うんだけど、なんとなく平板に流れてしまったわねぇ。

CoCo: おいらもそういう感じがしたんだけど・・・でも、ホールの問題もあるんじゃない。武蔵野のホールって、よくこんなところで音楽やるよって言いたくなるくらい、響きが悪いじゃない。あれじゃあ演奏者もかわいそうだ。

デデ: 続けて演奏された、シャコンヌ ラ・カスケードあたりから調子がやっと出てきたってところかニャ。2曲目のザンボーニのソナタになるとこれはもう、バロック最盛期というか、組曲の形式もしっかりできあがって、端正な音楽。でも、IBMのマネージャってな顔つきをしながら、スミスのやる音楽はだんだんすごくなってきましたニャー。特に4曲目のサラバンダ・ラルゴ。もともと変奏曲のようになっているようですが、繰り返しのたびに装飾が変わっていく。そこらへんの奔放な楽しさは、なかなかのものでござんした。

ブチッケ: 曲を弾く前にちょっと即興をやらかすっていう人、ピアニストでも以前は時々いたけど、このスミスは、曲を弾く前に調弦をしながらかなり長い即興演奏を繰り広げるんですニャー。これがかなり面白い。最初のゴーティエのプレリュードよりも聞き物だったかもしれませんニャ。で、ひとしきり調弦をして、この日の3曲目、ヴァイスの組曲(「ニ長調の3つの作品」と題されておりました)を弾き始めるかと思いきや、楽器を置いて立ち上がり、長広舌。この人、しゃべるのが結構好きみたいでしたニャ。

ガンバ: やっぱり、センセのタイプね。言葉の限りを尽くして、ヴァイスを褒めちぎってたわねぇ。

デデ: まあ、そりゃ当たり前の話で、リュート弾きにとっちゃバッハよりずっとずっと重要な作曲家でしょうからね。いつだったかの、佐藤豊彦の演奏会でも、ヴァイスについて蘊蓄を延々と語っていたけど、やっぱり、リュート弾きにとってはかけがえのない作品をたっくさ〜〜〜〜ん残した人。しかも、ライプツィヒと違ってカトリックの文化が栄えたドレースデンの作曲家ですから、彼の作品は当時のドイツ音楽の最先端を行っていたと言ってもいいものですニャ。堂々としたプレリュードに続いて、2曲目のパッサカリアがなかなかだったんじゃないですか?

CoCo: うんうん。ホプキンソン・スミスっていう人、変奏曲の形式がことのほかお気に入りというか、聞いていて面白いですニャ。パッサカリアの低音主題を響かせてみたり、中声部にアクセントを付けてみたり、メロディーラインももちろん流麗に流れるし。

ガンバ: それに比べると、ジグがイマイチしっくりこなかったかなぁ。あのホールじゃリュートの微妙な風合いというのか、音の綾というのか、そういったものを聞き取るのはちょっと無理でした。ちょっと残念ねぇ。

デデ: 後半は一転してバッハの編曲ものばかり。最初が無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番の編曲。この曲を弾く前にも、ひとしきり蘊蓄を傾けておりましたニャー。バッハのリュート曲はほとんどが編曲ものですから、リュートで弾く意味、あるいは意義を、明らかにせにゃならんということでしょう。

ブチッケ: ヴァイオリンやチェロの無伴奏曲って、チェンバロに編曲しても面白いんだけど、スミスに言わせると、バッハ自身はクラヴィコードで演奏しただろうっていうわけ。これはもちろん、ダイナミックレンジ、微妙なニュアンスの表現能力なんかから導き出した考えだろうけど、道理には叶っているよね。で、リュートで弾くともう一つ有利なのは、親指でベースラインをくっきりと描くことができるっていうことだそうですニャー。

ガンバ: クラヴィコードの能力に匹敵する楽器というと、うん、リュートには、確かにその資格ありね。バッハは弟子に、リュートの免状まで出していたってどこかで聞いたことがあるけど、バッハ自身はプロフェッショナルと言えるほどリュートを弾けたのかしら?

デデ: しーらねぇ。オリジナルな曲が少ないということを考えると、あんまりうまくなかったかもね。

CoCo: とんでもない、へたくそだったりして。

ガンバ: んなことはないだろうけど、確かにヴァイスに比べると編曲ものだっていうこともあるけど、リュートの語法じゃないのは確かね。でも、この日の演奏はしみじみと聴かせてくれたわねぇ。真ん中あたりの空席に移ったら、直接音がよく聞こえてきて、これもラッキーだったかしら。ホントはかなり鳴っているのに、ホールのせいで、前半は音楽的情報量がかなり削られていたような気がしたし。

デデ: 何て言っても第2楽書のフーガがすごかったですニャー。各声部の弾きわけがやっぱり、ヴァイオリンよりはやりやすいんだろうし。ああ、こういう対位法的テクスチャになってたんだぁって、しみじみ聞き惚れましたニャ。それから、第3楽章のシチリアーナもあんなに短い曲だったかいなぁ。もっともっと、聞いていたいニャーって思いましたです。はい。

ブチッケ: で、この日の圧巻は、最後に演奏されたシャコンヌ。これも前の曲のフーガと同様、対位法的な横の線の並びが実に面白く聞くことができましたニャー。それでいて、ベースラインにある、シャコンヌのテーマは一貫していて、うん、すごい。

デデ: リュートじゃないけど、この曲をあそこまで感動的に聞かせてくれたのは、あのセゴヴィア以来じゃないですか。

ガンバ: うん、そうかもしれない。もう20年以上前の話になるのかなぁ? ヴァイオリンの演奏ではあんまり名演に出会ったことがないんだけど、セゴヴィアとスミスはこの曲の本当のすごさを実感させてくれたわね。

CoCo: 全体のプログラム・ビルディングという点からも、ゴーティエのシャコンヌを最初に、バッハのシャコンヌを最後にっていアイディアは面白かったと思うね。

ガンバ: スミスってアメリカ人だそうだけど、若い頃にヨーロッパに渡った人でしょ? やっぱ、20過ぎてハンバーガーを食っているような人間じゃ、あの音楽はできないわね。

デデ: およよ、問題発言ですニャー (=^^=ゞ


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