バッハ/無伴奏ヴァイオリン・ソナタ全曲

ドミトリー・シトコヴェツキー

2000年4月14日 上野文化会館小H


(春と言うよりは初夏と呼ぶ方がふさわしい陽気です。猫どもは桜が散ったあとの上野のお山に出かけました。)

デデ:るんるん、久しぶりですニャー。音楽会。

ブチッケ:はいな。水商売のほうでは俗に“ニッパチ”なんてなことを言いますが、今年の冬枯れはひどかったです。

デデ:確かに。何とも感想の書きようがない演奏会ばかりで、ちょっと困ったですニャー。そんなわけで、今日は久々に各々方にお集まりいただきまして、まあ、存分に語っていただこうかと・・・

ガンバ:はいはい、バッハイヤーということで、今日はヴァイオリンの無伴奏ソナタ。明後日の日曜日(16日)にはパルティータを弾くことになっているわね。シトコヴェツキーという人は、来日のたびにバッハを弾いているような気がするけど、モダンの世界では異色というか、地味な存在よね。でも、7割か8割近くお客さんが入っていてビックリしちゃった。

CoCo:え〜と、今日は番号順に弾いたわけだけど、普段バロック・ヴァイオリンでの演奏を聴くことの方がはるかに多いんで、1番のアダージョが鳴り始めた瞬間から「うわぁ〜音がでかい」って感じがしましたニャー。

デデ:そうそう。シトコヴェツキーってぇのは、ジュリアードのガラミアン、ディレイの系統の人だけど、同門のパールマン、チョン、ミドリなんかとは明らかに質的に違う音楽をしますね。ご同輩の方はねちっこく歌って、1回聴くと、んめえニャーと思うわけだけど、そのうち総ルビ・総ゴチックの音楽が鼻についてくる。それに対してシトコヴェツキーはビラビラに歌い続ける音楽はやらない代わりに、もうちょっと繊細なヴァイオリンだと思っていたんですが・・・

ガンバ:ガット弦で柔らかに歌い、しかも知的な音楽をする人だと思っていたんですが・・・

ブチッケ:ヴァイオリンは19世紀初頭に改造されて、大きな音を出せるようになったわけですが、その代わりに失った物が多すぎますニャー。オリジナルのヴァイオリンは音は小さいし、雑音は大きいし、いいところないみたいでいて、実はものすごい表現力が豊かでしょ。もちろん弓の違いもあるわけですが。それに引き替えモダンの楽器は、シトコヴェツキーのような人が弾いても、バロック音楽をやるにはやっぱり表現力が貧弱ですニャー。

デデ:まあまあ、そう文句ばかり言わなくても・・・今日の演奏は、それなりに面白かったんじゃない?

ブチッケ:そう、確かに。1番のアダージョを聞きながら、うん、確かにいろいろ工夫しているなっていうことはわかった。ちょろっと絡んでくる対旋律やらオブリガートの声部を意図的に音色を変えてみたりして、面白いなっていう気はしたね。3曲通じて同じ作りで、第1楽章をいわばプレリュード風に捉え、ほとんど間をおかずに2楽章のフーガに飛び込むっていう趣向もいいと思う。ただフーガがねぇ。パルティータと違ってソナタの方は、やっぱりフーガが目玉商品じゃござんせんか。1番のフーガは比較的短いということもあって、いろいろな工夫がかなり面白く聞けたんですが、2番、3番のフーガのように長尺物になると、モダンではちょっと息切れしちゃうというのか、どうしても単調に流れちゃいますニャー。

デデ:うん、そうねぇ。ヴァイオリンのテクニックのことはよく知らないけど、モダンとヒストリカルの一番の違いは、アーティキュレーションだと思うんだ。一つの音のアタックの具合、伸ばす長さといったことだよね。モダンの場合はむしろフレージングの問題が大きいと思うんだ。アタックで微妙なニュアンスを付けるってことが少ないから、どうしてもモダンでは流麗に流れてしまう。これはフーガを弾く場合にはどう考えても不利ですニャー。

ガンバ:うん。かなり工夫して声部の弾きわけをしていたけど、それでもやっぱり古楽器に比べると曲の造形が平板になっちゃうのは仕方ないのかなぁ。1番のソナタはかなりニュアンスに凝っていたように思えたんだけど、確かに、2番、3番のフーガはちょっと息切れしてたかなぁ。

CoCo:3番の「ロンドン橋落ちた」のフーガは途中でひとしきり盛り上がって、そのあと主題が反転して出てくるでしょ? あそこらへんもう一工夫あってもよかったような気がしたけど。これはあくまでも古楽器と比較しての話で、モダンの演奏としてはかなりいいできだったと思うよ。

デデ:そうそう。モダン楽器という枠があるから仕方ないとは思うんだ。逆に面白かったのは緩徐楽章。1番のシチリアーノだとか、3番のラルゴなんかでは、対旋律の音色を意図的に変化させて、主旋律との絡み合いが面白かった。それから、3番の第1楽章。延々と不協和音が積み重なっていくわけだけど、あそこらへんの解決されないもどかしさのようなものが、モダンでもすごく上手に表現されていたと思うよ。

ガンバ:遅い楽章は確かにポリフォニーの面白さを堪能させてくれたと思うんだけど、各ソナタのフィナーレはどう思った? 特に3番のアレグロ・アッサイ。あれは絶対に古楽器の方が面白いはずね。どうしてもモダンだと強/弱とか、レガート/ノンレガートといった2項対立の展開しか期待できないのかなぁ。

ブチッケ:古楽器だと、無限と言ってもいいくらいにグラデーションがあるわけだけど、どうしてもモダンの演奏だとそこらへんが難しいのかニャー?

デデ:ところで、帰り際に気付いたんだけど、文化会館の壁にシェリング、フルニエ、セゴビアの写真が並んで掛かっていましたニャー。あの人達もここでバッハの名演を聞かせてくれましたが、でも、この20年ほどの間に、モダンの演奏もずいぶん変わったものですニャー。



バッハ/無伴奏ヴァイオリン・パルティータ全曲

ドミトリー・シトコヴェツキー

2000年4月16日 上野文化会館小H


(一転して今日はちょっぴり肌寒い天候。猫どもはブ〜ブ〜言いながらも上野のお山へ。終演後、蓬莱閣にて)

デデ:休日の真っ昼間の演奏会ってぇやつはやだねっ!

ガンバ:そうそう、なんか体が生理的に夜の演奏会に合っちゃっているみたいで、明るいうちに演奏会が始まるってのはどうも妙な気分ね。

ブチッケ:というかぁ、一日の業をなし終えてからゆったりとした気分で聞きたいのに、この10年ぐらい昼間の演奏会が結構増えていますニャー。大抵は親子の何とか、名曲何とかみたいなやつだから、それなりに新規のお客さんを掴んでいるのかもしれませんが。

CoCo:一昔前だと昼間の演奏会は客が集まらないから興行主が嫌ったものだけど、最近はちょっと様変わりしていますニャー。でも、やっぱり、縄張りの巡回、朝寝、ご町内の寄り合い、昼寝、餌場の偵察、夕寝と一通りのことを済ませてからじゃないと、音楽を聞く気分になりにくいのは確かでしょう。

デデ:上野の新緑が鮮やかだったのに、薄暗いホールの中に入って・・・ステージには煌々とライトが当たっているっていのも奇妙な気分です。休憩時間に外を眺めていると無性に緑の下を歩きたくなっちまいましたニャー。やはり音楽会に行くってことはなにかこう、魔窟に入っていくような不良な気分が必要なわけでして、あんまり白昼堂々と始められちゃぁ、ちょっとイマイチ興ざめですニャー。
ところで、本題ですが、今日はバッハのパルティータを3曲。最初に賑やかな3番。最後にシャコンヌの付いた2番という曲順でしたが、まあこれは常識的な順番でしょうかね。

ブチッケ:まあ、そうですかニャー。3番はホ長調ということもあって、まあ、よく響きました。ただ、プレリュードは16分音符で目まぐるしく駆け回るでしょ。で、確かスラーはほとんど付いていないはず。としたら、もうちょっと何とか工夫する余地があったんじゃないでしょうかね。ものすごく腕は達者で、フレージングは細やかに、強弱と音色の変化は大胆に弾いていたと思うんですが。

デデ:まず、フレーズはバロック的と言うよりは、もうちょっとロマンチックというのか、長めの作りでしたね。強弱という点では、ホ長調だからE線、A線あたりの開放弦がものすごく響きますねぇ。そこらへんが突出して聞こえてしまうってことはありましたけど・・・ むしろ、3小節ぐらいかけてかなり息の長いディミヌエンドを聞かせてみせたりしたのが、ちょいと印象的だったでしょうか。ただ、だからといってバッハの曲にさして効果的だったとは思えなかったですが。ところで、ガヴォットのロンド主題が回帰する度に弾き方をちょこっと変えてみたりいろいろ工夫していましたね。

ガンバ:そうね。一昨日と違ってパルティータだから、そこらへんの細かな曲の弾きわけっていうのも今日の関心だったんだけど、どうだった? 私は3番のブーレ、ジグあたりの速い曲にはちょっと物足りなさが残ったわね。

CoCo:一昨日と同じような感想になっちゃうんだけど、やっぱりモダンの楽器は歌うことに向いているんだニャーってぇのを、しみじみ感じましたね。だから、1番、2番のアルマンドはかなり面白かった。1番のアルマンドは舞曲というよりは、フランス風序曲のような弾き方で通していましたが、あれはあれで、一つの見識でしょうか。あそこらへんは面白いなと感じたんですが、ドゥーブルに入ると造形がとたんに平板になってしまうのはなぜ?

ブチッケ:そこですがニャー。細かい音符が連なる部分になると、どうしてもフレージングで聞かせようとするわけですわ。それなりに非常に考えた演奏をしているとは思うんですが、なぜかアーティキュレーションが平板。

ガンバ:そこなのよぉ〜。古楽の弦楽器の演奏が行われるようになって20年、あるいはもうちょっと広めにとって30年と考えてみて、どうなんだろう、最初のうちははっきり言ってかなり下手くそだったわよね。ヒストリカルの欠点が目立つ演奏が多かったと思うんだけど。でも、最初の頃に欠点と思われたものが実は非常に情報量の多い部分だってことを、実演で知らしめたのはビオンディだと思うんだ。決してクイケンやビルスマじゃなかった。そう言う意味で時代区分論的になるけど、ビオンディ以前とビオンディ以降で古楽の演奏様式ががらっと変わったと思うわけ。

デデ:うん、確かにビオンディの真似をするグループはたくさん出てきましたニャー。

ガンバ:そういう現象もあるけど、ヒストリカルのヴァイオリンで弾く意味を初めて知らしめてくれたってことね。そういったわけで、古楽の世界が新しい領域をグググ〜っと押し広げていったもんだから、当然、モダンの人たちも安閑としてはいられない。最近のモダンの演奏もそういった流れの中で捉える必要があると思うんだわさ。だけど、考えてみると変な話よね。そもそもできることが違う楽器なのに。モダンの楽器で弾くんなら、その楽器の特性を徹底的に生かさなきゃウソだと思うんだ。

デデ:そうですニャー。バッハに関しては、50年代から60年代にシェリングとグリュミオーが一時代を画したわけですが、それ以降というと、腐るほど録音されているはずなのに、モダンの世界ではどうも面白いものが出てきませんニャー。今日も、1番のブーレなどはモダンの特性を生かした演奏を期待したんですが、かなりおとなしい演奏でしたね。重音の鋭い響きをもっと強調しても良かったんじゃないかと思いますが。

CoCo:最後に演奏した2番、これどう思った? 3曲の中では一番パルティータらしい構成というのか、アルマンド、クーラント、サラバンド、ジグっていうオーソドックスな曲が並んでいるよね。ただ、最後にシャコンヌがくっついているわけだけど。今日の演奏だとシャコンヌがあまりにもご立派だから、4曲の舞曲がなんだか霞んじゃったみたい。

デデ:この曲はそもそも、舞曲部分の規模は小さいですニャー。それにしても4曲まとめてシャコンヌの前座っていうような弾き方でした。その中ではアルマンドとサラバンドに聴き応えがあったでしょうか。特にサラバンドは重音が荘重に響いて、うん、確かにモダンだったらこう鳴らさなきゃって思いました。ただ、ここでもクーラントやジグといった速い楽章はどうしても食い足りなかったですニャー。

ガンバ:最後のシャコンヌはまあ、何というのか、かっ飛びの爽快感というのか、真っ赤なスポーツカーでぶっ飛ばす感じねぇ。

ブチッケ:ターボ全開でげすニャ。とにかくうまい。すごくうまい。めちゃくちゃ、んめぇ。でも本当はこれを目玉に据える意図じゃなかったんじゃないかなぁ。

デデ:うん。全曲聴き通してみると、シャコンヌだけが異色の弾き方でしたニャー。ニ長調に移る前のアルペッジョの部分だとか、またニ短調に戻る直前の部分だとか、あそこらへん、あまりにもエンジンの回転が速すぎて低音主題の色気が吹っ飛んじゃいましたニャ。一瞬どうしちゃったんだろうと思ったわけですが、演奏会だとたまにこういったことも起こってしまうんでしょうか。それとも意図的だったのかなぁ。

CoCo:弾き終わったあとで後ろの席にいたおじさんが思わず、「ユダヤ系ロシア人は馬力があるからなぁ」と、至極まっとうな感想を述べておられました。


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