ミラノ・新ピッコロ劇場
モーツァルト 「コシ・ファン・トゥッテ」

指揮: エンリケ・マッツォーラ
オーケストラ: ミラノ交響楽団「ジュゼッペ・ヴェルディ」

フィオルディリージ: フィオレッラ・ブラート
ドラベッラ: テレーズ・カレン
フェランド: ヨーナス・カウフマン
グリエルモ: ニコラ・リヴァンク
デスピーナ: ジャネット・ペリー
ドン・アルフォンソ: アレクサンダー・マルタ

演出: ジョルジョ・ストレーレル

2000年11月22日 日生劇場


(お堀端にたたずむ猫ども)

ガンバ:  いやあ、見ちゃいましたねぇ。

CoCo:  はい、見ました。きれいでしたニャー。

デデ:  ピッコロ座は去年に続いて2年連続の来日ですニャー。去年もストレーレルの演出で「アルレッキーノ」の名演を見せてくれましたが、今年は「コシ・ファン・トゥッテ」。というわけで、前評判もやけに高かったんですが、いやぁ、期待に違わぬ舞台を見せてくれました。まず名称ですが、昨年来たときには「ミラノ・ピッコロ座」という名前。今回は「ミラノ・新ピッコロ劇場」。現地では「ジョルジョ・ストレーレル劇場」とも呼ばれているそうですけど、まあ、全部同じもの。スカラ座の小劇場ということです。新しい劇場に移って、「新ピッコロ劇場」と呼ばれるようになったみたいですが、やっぱりなんと言っても、「ピッコロ座」と呼ぶのが通りがいいでしょうね。

ブチッケ:  今回の「コシ・ファン・トゥッテ」は、数年前に、ストレーレルが新演出を手がけている途中で亡くなったという、いわく付きの出し物ですニャー。去年の「アルレッキーノ」でも感じたんですが、ストレーレルの演出はストレートにわかりやすく、シンプルな舞台ながら目の楽しみもたくさん用意されていて、客席が沸きますニャー。

デデ:  は〜い。まず客電がすーっと落ちかけたかなぁってあたりで序曲が始まって、アレグロの主部に入ったとたんに、そりゃもうモーツァルトの世界にワープしましたニャー。このミラノ交響楽団というのはもちろんモダンのオケなんですが、スカラ座のねっとり歌う弦とは正反対で、実に歯切れのいい駆動力のあるオケ。それに管楽器の魅力的な音色。何カ所かあるセレナードの場面で心地よい音色を聞かせてくれました。日生劇場の小さなピットですから、ざっと数えて40人まではいなかったかなあ。古い話だけど、ベームやマゼールがここで指揮したときも、ドイチェオーパーのオケはその程度の人数だったかなぁ。まあともかく、今回のオケも少人数だけにアンサンブルの切れ味がよかったですニャ。

ガンバ:  はいはい。「コシ」って、ダポンテのいわゆる3部作の中では、一番動きが少なくて、劇的な展開はない地味なオペラだと思うんだけど、それだけに、アンサンブルの良さが上演の成否をかなり左右するんじゃない? ミラノ交響楽団とか、指揮者、歌手、どれをとっても名前を聞いたことがあるっていう人は一人もいないわけだけど、少なくともあまた来日した今年のオペラ公演の中では、ずば抜けていたわよね。それが、まさに、アンサンブルの良さ、そのアンサンブルを生かす演出の良さのお陰だったんじゃないかしら。

ブチッケ:  まず、日生劇場ご自慢の緞帳はなしで、紗幕だけ。序曲が鳴っているうちから、紗幕の向こうではなにやら人影が。色男どもが女の操について語らっているわけですニャー。第2幕の始まりは、紗幕の向こうで蝋燭の炎がユラユラ。ここらへんもなかなか情緒あり。台本の上では、姉妹の家の中、庭、海岸とまあ、いろいろ場面転換があるわけですが、ストレーレルの演出では、舞台の左右に厚めの仕切り板が二枚。この二枚の間隔が舞台のやや中央よりに狭まると部屋の中。両袖付近まで広がると屋外という事になっていましたニャー。仕切には丸窓と出入り口となる四角の切れ込みがあって、特に室内の場面ではここを通して室外の光が射したりしておりました。

ガンバ:  ストレーレルの演出では、光がものすごくきれいよね。淡い蝋燭のような暖かみのある照明が基本なんだけど、時々青っぽいライティングも使ったりして。でも、絶対にどぎつい色使いはしないし、それに、アリアを歌っている場合でもスポットライトはまず使わなかったでしょ。というのも、アリアを歌っている人物だけじゃなくて、回りの人物が必ず演技をしているから。両手を広げて大げさに最後の高音を歌いきるなんていう、陳腐で時代がかった仕草は一切なし。これは気持ちいいね。オペラってやつは、まあ、歌うのはいい。でもたいていの場合、あの紋切り型の学芸会みたいな演技がどうも鼻につくわけで、そこらへんを根本的に洗い直して、演劇的観点から演出したのは大正解だったんじゃないかしら。

デデ:  うん。ヘッタクソな演技で背中がムズムズしてくるっていう、大劇場特有のこっ恥ずかしさがないのはすっきりしていていいね。だけど、それだけ歌手にも演技力が要求されているってこと。今回のキャストではまず、哲学者ドン・アルフォンソを歌ったアレクサンダー・マルタがなかなかの役者ぶりを見せてくれたかな。それから、小間使いのデスピーナ。この役は、誰がやっても一応笑いは取れるわけだけど、それ以上に酸いも甘いも知り尽くした恋の手ほどき役って感じがよく出ていたかニャー。

CoCo:  主演の姉妹もなかなか魅力的だったんじゃない。特にオッパイが・・・

ブチッケ:  オホン。まあ、なんと申しましょうか、「寄せて上げる」と言うんですか、まあ、豊満ではありましたニャー。ただそれ以上に、え〜と、最初に落ちるのは、ドラベッラでしたか、妹の方、これはなかなかの役者でごさんしたな。最初のアリアは比較的あっさりと、というか、コケティッシュに歌って、2番目のアリアはもうメロメロ。女心と秋の空を地でいっておりました。ん? 地じゃないか?

ガンバ:  姉さんのほうが、なかなかの堅物なんだけど、このフィオルディリージはそんな生娘の雰囲気をよく出していたわよ。ただアリアによっては低音がちょっと苦しいのかなっていう気はしたけど。

デデ:  オケも歌手もすばらしいアンサンブルを聴かせてくれましたが、もう一人。いや2人。通奏低音のチェロとチェンバロが聞かせてくれましたねぇ。

ガンバ:  ホント。それよぉ。「コシ」のセッコがこんなに楽しい音楽だったなんて。大劇場の公演だと、レチタティーヴォは単なるつなぎ。時間の埋め草になっちゃうんだけど、今回の通奏低音コンビはうまく聞かせてくれたわねぇ。チェンバロがたった今歌い終わったばかりのアリアの一節を茶化してセッコをリードしたり、ここぞっていうところで、通奏低音のチェロがしゃしゃり出て、ビロビロに歌ってみせたりして。あそこらへん思わず吹き出しちゃったわ。プログラム中で歌手の誰かがインタビューに答えていて、ストレーレルからは「セリフを語るように歌え」って、徹底的に仕込まれたって言っていたけど、歌手が本当に言葉を大切に大切に歌っているのがよくわかったわ。

デデ:  うん、バロックオペラでは当たり前のことなんだけどねぇ。今の歌手は言葉を大切にしないでしょ。言葉を語りつつ演技する。当たり前のことだし、これがオペラの基本なんだけど、なかなかできないみたいですニャー。他の歌手もインタビューで、今まで普通にやっていた紋切り型の動作を全部(ストレーレルに)やめさせられたって言っていたけど、演技、語り、歌がすごく自然なんですニャー。えーと、バリトンの方だっけ、グリエルモ。自分の方がちょっとばかりいい男だよ〜ん、なんてなところ風情で、ちょこっと髪を掻き上げてみたり、決して大げさじゃない、あんなちょっとした仕草が積み重なって自然な舞台が出来上がっていくわけなんですニャー。

CoCo:  何度も出てくる姉妹のベッド上のシーンも、自然な生娘の表情でしたニャ。

デデ:  ところで、舞台は簡素ながら、家具や小道具はなかなかの見物。最後の祝言のシーンでは大きな円卓が登場。なんとゴブラン織りの上掛けが掛けられて、座布団が付いて気分は家具調こたつ。こたつの中では手と手、足と足が絡み合って・・・

ガンバ:  ところがティンパニーに強打に続いて、軍隊行進曲。ドキッとしたねぇ。姉妹もトルコ人だったかアルバニア人だったかも大慌てで、「ちゃぶ台返し」。ひっくり返ったちゃぶ台の足が2本折れたりして。日本の伝統芸の世界ですニャー。

デデ:  あそこらへんのオケの畳みかけるようなテンポは気持ちよかったですニャ。ところで基本的に場面転換は暗転と言うよりは、ちょっと薄暗くして、召使いの服を着た人間が道具を運ぶっていう方式だったんだけど、これが影絵のようで、なかなか美しかったです。大体の場合オケが鳴っているわけですが、一カ所だけ、通奏低音のコンビがしゃしゃり出て、チェンバロとチェロで何やら怪しげなつなぎの音楽を即興しておりましたニャー。

ガンバ:  あれも面白かったわねぇ。というわけで、まだ11月25日、26日の残券が僅かですがあるようです。まだ、ご覧になっていない方はぜひ日生劇場までお運びくださいニャー。


デデの小部屋(ホームページ)に戻る

音楽の小部屋に戻る

ボクの小部屋が気に入った、または
デデやガンバに反論したい、こんな話題もあるよ、
このCD好きだニャー、こんな演奏会に行ってきました等々、
このページに意見をのせたいネコ(または人間)の君、
電子メールsl9k-mtfj@asahi-net.or.jpまで お手紙ちょうだいね。
(原稿料はでないよ。)