アンドレイ・ガヴリーロフが弾くゴルトベルク

バッハ:ゴルトベルク変奏曲

2000年9月26日 サントリーホール


(デデのひとりごと・・・ぶつぶつ)

ゴルトベルク変奏曲といえば、バッハの鍵盤作品の最高峰。であるとともに、バロック的音楽語法のすべてを盛り込んで作曲した、バッハの作品の中でもかなり異色な作品。まあ、ここまでは誰も異論はないはず。ところで、今年はバッハの記念の年ということで、ゴルトベルクの演奏会もいくつか聴きましたが、どうもこれといったものには巡り会えず、まあ、一つぐらいはピアノの演奏会ものぞいてみるかというわけで、赤坂まで出向いたんですが・・・

この20年ほど、オリジナル楽器による演奏が主流になって、やっとバッハの世界が身近になってきました。それに伴って、わざわざピアノを使ってこの作品を演奏しようという人はかなり少なくなりましたですニャー。ことさらピアノのレパートリーとして弾くからには、それなりの意味づけが絶対に必要な曲です。印象に残るものというと、まず、シフの演奏があげられるでしょうか。バロック的語法をみごとに使いこなしつつ、現代のピアノという楽器の機能もフルに利用した演奏だったと言えるでしょう。舞曲風変奏ではそのリズムの特色をくっきりと捉え、カノン変奏では2声部の動きとベースラインを自在に操り、チェンバロで弾く場合に2段鍵盤をフルに駆使する変奏では、右手左手の動きをくっきとと弾き分け、さらに部分的にはオクターブ上下の音を加えて、チェンバロ的な華やかさをピアノで表現しようとしたり、両手が重なる部分ではどちらかの声部をオクターブ移動することによって旋律線をくっきりと描き出していました。

もう一人、ゴリラみたいな風貌で、「ウ〜ウ〜」と唸りながら弾く人、え〜と、グールドでしたっけ? 後半生は聴衆を拒否し、ひたすらマイクロフォンに向かって弾き続けた人ですから、もちろん実演は聞いたことがありません。この人の演奏は、録音で聞く限りシフとは好対照な演奏でしたニャ。およそバッハ的、バロック的語法とは無縁。というか、意図的に退けています。たぶん彼の頭の中では意味付けがなされているんでしょうが、録音で聞くとかなり不自然なテンポ、アクセント、リズム。それになんだかおもちゃみたいなピアノの音色。あれは何なんでしょうねぇ。ことさらピアノで弾かなければならない意味というのがまったく感じられない演奏でしたニャ。シンセサイザーを使えばもっと面白い演奏だって可能でしょう。でもたぶん、グールド大好きという人は、あの世界がたまらないんでしょう。まあ、ともかく、バッハの曲を使った、ピアノ(?)編曲演奏というやつですニャー。

で、今日のガヴリーロフの演奏はどうだったかというと、これがまた絢爛豪華、金襴緞子、極彩色・・・ 現代のピアノの機能をフルに活用しているのは確かです。ただ、視点が前にあげた2人とは根本的に異なっていましたニャー。ショパン、リスト、スクリャービン、ラフマニノフ・・・こういったロマン派以降のベタベタに感情表現をする音楽を知った上で、それらの音楽の表現法をバッハに投影するやり方といったらおわかりになるでしょうか。これは何ともやるせないですニャー。語法としての、修辞としての音楽ではないですから、肝心の装飾音は紋切り型のショパン風。速い走句と大きなメロディーの対置はリスト風。29番変奏の急速な3連音符はまるで、墓場に吹きすさぶ風のよう。葬送ソナタの第4楽章みたいだったですニャー。 全体に速い変奏では、恣意的にある音型や特定の一音にアクセントを付けて強調して聞かせるものですから、バッハが描いた対位法的テクスチャはバラバラにされ、見通しがまったく利かなくなります。遅い変奏では、やけにねっとりと歌ってしまいますから、音楽が停滞してしまいます。あ〜あ。この人、昔から得手不得手が極端なほどはっきりしているんですが、聴く側からすると、これは彼には明らかに不向きな曲。でも、本人は結構気に入っているらしい。これははたして、悲劇なのか茶番なのか?



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