二上山に登る道から推古天皇陵を振り返る。推古時代の都は明日香豊浦宮だったが彼女は厚葬を拒み、ここ磯長の竹田皇子の山田陵に合葬された。陵の左が正面になる。敏達、用命天皇の墓、聖徳太子の墓も磯長(しなが)に集中しているのはなぜかはよくわからない。中河内を拠点とした物部氏を倒した蘇我氏がそこに蘇我氏の血縁の天皇一族の陵を集めたのか。そう単純でもなさそうだが、どうか。 次へ