推古帝は古事記では「豊御食炊屋比売命(とよみけかしきやひめのみこと)」とある。欽明天皇の娘で、母は蘇我稲目の娘、堅塩媛(きたしひめ)である。聖徳太子の叔母であり、蘇我馬子の姪でもあるから、二人の巨人の間をつなぎ、政治の安定をはかることができたのだろう。兄弟である先代の崇峻天皇は馬子に殺され、聖徳太子の子、山背大兄王が入鹿に殺されたことを考えれば、彼女の気持ちが安らぐことがあったのかどうかわからない。小野妹子の墓もこの近くにあるが、彼から隋の話を聞き、彼女の治世に建立された四天王寺、飛鳥寺(法興寺)、蜂岡寺(広隆寺)、法隆寺などを廻る時があるいはそうだったか。おそらく、太子の話を聴くときが一番の幸福ではなかったかと思う。もっとも、それ以上の幸福などは日本史にはないのではないか。 次へ