「四文 荷物いのしりニ置青龍寺参往来壱里 いのしりニ戻り三里舟ニ乗 舟賃三分よこなミ(横浪)ニ上る」
内ノ浦湾をまたぐ橋がなかった当時、宇佐町宇佐から井尻へは舟で渡った。約400mで船賃4文。井尻に荷物を置いて青龍寺に参拝して、井尻から舟で浦ノ内湾を西へ進み、須崎市浦ノ内横浪に着岸した。約12kmで船賃3文。値切ったのだろうか。この日記で金銭の話が出るのはここだけだ。
できれば宿泊費や食費も知りたいが、書いていない。
当時は遍路の費用はほぼゼロに近かったようだ。阿波藩の文書には遍路の9割が路銭を持っておらず、それが当時の社会問題にもなっていたことが記されている。宿泊・食費をとらない「善根宿」や寺院が遍路を支えていたのだろう。もちろん全く無料ではなく、わずかな「燈明料」を置いていくのが礼儀だったようだ。旅費は多くても現在の10分の1程度だったようだ。「御接待」の文化だ。
ともあれ、土佐の波荒い外海から守られた波静かな内ノ浦湾を舟で渡る安堵感は格別だったと思う。
「五社(藤井山岩本寺)本尊阿弥陀 (中略)是よりあしすり(足摺)迄廿壱里五社ノ前久太夫殿ニ壱宿卯月十一日」足摺岬をまわればゴールは近い。 |