「より三里戻り 以布理浦大師堂休意庵ニ壱宿卯月十四日晩 いふりより屋またムラ迄八里 山田ノ紺屋ニ
壱宿卯月十五日晩」
「赤亀山延光寺 本尊薬師御作 はた郡中村 是迄土佐分済 松尾坂麓迄土佐分大ぶち原村番所有 土佐通路
也切手此番所ニ渡ス 小山番所与洲之内切手改申候 土州之分十六ケ所」
「観自在寺(平城山)本尊薬師 宇和郡山田村より是迄八里 平城ノ新兵衛殿ニ壱宿 卯月十六日晩」
「いわゐ村迄八里 太郎兵衛殿ニ壱宿 卯月十七日晩也
「稲荷宮(稲荷山竜光寺)本尊十一面 本堂大師堂 寺普請最中也 是より仏木寺へ三十町」
「仏木寺(一顆山)本尊大日 大師堂鎮主ノ宮 寺壱ヶ所」
「源光山明石寺 本尊千手 十二」
「社権現 薬師堂地蔵堂 寺弐カ所 住持ハ山伏也 仁王門有 札納所願成就 皆令満足之所也 是より半道
下り卯之町ノ三郎兵衛殿ニ壱宿 卯月十八日ニ卯ノ町ヲ立
七里下りいかた(伊方)ノ中ノ浦より日向あかた(安賀多)町之源次郎舟ヲかり 木付(杵築)ニ着仕申候
十九日ハ舟ニ壱夜 廿日は木付ニ泊ル
往来日数五十七日 同行四人 伊美半左エ門」
「同四郎右衛門 野田又右衛門
元禄四辛未天
矢野氏一圓
卯月廿一日 花押
書置きも後の形見に成やせん なからん跡に舳はぬれつつ」
(この書き置きもいつか後の世の形見になるだろう
長く残る私の旅の跡を船の舳先が波に濡れながら進んでいくように)
「一筆致し啓上候先以
其後は久々不得御意御座候
弥御平安之由珍重
奉存候次に拙者義も
無事ニ罷候間 百拝」まずは一筆申し上げます
その後、長らくご無沙汰してしまい、申し訳なく存じます
ますますご無事でお過ごしとのこと、まことに喜ばしく
思っております。こちらも変わりなく
無事に暮らしておりますので、まずはご挨拶まで 敬具
乱筆とも思える筆跡から判断すると、この巻末文は旅を終えてから相当の年 月が経った頃に書き加えられたようです。
読者に宛てた挨拶文ですが、彼の人生を締めくくる言葉のようにも思えます。
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