1−2少年サッカー指導の現状

 このように少年サッカーの規模自体は非常に急速に拡大する傾向にある。それに伴ってサッカー少年を指導する指導者は全国で2万人を越えたと言われている。しかし、本当に「底辺の拡大」「底辺の発展」となっているのであろうか。数字で見られるだけの発展を、内容的にも満たしているのであろうか。上のレベルの強化体制が充実されていても、末端であるそれぞれのチームでは、指導体制は整っているのだろうか。また、ただ単純にサッカーのみを考えるだけでなく、少年の健全育成の場として、少年サッカーのチームが役割を求められているのだとしたら、大人気によって集まってきた数多くの子供たちに、いったいどれほどきちんと、心身の健全な育成を促せるような指導ができているのだろうか。そのように、サッカー、少年育成の両面に関して、いいチームづくりができているのだろうか。急速な人気のなかで、指導者はさまざまな悩み、迷いを感じているだろう。また、そうした迷いから、指導に何らかの問題をきたしているかもしれない。
 実際のところ、少年サッカーの指導の問題点として、祖母井秀隆氏が、昨年の夏に全日本少年サッカー大会を見た上で、サッカーダイジェストにてこのような話を残している。

 「少年サッカーの指導者には、いまだに勝利至上主義的な発想で指導を行なっている人が少なくない。またそういった人に限って、指導者として最も大切な、子供への観察眼を持っていない。日本に周囲を見てプレーできる子供が少ないのは、指導者の観察不足から生じている問題なのだ。(ここまでは見出しの文。以下、祖母井氏の文章より)

 『・・・この夏、少年サッカー大会を見る機会があった。グラウンドでは相変わらず、大人たちが子供のミスに対して罵声をあげている。当然のごとく子供たちの顔に楽しそうな表情はなく、ほとんどの子供たちがサッカーにうんざりしているようだった。「早く蹴れ!」「何してるんや!」「何回いったらわかるんや!」「怖がるな!」「行け!」といったガラの悪い声が多く、「こうすれば効果的だよ」と助言する指導者は、正直少なかった。
 また、親たち(いわゆるJリーグ・パパ、Jリーグ・ママ)もコートの周りで「勝て、勝て」と叫んでいる始末。子供たちは、大人たちのプレッシャーに負けて、周りを見る余裕がなく、何も考えないでプレーしていた。
 全国大会に出たいばかりに、大人たちの行為もエスカレートしてしまっている。指導も、勝利至上主義的な発想で行なってしまう。これでは、子供たちの創造性は養われない。 ・・・略・・・
 どうして日本の子供たちは、見る→考える→判断→プレー、といかないのだろう。冒頭でも触れたが、少年期の全国大会によって生じる大人たちの勝利至上主義が一つの原因ではないだろうか。勝つことが主目的になってしまい、育てることがなかなか出来ない。それが盲目的に前にボールを蹴って走る“パチンコ・サッカー”になる原因なのだ。・・・略・・・』」


 また、日本サッカー協会強化委員長である加藤久氏の著書「少年サッカーの指導」のなかで次のようなことがかかれている。

 「(Jリーグのテレビ中継の解説でおなじみの)松本育夫氏の話によると、スポーツの場に応援に来るドイツの大人たちは、勝ってほしいという願いは同じでも、日本とは少し違う声援の仕方をするそうです。  ドイツの大人たちは『ブンタバー(すばらしいぞ)』『ノッホアインマール(いいぞもう一度いけ)』『シェーン(いいプレーだ)』を連発するのだそうです。つまり、ほめまくるのです。
 ところが、日本の少年スポーツではしばしばこんな言葉が聞かれます。『しっかりしろ』『違うだろう』『なにやってんだ』。
 勝ってほしいという願いは同じであっても、大人の声のかけ方によって、一方は失敗を恐れず伸び伸びとプレーしている様子が、もう一方は失敗を恐れて萎縮しながらプレーしている姿が目に浮かびます。」


 こうしてあげられてきたように、現在の少年サッカーの指導は、Jリーグによるサッカー人気の加熱とともに発展してきたとは言い難い。むしろ急激な人気によって、数字的なものだけが、規模だけが急速に拡大し、特別に指導者としての勉強をしたことのない、止むを得ずやることになった指導者が、子供たちにたいして押し付けな指導をしていることのほうが以前多いのだといえる。
 それだけではない。実際のところ、前述の祖母井氏の話では、かなりの指導者がサッカー未経験者であるというのだ。そして経験者であっても、少年期にはそぐわないような、いわゆる旧態依然とした体育会系の部活動のような精神論、指導の押し付けが行われていたりするのである。
 私が見る限り、こうした指導が少年サッカーに限らず、日本の国内の少年スポーツ指導、スポーツクラブに限らず部活動などの学校体育の指導の場においては依然数多く見られるし、現在指導を受けている子供たちからも多かれ少なかれそうした問題が聞かれる。学校体育の意義や目的にも依るのではあろうが、子供の自由な発想、創造力を活かしたプレーなどを育むためには、こうした指導はどうしたものかと思ってしまう。それだけではない。そうした学校体育の行き過ぎた指導のために、ごく最近のことだが大阪・羽曳野市の中学女子ソフトボールの副キャプテンが自殺をするという、何とも悲しい事件も起きている。
 サッカーブームによって数多くの少年が指導を受けているという状況から、少年サッカーにおける指導が、少年の健全な育成、健全な成長に、何らかの影響力を与えるであろうことは、想像に難くない。少年サッカーの指導から、事件、事故が起これば、社会問題になる恐れも十分に考えられる。だからこそ今、少年サッカーの指導を十分に考え直す必要があるのだといえる。


つぎの章へ

少年サッカー指導コラム「少年サッカー指導の現状」
このホームページへのご意見・お問い合わせは
TH7M-KBYS@asahi-net.or.jpまで

CopyRight Masanori Kobayashi 1995