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少年サッカー指導コラム
真のヒーローとは

 私の教えている少年サッカーのチーム内では子どもたちに技術的にも体力的にも個人差があります。それだけではありません。意志の強い子、弱い子、自分の気持ちを表現できる子、できない子、さまざまに集まってきます。
 クラブチーム、Jの下部組織などではセレクションを行い、そうしたばらつきを押さえるようにしているといえます。それに対して、少年団として組織される場合にはそういうセレクションは存在しませんが、その分、さまざまな性格・個性をもった人間との付き合いができると言えます。そういう意味では、人間関係の幅を広げるにはやはりこうしてスポーツをみんなで楽しむと言うのは非常にいい機会なのかもしれません。
 しかし、サッカーの勝敗に絡んでくると、ついつい指導者は技術的、体力的、精神的に弱い子・劣る子を叱咤してしまったり、卑下してしまったり、試合の采配上、交代させたり、試合に出せなかったりすることがあります。実はこういう行動は私にもあてはまるので、ついつい上手な選手のみフルに試合に出させるようなことが起きてしまいます。ところが、こうした指導者の心理は少なからず子どもに影響します。それは前述の技術的、体力的、精神的に弱い子・劣る子だけでなく、反対にいろいろ出来る子どもにも影響しているのです。せっかくの人間関係の幅を広げるいい機会が、突如として衝突と、不理解だけの世界に変わってしまう可能性があるのです・・・。
 皆さんは試合に行った際に自他チームを見ていて、キャプテンや、サッカーの上手な選手が同じチームの選手を叱咤したり、ミスに対していわゆる「キレ」る態度をとっているのをご覧になったことはあるでしょうか。さて、このことを皆さんはどう思います?
 日本代表でも、かつては「闘将」と呼ばれた柱谷 哲二さんは、よくチームの選手を叱咤していました。ジュビロにいたドゥンガ、最近では、名波さんあたりも試合中に叱咤しているという記事も見かけました。「じゃあ、サッカーのわかる選手が叱咤するのは別に間違っていないじゃん」と思ったあなた、もう一度考え直してみてください。指導者であるならば子どもを育てるという意味で、非常に危険ですし、ご父兄ならば、子どものことをもっと見つめなおしてほしい・・・。
 代表やJは少なくとも選ばれている人間がサッカーをプレーしていますし、なおかつそれで生活しているわけです。精神的にも肉体的にも強い選手同士ですから、当然お互いの主張をしながら、切磋琢磨していると言えます。ですから、「叱咤する」という行動もその中のひとつとして考えられます。一方、普通の少年サッカーのチームは前述の通り、様々な人間の集まるところです。ですから、それぞれの個性に対してお互いが考え、配慮し、その上で意見を発していくよう、育てていく必要があるといえます。
 ですが、いざ試合になると、勝敗にこだわり、指導者はつい叱咤の声をあげます。技術的、体力的、精神的に弱い子・劣る子は萎縮し(影響その1)、反対にサッカーの出来る子はそれに乗じて一緒になって叱咤している傾向があります(影響その2)。見てみてください。大概指導者の叱咤しているチームは子どもも叱咤しています(笑)。
 さて、というわけで、ここで題名にもある、「真のヒーロー」について触れてみましょう。私は、チーム内にサッカーは巧いのに、味方を叱咤するような選手にこういうのです。「それは本当のヒーローじゃないよ。偽者のヒーローだよ。」と。そうです。様々な個性が集まるチームなのです。だからこそ本当のヒーローは味方を助け、かばい、チームのために「オレがなんとかする。」と頑張る選手のことを指すのではないでしょうか。
 私はよくこのことに触れるたび、「キャプテン翼」の世界を思い出します。ちょうど私たちの世代がまさにサッカーにのめり込んだのはこの漫画のおかげだったと言えます。この主人公の大空 翼は事あるたびにサッカー選手としての「真のヒーロー」像を映し出してくれました。石崎くんが自殺点した時、GKの森崎くんが顔面直撃してボールが恐くなったとき、そうした事態をなんとかするため、自分が頑張り、結果を出すために必死に努力しました。その想いに周囲もまた頑張り、結果として勝利をつかんでいったのです。漫画だからとバカにはできないものです。人間関係のあるべき姿もそこには映し出されているのです。
 「真のヒーロー」を育てるようなチームづくり、そして、それに限らず、子ども同士ですから、ちょっとした悪戯やちょっかいを出すこともチームの中にはあるものです。それら全てを引っくるめて、指導者は子どもを見つめていく必要があるでしょう。私もかつてはそれらを全て「躾」として叱咤を肯定していました(エッセイ内ではそういうニュアンスで記述しています)。でも、それだけでとどめるのでなく、子どもたちにも様々な個性を認める努力をすること、認めつつお互いがどう接していくかと言うことについても、折りに触れて話すようにしています。もちろん、子どもにとっては難しい内容です。でも、何か事件をきっかけに子どもたちに考えさせたりしながら話すことは比較的容易です。少しでも精神的に大人になっていって欲しい、その願いも含め、指導者として子どもに接していきたいものです。
 最後になりますが、今回のシドニーオリンピック、女性陣の活き活きと活躍する姿に比べ、男性陣は不振を極めました。ある新聞でこんな意見を目にしました。
 「かつておてんば娘と言われ、何かとスポーツする姿を白い目で見られた女性たち。そういう意味では苦労してきたであろう彼女たちが、女性の様々な方面での社会進出に助けられ、社会的に認められ、何でも自由にのびのびとスポーツを楽しんでいる。苦労して来た分のチャレンジ精神やハングリーさもあるのかもしれない。一方で男性陣はどうだろうか。オリンピックに出場した男性陣は小さい頃からスポーツ万能で、エリートコースを歩んで来た選手が多い。何かと『お山の大将』的にチヤホヤされて来たとも言える。そういう意味では甘やかされて来た分、何かしら本当の意味での勝負に弱いのではないだろうか。」
 オリンピックの男性陣不振、長野県のサッカーの現状、もしかしたら、いずれも偽者のヒーローを大事にしてチヤホヤしているせいなのかもしれませんね。

結局、ショートコラムにならなかった・・・


コラム10月20日 真のヒーローとは
 

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