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WRITE IT LOUD!! ROLL OF ROCKS

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                        1996年10月11日開始

                                  火だるまG

第50回:1998年10月25日

CANNONS IN THE RAIN/JOHN STEWART/73 IN CANNONS IN THE RAIN

いったいぜんたい
どうしてあのヴァージニアを出て
こんな放浪の生活を続けているのか?
あいつはあの雷鳴は
雨の中の号砲、旅立ちの時だといったけど
あいつのいってた聖なる道も
けっきょくはありふれた
脇道ばかり
まだあの雷鳴を雨の中の号砲
旅立ちの合図だと信じているのか?

ドンキホーテの風車小屋が
あいつの中でどんどん大きくなっていった
物事をありのままに見ることだけが
賢くなる唯一の方法だというのに
あいつのいってた聖なる道も
けっきょくはありふれた
脇道ばかり
まだあの雷鳴を雨の中の号砲
旅立ちの合図だと信じているのか?


「人生の初めは、父親の家に住み、どんなことでも信ずるかわいい子供である。それから冷たい時期がきて、みじめで、悲惨で、貧乏で、不毛で、恐ろしい、嘆きの幽霊のような顔をして、悪夢のような人生を震えながら送るのだ。」(『路上』ジャック・ケルアック・河出文庫/『ころがる石ころになりたくて』火DARUMA BROTHERS G&A・清水弘文堂から孫引き)

 本日、父が古希を迎えた。
 三越の地下で、尾頭付きとか、赤飯とか、諸々の総菜を購入して、横須賀に帰郷した。
 母の乳ガンの手術の経過は大筋では良好なのだが、術跡の皮膚の再生の調子はいまいちなので、最近では家事万端父が担当している。
「洗濯物を干す時に、物干し竿を拭くだろ、雑巾で、だから、その旅についでに廊下とか階段を拭いちまうんだ。他の部屋は1週間に2回しか掃除をしない。でも洗濯はほとんど毎日する。だからいつでもこの家で一番きれいなのは廊下と階段なんだ」
 父が嬉しそうに話す。元気そうでとても70には見えない。父の元気な姿を見るのはとても嬉しい。
 もともと父は、気力体力ともスーパーマン並に充実している人で、しかも、ガキの頃から、海軍で合理的な精神やプラグマチズムをたたき込まれているので、なにをやらせても、見事なお手並みである。
 ささやかな宴が終わり、間髪を入れず、父が立ち上がる。食器を洗うのである。しかし父の初手は食器には向かわない。何をするのかと思ってみていると、父はおもむろに、ガス台の鼎を全部はずして、ガス台をごしごしと拭き始めた。
「毎日毎日炊事のあとにこうしておけば、大掃除が楽になる」
 僕の疑問に対する父の回答である。

 父と安田春男の話をした。
 安田春男。昭和18年生まれ。プロゴルファー。
 ジャンボ尾崎がデビューする以前、杉本英生、高野高明とともにビッグ3と呼ばれた安田春男は少年の頃の僕のアイドルだった。
 安田は異常に肝っ玉の細い人で、優勝のかかった試合の最終日の16番ホール辺りになると、左手で心臓のあたりを押さえ始める。そして必ずといっていいほど、短いパットに縮んだり、無謀な行動に出て崩れた。
 僕はそんな安田が大好きだった。一緒になってはらはらしていた。何といっても、何とかどうにか、優勝した時の安田の笑顔は最高だった。
 その安田が、先々週の日本シニアプロで最終日をトップで迎えた。
 僕がゴルフと手を切ってはや10年。それ以来、タイガー・ウッズの試合をちょこっと眺めたぐらいで、ゴルフなんて、テレビで見たことさえなかったのだが僕はテレビの前に座った。安田春男の成熟、枯れた姿を期待したのだ。
 しかし安田は全然枯れていなかった。18番で一気に5位まで落ちた。
「やはりお前も見たいたか、昔からお前は、安田、安田、安田だったもんな、しかし進歩しないな、安田は」
 父の言葉である。

 父は予科練出身。特攻隊の生き残りである。出撃予定時間は1945年8月15日の1時。ポツダム宣言受諾の詔書を読み上げた、いわゆる天皇の玉音放送が正午ちょうどだから、敗戦がもう1時間でも遅れていたら父は死んでいた。すなわち、僕はこの世に存在していない。時に父は、16歳と10カ月。なんという十代だろう。
 何もわからなかったガキの頃は、僕は、父の強運を祝った。そして少し自分の頭でモノを考え始めた頃には困惑した。父が戦争加担者のように思えてきたのだ。    
「俺だったら、何がなんでも、戦争を忌避するな、たとえ、特高に捕まって拷問されて殺されても、そうする」
 あの時代の異常さを知らないくせに、何の根拠も担保もない、そんなことを言って、父を困らせたこともある。
 だいたいこの論説を突き詰めていくと「俺は生まれなければ良かった」ということになる。そう考えているのなら、死ねばいい。面倒臭いことは多いが、大きくいって、僕は生きていることを楽しいと思っている。それにどうせいつかは死ぬのである。
  だから、ある頃から、こんな風に考えるようになった。
「これほど、賢く、心優しい父のような人間さえ巻き込んでしまう戦争は絶対的に悪である」
 結果的に、父は身を持ってその息子に反戦思想を吹き込んだことになる。

 ガキの頃から飛行機乗りだったというのに、父は結局、生涯車の免許を取れなかった。潮岬で米軍機と空中戦をやって、防弾ガラスの破片が左目に入った父は、少々目が不自由で、その資格を満たすことができなかったのだ。
 父は、十分に、傷痍軍人の恩給を受ける資格があるのだが、結局、手続きさえせずに、その人生の最晩年を迎えつつある。再三の、昔の軍隊仲間よりの同期会の出席の呼び出しにも一度も応じたことがない。
 最近になって、父から初めて聞いたエピソードがひとつ。
 父は敗戦を鈴鹿の秘密部隊で迎えたのだが、天皇の放送が終わったとたん、部隊長が全ての飛行機のプロペラをはずさせて、それをたたき壊したという。プロペラがなければ飛行機は飛ばない。血気にはやる若人がこれ以上の犬死にをすることを防いだのだが、その、部隊長は翌日切腹したそうだ。
「あの部隊長さんの名前を思い出せないんだ」
 父がそう言っていた。


僕のこの歌詞にスポットをあてる連載で、取り上げる曲の音楽面が最高に格好いいことは保証します。大音量で10回続けて聴いてみてください。きっと感じるものがあるでしょう。(この企画、文章、考え方などの著作権は一応存在するといっておきます)

 

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