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1996年10月11日開始
火だるまG
第38回:1998年4月25日
FRESH AIR FOR MAMA/ 10CC/ 73 IN 10CC
中途半端な極東のちっぽけな島国で、島国の中途半端でちっぽけな社会からも隔絶して棲息していると、人間社会がいよいよ分裂していることがよくわかる。
その昔、俺が商社マンだった頃、俺が世界で出会った男たちは、とにかく命ある限りは身を粉にしても働きたいといっていた。それが人間のつとめであると確信していた。ベルギーのタクシーの運転手。エジプトの守衛。シェラレオネのレストランの給仕。そのような階層の男たちだ。子供の写真を見せてくれたり、みんなが健康で幸せなんだといっていた。毎日酒を飲めてこんな幸せなことはないといっていた。
一方、新聞でインタビューに答えていた、アメリカ人のデリバティブで巨額の富を得ているという、とても20代には見えない老けた男は、30歳になったら引退して大自然の中で暮らしたいといっていた。この世にはストレスが多すぎるそうである。
未開発国の男たちのささやかな欲望は、その欲望を追求することが、どこの誰の迷惑にもならないのだが、アメリカ人が欲望を追求していくと、人間社会はちょっと困ったことになったりする。
たとえば、アメリカ人の欲望のせいで、何十年もの労働でこつこつと貯めた金が、瞬間の為替差損でブッ飛んだりする。自分の人生の価値、実は価値はけっして貨幣だけで計られるものではないのだが、人生の価値が瞬時に半額になったりすることに耐えられるほど、人間の精神は強くはない。世界に惨めな顔の人間があふれている所以である。
しかし強いやつもいるから、アメリカ社会は、これからもテロや暴力にびくびくしながら生きていかなくてはならない。コストはそんな風にして持ち回るものなのだが、その報いを払うものは一部の人となるわけで、強運の人間は死ぬまで自分のやっていることの意味に気がつきはしない。
アメリカに普通の想像力があれば、ベトナムも湾岸戦争もなかったのに決まっている。
日本では、土地本位制の資本主義の限界が世紀末に露呈して窒息死寸前の状況である。ややわかりにくいロジックだが、おそらく世界がもう少しして行き詰まる理由は、貨幣本位制の資本主義の限界が露呈するからだと俺は予想する。
単純なことなのだが、金も、土地同様、ただそれだけでは何の価値もないものである。土地は、誰かがその土地でなんらかの事業を行い、そこで利益を上げる、その土地の周辺に人間の活気が現出する、そんな未来の価値を前提にしてその価値が決まるものだ。そこは人任せにして、アホな人たちが土地だけでキャッチボールして疲れてしまったのが土地バブルである。
金も同じだ、その金で誰かが汗水たらして作ってくれたものを買える、そんな未来の交換の保証が金の価値の前提である。しかし、その何かを作る人たちが、いくらかの蓄積をするたびに、とりあえず金に変えておいた金を収奪してしまえば、この世から価値を作る人たちなどいなくなる。だから金の価値もなくなっていくのだ。
俺は自動車は買わないが、例えば、自動車会社が30万円の利益をあげるのには、300万円の自動車を売らねばならぬとする、その300万円の自動車を作るには、鉄鋼メーカーやら、部品メーカーやら、電機会社やら、水道会社やら、運送会社、工員やら、事務職やら、社員食堂の賄いさんやら、多くの人たちの労働と時間がそれにかかわるのだが、電脳処理でデリバティブでは、瞬時、しかも、ほとんどひとりで済んでしまう。オフィスとコンピュータくらいは買うだろうけど。
このふたつの30万という利益の価値が同じわけはないのだが、金はそのことを表現しない。貨幣本位制の資本主義の限界である。
一方労働は、実は、時間の表現でもある。人間は死ぬまでどうにかして時間を持て余すことないことを願うゆえに労働する。時間を持て余せば、生死とか、愛とか、神とか、幾多の現世の不条理について考えざるをえない状態になり、そんなことは恐ろしいから、一生懸命労働で暇をつぶすのである。だから瞬時に金を儲けられる立場にいる人たちも、時間的な問題をクリアするために、瞬時を積み重ねる、結果、またぞろやってられねぇなという、人たちを拡大生産することとなり、人類の鬱屈は進むのだ。
本当は、世間の害になることにせっせと精を出すくらいなら、布団かぶって寝ていて欲しいと、俺などは思うのだが、また逆の意味で、人間がそんなに強くはないということなのである。
いわゆるアメリカ的な生き方が、情報社会の進展とともに、ものすごい勢いで地球規模で蔓延しつつあるが、それがいくところまでいく前に、世界中のもののわかる人間がどうにかしてこれを阻止しなければならないと俺も思う。しかし、そんなことをいうやつも分別してみると、なんのことはない、気持ちの悪い自意識の権化の、ナショナリスト、レーシストだったりして、物言えば唇寒し、という気がしてならない。
だからとりあえず、アメリカ的な生き方を体現している人たちに、それで本当に幸せなのか? ということを問いかけ続けるしかないのだろうと思う。孤独ではないか? ひとり勝ちに身の危険は感じないのか? 子供はどんな子供になりそうなのか? まわりに自殺している人は多くない? ドラッグ漬けの人はいない? そんなことを。
僕のこの歌詞にスポットをあてる連載で、取り上げる曲の音楽面が最高に格好いいことは保証します。大音量で10回続けて聴いてみてください。きっと感じるものがあるでしょう。(この企画、文章、考え方などの著作権は一応存在するといっておきます)
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