since 97.5.03
1996年10月11日開始
火だるまG
第32回:1998年1月25日
THE FIRST CUT IS THE DEEPEST/CAT STEVENS(67 IN NEW MASTERS)
WILD WORLD/CAT STEVENS(70 IN TEA FOR TILLERMAN)
(旧聞)
“もとキャット”サラエボで公演という新聞の見出し(97年12月4日朝日夕刊)を見つけた時には、さすがに我が目を疑ったね。どこでどうしてそうなったのか今となってはわからないけど、僕と彰(=音楽中毒)の間では、キャット・スティーブンスは死んだということになっていたんだ。それで僕が彰に「おい、どうもキャットは生きているらしいぞ!!」といったら、彰は「変だなぁ、僕はミュージックマガジンかなんかで訃報を目にした記憶があるのだけど」という。
僕の、キャットは死んだ、の情報源は『ロックンロール・バビロン』(ゲーリー・ハーマン/白夜書房)のはずだったんだけど、整理のいいことが自慢の僕としては珍しくそれが見つからずに、はらほろひれはれと年を越してしまったというわけさ。
それでさっき、急にグレッグ・ルジンスキーの写真が見たくなって、アメリカ大リーグ関係の資料をひっくり返してたら、そこにあった。僕の整理法はジャンル別だからいったん違うジャンルに紛れちまったら占星術でも使わないとお手上げになるのです。別に図書館に住んでいるわけじゃないですがね。ちなみにルジンスキーは70年代を代表するフィラデルフィア・フィリーズのスラッガーで、リチャード・ドレイフェスを巨大にしたみたいなルックスです。僕にはホモっ気はありませんがいい顔の男を眺めるのは好きです。
それでバビロンをパラると、やっぱり死んだとは書いていない。書いてあったのは「イスラム教に改宗したキャット・スティーブンスは、同時にユスフ・イスラムと改名、1979年9月7日、ロンドンのモスクでファウジアというトルコ人女性と結婚した」という記事でした。(183ページ)
しかしどうして彼は死んだと思いこんでいたのか、もしかして世界中でそのような反イスラム的な刷り込みの謀略が行われたのかもしれないなんて思ったりもするのですが、奇妙なのは、彼が生きているときいてどうもそぐわないというか、安定感の悪い気が自分の中ですることです。僕の中では、彼が死んでいるほうが落ち着くなんて、僕っていったいどんな奴なんでしょうね。
歌詞を御覧いただければお分かりになるように、キャットは実にペシミスティックな歌ばかりを歌った人で、そういう人には若死にが似合うなんて勝手に思いこんでいた僕はダメな男です。
さて、ダメついでに、よく考えれば、キャットの生死確認なんてことはウェブ上でサイトを捜せば一目瞭然で、ありました、ありました、キャットのオフィシャルページなんてのもあって、過去4年間で10万ヒットを集めているそうです。まさに、世にペシミズムの種は尽きマジ(西川二十六右衛門)という感じですね。
今回の歌詞もここで見つけました。キャットの洋盤にはまず歌詞がついていないので大助かりデス。
ユセフ・イスラム(元キャット・スティーブンス)さんの生存確認を記念して、1997年11月16日、20年ぶりに人前で歌ったという彼のボスニアコンサートの後のコメントを引いてみましょう。
『"It awakened in me some kind of
feeling of inspiration to do something again. I don't think that
means necessarily that I'm coming back,because I'm not going back,
I'm sort of going forward, you know." -- Yusuf Islam 1997 』
いやぁ、実にポジティブ、これも宗教の力なのだろうか、別人みたいだ。(実は別人で本当は死んでんじゃねぇのか?) アルバムも出すそうですので、もし日本発売があれば、タワーかバージンで立ち聴きする決意です。
大寒に湯気を立てたる猫の尿(しと)似異
僕のこの歌詞にスポットをあてる連載で、取り上げる曲の音楽面が最高に格好いいことは保証します。大音量で10回続けて聴いてみてください。きっと感じるものがあるでしょう。(この企画、文章、考え方などの著作権は一応存在するといっておきます)
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