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WRITE IT LOUD!! ROLL OF ROCKS

                        1996年10月11日開始

                                  火だるまG

第14回:1997年4月25日

WEDDING BELL BLUES/LAURA NYRO(67 IN MORE THAN A NEW DISCOVERY=FIRST SONGS)
ALL I WANT/JONI MITCHELL(71 IN BLUE)
YOU DON'T LOVE ME WHEN I CRY/LAURA NYRO(69 IN NEW YORK TENDABERRY)
THE LAST TIME I SAW RICHARD/JONI MITCHELL(71 IN BLUE)
AND WHEN I DIE/LAURA NYRO(67 IN MORE THAN A NEW DISCOVERY=FIRST SONGS)


とっても愛している
いつだってそうよ
あなたの瞳の中に燃える若葉のような情熱を見つけたのは私ですもの
だけど私に結婚の日が来るのかしらとも思うの
あなたが苦戦しているときでも、私はいつでもあなたの応援団よ
下心も嘘もない話です
もちろん冗談なんかじゃないの
でもね
ただただキスとセックスだけじゃ保たないのよ

とっても愛している
いつだってそうよ
私にはいつもあなたの声が聖歌隊やメリーゴーランドみたいに聴こえてうっとりする
だけど私がウェディングベルを聴く日は来るのかしら?
あなたが本当に独りぼっちの時に
あなたのところに駆けてくるのは私だけなのよ
あなたのことを愛さないですむ日なんて
私にはただ1日もありません
でもね
ただただキスとセックスだけじゃ保たないのよ

とっても愛している
いつだってそうよ
私が尽くすしかないとしても
その運命に反逆する気はないの
でもね
私は愛の誓いを聞きたい
ねぇ、ねぇ
ウェディングベルってブルースじゃないはずよ



私はずーっと独りぼっちで、旅、旅、旅をしてきました
なにかを探して、それはなんなんでしょう?
私はあなたが嫌い。あなたが嫌い。
でもあなたが好き。
私が私を忘れるときには、私はあなたが好き
強くなりたい。大笑いしたい。きちんと暮らしたい。
生きたい。生きたい。
立ち上がってジャズにスウィングしたい
ジュークボックスに飛び乗ってストッキングを破いてしまいたい
あなたは、あなたは、あなたは
私と踊りたい?
どう?
 私たち、とってもステキなロマンスを見つけられるかもしれないわよ
そうしない?

私が私たちの恋愛に望むことは
縁あって出合った二人として、できる限りのことをすること。
ベストを尽くすこと。

あなたとお話がしたい
髪を洗ってあげたい
毎日毎日、あなたを蘇生させてあげたい
拍手を、喝采を
人生は私たちのもの
あなたのキスを思い浮かべるだけで
私は、シーソーに乗っているみたいにくらくらきちゃうわ
わかる? わかる? わかる?
あなたがどんなに私を傷つけているか、わかる?
そして私もあなたを傷つけている
そして二人とも悲しくなる

私はずーっと独りぼっちで、旅、旅、旅をしてきました
探していたものは、私を解放してくれる鍵です
嫉妬や貪欲から私を救ってくれる鍵
嫉妬や貪欲はすべての善きものを台無しにしてしまう
私は楽しみたい
太陽のように輝きたい
私はあなたが会いたいと思う人でありたい
あなたにニットのセーターを編んであげたい
あなたにラブレターを書きたい
あなたをいかせてあげたい
あなたを自由にしてあげたい
自由にしてあげたい
自由に



永遠のミューズたちの歌に心を傾けながら現代を語りましょう。

広大なる地球には広大なる時間差がありますので、すべての国や社会がすべてというわけではないにせよ、ようやくというか、ついにというか、現代はポスト資本主義の段階に突入したようです。
簡単にいってしまえば、物質的な欲望の限界効用がやっと顕在化したということです。
物質が有無という絶対的な差異のスケールの文法であった段階を終え、現在では多少・多寡といった相対的な差異のスケールの文法の時代に入り、資本主義本来の欲望達成感のダイナミズムが霧散しました。
これまた簡単にいってしまえば、みんながみんな、よっぽど地勢学的に、あるいは政治学的に不運でもない限り、食べられる時代になったということです。人間の寿命や、胃袋の容積には限界がありますので、毎日牛を丸々一頭食べられようが、200グラム食べられようが、そこにはそんなに欲望充足的な差異のない時代に入ったわけです。

そして一方、資本主義=物質主義の真骨頂は貯蔵あるいは保存ということです。消費という言葉は実は裏腹で、実は物質は消費というテーゼをちらつかせ私たちを誘惑してきましたが、あなたや私の身の回りを見渡せば一目瞭然がごとく、物質は圧倒的に残存し続けています。そして日々少しづついろあせていくことによって、私たちに消費の限界効用を見せつけてもいる。自己矛盾をはらみまくって暴走を続ける資本主義ってやつも、実はとても悲しいテーゼではあります。
そして私たちはその悲しいブルースにうんでいます。
ブルースのテーマは、私たちはもう人生という器は確保した、あとは、どうしてこの器をうめていこうかということです。日々無色透明な空の器を眺めながら、私たちはうちふるえている。テーマは決まっているのに、どうしてそれを展開してアドリブしていけばいいのか見当がつかないのですね。
情報資本主義の王者として年収うん100億円、引き続き相対性の競争に邁進する人、すっかりドロップアウトして路上でもう一度絶対的な有無のダイナミズムを追いかけてごみ箱を漁る人。実はこれらは同じ、新しい答えを見つけられない人種の裏表であります。

てなことをまったく考えないで、ひたすら生の情熱を、動物としてのダイナミズムを追いかけるミューズたちにはいつもふりまわされます。ロック界の二大ミューズローラとジョニ、彼女たちのシンプルさは圧倒的で、シンプルになりきれない、私の胸を突き刺します。
人間としてこの世に生まれたということの意味。それはきっと人間としてこの世を去るときに脳裏に走馬燈のように浮かぶ光景がそれを教えてくれるのだと私は思います。合理的なミューズたちはきっとそのことを深く熟知していて、生きている間、そのことしか考えないのでしょう。

掲題の曲は二人の両極端のミューズのそれぞれの恋愛の初動を唄ったものです。以下にそれぞれの恋愛の終焉を歌った曲を並べてみましょう。


ようするに二つの善きものが死んだということ
あなたと私
あなたは私が泣いてるときには私を愛してはくれない
お別れをいわなくてはならない
サヨナラなんていいたくない
でも、おしまい

私の頭の中で、ファンキーなブルースが鳴っているわ
なんて甘美な導きなんでしょう

死んでしまいたい
あなたは私が泣いているときには私を愛してはくれない
それが私の愛を演技にする
それが私にあなたと一緒にいたいといわせる
でもあなたはどこかにいってしまう

私の頭の中で酔いどれめくらのブルースが鳴っているわ
宝石と煙草の煙
私はいくわ
そして泣いて泣いて泣き続けるの



最後に彼と会ったのはデトロイトの1968年
彼が私に話してくれたのは
いくつかのロマンティックな出会いと、いつか来る別れという定め
いきつけの薄暗い飲み屋に集う、皮肉屋、のんべえ、退屈な人たちのこと
「君は笑っているね、君には免疫がありそうだ、ずいぶん色々経験してそうだな」
彼はいったわ
「君の目を見てみたまえ『まるで満月のようだ、君は薔薇のようだ、キスさせておくれ、可愛い人よ』。男はみんなそういっただろう。そんなのみんな罪のない嘘だよ。罪のない嘘、罪のない嘘だよ」。

彼がお酒をついで3回かき回すと
事態が動き出した
編みタイツに棒タイのプレイガールの格好のメイドがやってきて
いった
「さぁさぁお別れに乾杯しましょう」
私はいった
「あんたってとことん変わらないわね」
「あなたは頭でっかちで、都合が悪いと逃げてばっかり、あんたの目はとっくに死んでいる。でもあなたの書くラブソングは素晴らしい。本当に素敵。いったいどうなっているの? 恋ってもっと素敵なものじゃなくて、恋は素敵なはずよ」

彼は結局フィギアスケーターと結婚し、彼女に皿洗い機とコーヒーメーカーを買ってやった。
今では、酒は家で飲み。ほとんどの夜は家でテレビを見て過ごしている
部屋の明かりをすべてつけている
私はその明かりをすべて消してやりたい
私はもうだれもいらない
私は、薄暗い飲み屋にボトルをいれていた、すべての夢見る人たちの行き着くところがそこであるなどといいたくない

薄暗い飲み屋
私が私のゴージャスな羽を広げて空を舞う前に羽を休める薄暗い闇の繭
あの薄暗い飲み屋は、私の通過儀礼





ローラの曲もジョニの曲にも、真実といわざるを得ないようなエモーションが満ち満ちていて、もはや言葉がないという感じです。
しかしぐにゃぐにゃのローラとがちがちのジョニはまさに対極。間がないという感じ。極端と極端だから相通じるのですね。二人の実生活での相関性は知りませんが、黛敏郎と武満徹が仲が良かったような感じ。三島由紀夫と野坂昭如も仲が良かったらしいしね。

1997年4月8日、49歳で死亡したローラ・ニーロのデビューアルバムには、下記のような恐ろしい曲が入っていて、いくら19歳の若気の至りといっても、もし、僕がそのときに彼女の友人であったら、ぶんなぐってでも、こんな曲のレコーディングは止めさせるだろうとも思うシロモノです。
ローラさん、あなたが死んでこの曲は洒落にならなくりました。あなたが、この曲を世に送って30年たちましたが、あなたは、あなたが死ぬときに、かわりにその道を歩むべき子供の誕生を信じて死にましたか? そうであることを私は心から望んでいますが、現代はポスト資本主義という、その歩むべき道を見つけるのが大変難しい時期に入ってしまったので、なかなか、そんなガキは簡単には出てこないのではないかと、危惧もするしだいです。
私個人といえば、あなたをはじめとするロックの中に答えがあることはわかっているのですがね・・・・・・。
ローラさん、さようなら、とにかくご苦労様でした。


私は死ぬことはちっとも怖くない
本当に気にしていない
死んで楽になるのなら、今すぐ死にたいくらい
死んで楽になるのなら、今すぐに死んでもいい
でも棺桶の蓋はきちっとしめてね
だって土の中は寒そうだから
そして私が死ぬとき、私が逝くとき
赤ちゃんが一人生を受け
私の続きをやってくれるの

私にはトラブルばっかり
私の悩みは井戸のように深い
天国なんてないと確信しているけど
地獄もないといいなと思う
どっちに生きているうちにはわかりはしないこと
死んで初めてわかること
そして私が死ぬとき、私が逝くとき
赤ちゃんが一人生を受け
私の続きをやってくれるの

生きているうちは自由にさせてちょうだい
鎖さえはずしてくれればいいわ
私が人生に望むのは
自然にさせておいてということだけ
そして私が死ぬとき、私が逝くとき
赤ちゃんが一人生を受け
私の続きをやってくれるの



僕のこの歌詞にスポットをあてる連載で、取り上げる曲の音楽面が最高に格好いいことは保証します。大音量で10回続けて聴いてみてください。きっと感じるものがあるでしょう。(この企画、文章、考え方などの著作権は一応存在するといっておきます)


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