追憶の16号線/ハゲとの旅(PART3)

追憶の16号線/ハゲとの旅-4番旅


横浜−横須賀
31.59KM

長い長い待ち時間が終わり。ようやく4回目の出発が訪れた。
ハゲはその長いインターバル中になん度も来店している。
そして、その度ごとに

−−−今度はいつやるんだ?
−−−今度の日曜日はやるのか?(なにか別のことみたいね。イヒヒヒヒ)
俺は尋ねてみたりはするが
−−−いいや。

といわれてしまえば、それまでである。
出発を予想し、日常生活のスケジュールを調整して俺は待機し続ける。自戒を含めていうのであるが、やたらと効率よくてきぱきと物事をすすめていく若者は気持ち悪いから、これはこれでいいのである。

−−−この間、ポチにさ、俺は若い奴から学ぶものなんてねぇ、なんていっちゃってさ。それからポチは顔をだしゃしねぇんだ。見限られたかもしんねぇな。
−−−ポチって誰すか?犬にも友達がいるの?
−−−わけねぇじゃねぇか。お前みたいにしてつきあっている奴だよ。29かな。
−−−西川さん、酔っ払ってたんすか?
−−−いいや、素面だ。
−−−じゃなんでそんなこといったの?
−−−そいつが自分でもわからねぇんだよ。そいで困ちゃってるんだ。

実は、事実は事実なのだ。俺は若い奴から学ぶものなんかなにもねぇと思っている。それでいて若い奴とつきあいたいとも、切に思っている。これってなんなのだろう?俺って甘えているのかしら?

「若い奴」という言葉を「他人」に置き換えてみる。いいや、これは違う。若くない他人様から学ぶことは多々ある。しかし若くない他人様方と積極的につきあいたいとは思わない。どうやらこれは、若い奴とつきあう時に限って有効な感覚のようだ。全国の若い奴の人々よ、こんないい草を聞いたらアナタはどう思われますか?

−−−お前はなにが楽しくて俺とつきあっているんだ?
−−−俺だって、別になにかを教えてもらおうとかは思っていないよ。それよりこっちがどのくらい搾り取れるかさ。

俺からなにを搾り取ろうというのか?

11才から25才まで住んでいた、俺が若者であった街、横須賀を国道16号線で突っ切ろうという道すがら、俺は若者とのコミュニケーションに関する考察に専念しようとしたが、突然乱入してきた現実がそれを許さなかった。いまだにいとも簡単に現実の脅威に打ちのめされるのだから、俺って、もしかしたらいまだに若者なのかしら?

マイホームタウン追浜を越え、田浦へと向かう浦郷隧道で、俺とハゲを乗せた車は神奈川県警田浦署の鼠捕りに引っ掛かったのである。機械整備の会社を社長と喧嘩してやめ、週4回、時給800円のガソリンスタンドでバイトする現役の若者、ハゲにとって、時速15キロオーバー、罰金1万8000円は非常に厳しい現実である。

俺?
現実の驚異ってさっきいったじゃない。
恥ずかしながら、今の俺はハゲ以上に経済力がない。今月の稼ぎは15万3000円。これは我が同志、Aも工も同じ。ロックバーなんて全然儲からない。好きなことして生きていられるだけでもありがたいと切に思うハングリーな中年3人組。中年から搾り取れるものなどなにもないのだという事実を若者に知らしめる瞬間の到来である。

柏から始めて横須賀までようやくたどり着いた、この長い旅の間、俺は車での移動に関してただの1円も、車の提供者であるハゲに払っていないし、今回の罰金に関しても、ハゲはひとことも俺に助けてくれとはいわなかった。

−−−これで免停くらうから、次回は早くても1ヵ月後ですね。またずいぶん待たしちゃうね。

ハゲが発した言葉はこれだけ。だから俺は若者どもとつきあいたい。

とはいえ現実に圧迫され、車中は陰陰滅滅たるものと成り果て、ほとんど声もない状況で停車した本日のお絵描きポイントは、国道16号線沿い、横須賀市馬堀海岸1丁目。西武不動産高級分譲住宅地馬堀シーハイツ前の東京湾岸壁である。ハゲは、わかってたまるか、というテーマで海のない海の光景を描くとのこと。

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ハゲのささくれだったココロを癒すために、せめてなにか飲み物でもと、俺はコンビニを求めて分譲地の中に足を踏み入れてみた。
「早川」「田村」「小林」「松沢」「滝本」「井上」などという、どこかで見たような表札が並んでいる。
角々の四辻で世間話に興ずる主婦の皆様の俺を見る目が鋭い。
俺ってあんたたちの目玉にはそんなに不審人物に映るの?
まっ、それも当然である。
ここで、よれよれのオーバーオールと運動靴の37才の俺が、俺はあなた方と同じく、この横須賀の街のもう1つの西武不動産高級住宅地、湘南鷹取分譲地で育ったの者ですと叫んでみても誰も信用しないだろう。
空間的のみならず、時間的にも、心理的にも、故郷は遠きにあるものであり、その上、俺は思いもしない。
ハゲにミネラルウオーターのボトルを渡し、散歩する。ほぼ10年ぶりの横須賀の海は相変わらず、薄墨色に濁り汚く臭いが、岸壁には真っ青の海が広がっている。馬堀海岸アートペインティング−市民が海とふれあえる場−と称して、市内の中学生のガキどもの描いた絵が岸壁を埋めているのである。大矢部中2年Y君の描いた海の絵。大楠中2年A君の描いた海の絵。公郷中1年N君の描いた海の絵。常葉中3年S君の描いた海の絵。そして我が母校。追浜中3年K君の描いた海の絵。

耳をかっぽじってよく聞けガキどもよ、たとえ大人たちにどんなにうまいこといわれても、ホンモノの海の脇に自分たちの描いた海の絵を飾ってはいけない。海の横に海の絵を飾るなんて、どう考えてもまぬけではないか。それでもなにかの都合で描かなくてはならぬのなら、現実をしっかり見つめて薄墨色の海を描こう。青く描かなくては飾ってもらえないというのなら、飾ってもらわないでも結構だといってやれ。青く描いて欲しければその前に海をちゃんと青くしろといってやれ。ガキのくせに屁理屈いうんじゃないとか、なんとかかんとか、大人たちはぐちゃぐちゃいうだろうが、大人たちのいう言葉を真にうけてはいけない。なぜなら、現在ガキであるところの君たちが、そんなつまらない大人になる前には、遠くて長い若者という道程が続いているのだ。自分の経験に基づいてアドバイスするが、若者はとても自己嫌悪に陥りやすいものだよ。ここにこんな絵を描いてしまって、きっといつか舌噛んで死にたくなるとか、大赤面するとかそんな気分になるときがくる。もっと自分の人生を大事にしよう。中学2、3年生にもなれば、プライドとか、自愛とかいう言葉の意味ぐらいわかるだろう?繰り返す。大人のいうことを真にうけてはいけない。俺は若い奴から学ぶものなんかねぇという無謀な発言であれば、それはなおさらなのである。

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5番旅


富津−君津−木更津−袖ヶ浦−市原−千葉
56.25KM

久里浜からフェリーで金谷まで渡り、国道16号線の千葉県側の起点、富津の街に足を踏み入れれば、時刻はすでに午後の3時を指し、現実時間が俺たちの旅の時計とシンクロして斜陽している。俺とハゲの旅にも、終わるということの切なさが点滅し始めた。千葉臨界工業地帯の大工場の正門の数々が窓の左に延々と続いているが、この一帯の国道16号線は高速道路も同然で、光景は俺の視界から飛び去り続けていくばかりである。

それでも、数少ない信号待ちの某大工場の正門前で、俺はとてもなつかしい感じのする人物にであった。痩せた体、半袖の白い開襟シャツに、グレーのズボン、黒のベルトをしめ、黒の革靴、黒の肩かけカバン。シャワーで汗を流してきたのかすっきりした表情だが、顔にはいくつものしわ。鼈甲の黒い眼鏡。

左手に煙突モクモクの大工場群。右手に緑も青々の山々。雲一つない落陽間近の青空の下、ずーんと延びた国道16号線の横断歩道を、そんな男がゆっくりと渡っていく。

俺が柏から横須賀の分譲地に引っ越した頃、分譲地はまだその1割も造成が進んでなく、近所に遊び相手の見つけようもない俺はもっぱら分譲地の外で遊んでいた。街の丘には「東芝寮」と呼ばれる社宅のアパートがあり、その中庭もそんな遊び場の1つだった。宇佐見くんや遠藤くんや松本くんといった「東芝寮」の面々と遊んでいたのだが、夏休みの、超暑暑の炎天下、それでもようやく斜陽し始めたころになると、坂を上って一斉に帰ってくるんだな。白い開襟シャツで、グレーのズボンで、黒ベルト、黒革靴、黒肩かけカバンで、みんな痩せてて、みんなしわだらけで。そして、あの時俺は11だったのだから、おやじさんたち、みんな37、8だったのだよね。

信号待ちですれちがった人物も37、8才と見受けられる。それを車中から見送る半ズボンの俺も実は37。彼を家で待つ現在11才であろう少年は将来どんな37、8になるのだろうか?それに、あのころの37、8はどんな63、4になっているのだろうか?

あの頃でさえ十分おんぼろだった「東芝寮」はとっくに取り壊されてがらんがらんの空き地になっている。企業の含み資産というやつなのだろう。あの頃の東芝寮のみなさん、おじさんたち、おばさんたち、友だちたち、元気ですか?幸せですか?おかげさまで、俺は元気で幸せです。

千葉臨界大工業地帯の大動脈、国道16号線を北上する旅の間、俺のイマジネーションを刺激した光景は、この白い開襟シャツ、グレーのズボン、黒いベルトと革靴と肩かけカバンの人物のみで、延々と続く、左手の煙突群、右手のたわわの緑の山々を強烈な西陽に手をかざして眺めながら、このようなアンバランスな光景がロックの故郷なのかしらなどと考えてみるほど、俺は退廃してはいない。ただし彼の11才ちょぼちょぼであろうガキがいつかロックにであうことは間違いないという予感はします。なんかここらへんイスラエルみたいだし。もしかして聖書の故郷?

西陽も帰宅準備を始めかけた16:40、ようやく到着した本日のお絵描きポイントは、国道16号線近辺、市原市八幡町と千葉市中央区浜野という地名の土地の間の埋立地、京葉臨界鉄道株式会社村田倉庫敷地、もちろん無断侵入です。千葉県住民のハゲは、はなからここに狙いをつけていて、引込線の線路越しに見る小さなセメントプラントを描く由です。
d5.gif 2つの大きくてフラットな倉庫を銀と緑の大屋根でつないだ敷地には、緑色のシートにくるまれた16個のクレートと、大/内容積18.3M3、小/内容積17.1M3の褪せた水色のコンテナが全部で15個置かれている。2つの倉庫に全部で6個あるゲートには「これだけは確実に実行しよう自主目標」「プロは事故を起こさせない、起こさない!」などの標語がはってある。
背後には幅30M程の穏やかな川が流れていて、そのすぐ向こうの埋立地は川崎製鉄千葉工場である。

グレーの2トーンカラーの工場上屋の大きなオレンジ色のゲートにはKAWATETSUのロゴと「ご安全に」というメッセージがゆれているなと思ったら、白い開襟シャツ、グレーのズボン、黒のベルトと眼鏡と肩かけカバンのおじさんが近寄ってきた。

−−−あなたたち、ここは私有地で立ち入り禁止なんだよ。
−−−はぁ。
−−−なにしてるんだ?
−−−絵を描いているんです。
−−−それは別にいいけれど、とにかくもう閉めて帰る時間だから帰ってくれないか。
見たところ彼は63、4って感じ。おじさんたちは、あれからもずーっと、ただ黙々と家に帰り続けていたという一席。だから俺も遊びっぱなしと、お後がよろしいようで。
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