追憶の16号線/ハゲとの旅(PART2) |
大宮−上尾−川越−狭山−入間−瑞穂−羽村−福生−昭島−八王子
81.6KM
平日。おぉ、なんたる甘美な響き。前回の1番旅の日曜日に比べ、産業道路たる側面をむきだしにした16号は馬鹿みたいにこみあい、にっちもさっちもいかない状態であり、道行くドライバーの方々の表情にはどことなく殺気のようなものも読み取れそうな雰囲気なのだが、俺、そんなこと全然気にならないもんね。なんたって、俺は遊んでいるんだもの。
−−− やっぱ平日だよ、平日、ハゲよ、よくぞ有休とった。平日が最高、最高。
SOMEONE’S JUNK IS ANOTHE ONE’S PARADISE〜.(思わず飛びでた俺の鼻歌)
−−− なんすかそれ?(俺は強度の音程障害だから、たとえ原曲をハゲが知っていたとしても、ハゲにはわからなかったであろう)
−−− 歌だよ。俺の好きな曲。ファンキーキングスってグループのジャックテンプチンが作った「マットレス オン ザ ルーフ」って、もう18年も前の曲。俺が一生道連れにする曲の1つだ。イーグルスの「ピースフル イージーフィーリング」知ってるか?こっちはもっと古いけど。
−−− はい。
−−−それもそのジャックの曲だ。ジャックはそんなことばかり歌っている。
−−− どんなこと?
−−− 人が人かどうかは知ったこっちゃないが、俺は俺だってことさ。
−−− やっぱり、英語がわからないと駄目すね。
−−− 日本にもそんな歌はいくらでもあるさ。「もうしわけないが気分がいい」(岡林信康)とかさ。どことなく屈折しているけれどな。イヒヒヒヒ。
−−− でも、日本語の歌はわかりすぎてつまんない。
わかりすぎてつまらない日本語の歌について一席。
これも、もう15年も昔、俺が夜間の英語学校に通っていたころ、ネイティブの先生をつかまえては、音楽の歌詞について質問攻勢をかけていた時期がある。「ホールアンドオーツの『SHE’S GONE』では、彼の愛した女の人は死んでしまったのか?それとも別離したということなりや?」とか云々。相手をしてくれた親切な先生は、確かナーニーさんというミスターだった。おれが「なーにー?」って聞いてまわった先生がナーニー先生なのである。
「私にもわかりません。どっちにもとれます。それは聞き手の自由ではないですか? ただ、そんなことをあなたに考えてみる気にさせるぐらい、その曲が音楽としてすばらしいということではないですか?」
ある曲がおもしろくないと感じるのは、それがわかりすぎるからではなく、音楽としてつまらない、豊かでないからなのである。
食い物を例に引いてみる。大むね高価なものがそれに該当する場合が多いが、世の中に歴然と旨いものが存在することに異議を唱える人はいないだろう。「いや腹へっている時にはなんでも旨い。俺はこの世で塩オムスビが一番旨いと思う」という意見にも耳を傾けるべき真理があるのは事実だが、実際問題年柄年中、塩オムスビと沢庵だけを食しているという人に、俺はお目にかかったことはない。お坊さんとかに知り合いもいないし、神仏の域まで達したと自称する坊主もマスクメロンがお好きらしいし。イヒヒヒヒ。
徒歩よりバス・電車、バス・電車より飛行機がコスト高なのが当たり前のご時勢に俺たちは生活している。ホテルだってドヤ、カプセルからスイートまでお望みしだい。そんなこの世の中で、音楽はピンもキリも同じ値段である。高度資本主義社会における表現芸術の高貴さと切なさの秘密がここにあり、それはまた下衆と頽廃の秘密でもあるが、高貴さも切なさも下衆も頽廃も表現者のテリトリーだから、受容者の俺たちは、いいもの、おいしいものとだけつきあっていけばいいのである。
なんてことをエラそうに吹聴しているうちに、ハゲがようやく、本日のお絵描きポイントを見つけた。
国道16号線沿いは川越市伊佐沼、西武バス・伊佐沼冒険の森バス停前の、なんかよくわからんけど、タコ糸みたいなものが膝の高さで囲っている細長い台形の空き地である。ハゲは車をその空き地の真ん中に停めた。もしかして俺たちは短いほうの底辺のタコ糸をぶっち切って侵入したのではなかろうか?
今にも泣きだしそうな曇り空の下、澱んでいるドブ川の脇の空き地にアグラをかいたハゲは、少し離れた火のみ櫓のある旧家の垣根のはしっこに背伸びしているハゲハゲの樹木に目をつけた。ちょんぎられた短い枝が痛そうな幹と枝だけの大木。ハゲとハゲとのであいである。
−−− 海の中から水面を見上げる感じの絵を描く。
ハゲの道具はあいかわらずのクレヨン。この旅を通してクレヨンで決める作戦をとるらしい。
−−− おぉ、描け描け。
ハゲのお絵描きを見物しているみたいに、空中を銀色の飛行船が浮遊して、なん回もなん回もハゲの頭上を回転していることにハゲは一生気がつかないであろう。その腹には「I’LL」とある、飛行機会社の旅行の広告ですな。旅行でジャンボなんぞに乗るよりも、ああいう飛行船に乗るほうが気持ちいいのではないかしら?どっちの方が落ちる確率が高いのかな?
空き地の長いほうの底辺のちょうど真ん中あたりにもう住人のないワンコ小屋を見つけた。中をのぞくと住人が以前愛着しただろうと思われる雑巾が半分粉になっている。どんなワンコだったのだろう?なんで死んだのだろう?年とったから家の中に入れただけで、実はご存命なのかしら?俺はワンコが大好きだ。
−−− 失敗作になりそうです。
再び覗きにいった俺にハゲがいう。
−−− バカ野郎、うだうだいわずに、ただ描け、描け。
ハゲが露骨にむっとしたので、キャンキャンと逃げるようにして車に戻ると、バックシートに新潮文庫の「フランダースの犬」(ウイーダ)を発見、ハゲの愛読書なのだろうか?おぉ、こりゃまたワンコ、ワンコ。ハゲがお絵描きから帰ってくるまで,シートを倒して俺はそれを眺めることにした。俺はガキのころから童話なんて読んだことがなく、話の筋も知らないから、暇つぶしにはちょうどいい。
「幸せなことに殺されてしまった前主人……」
「現代社会のむさくるしさ、あわただしさ、群衆、醜悪、商業にかこまれて、いにしえの荘厳な寺院はなおも存在する。雲は流れ、小鳥は旋回し、風は吐息をつくようにそれら聖堂の周囲をそそぐ。そしてその足もとの地下に眠るのはルーベンスである」
自己を肯定するために他者を否定して恥じ入ることのない、なんたる愚劣な物いい。それに、おめぇとルーベンスとどういう関係にあるんだ?ルーベンスが偉いからっておめぇが偉いとはかぎらんではないか?この馬鹿。ウーワンワンワンと大いに憤激しているとハゲが戻ってきた。
−−− おい、こんな風に、善悪を明瞭に語る表現はあかんのだぞ。
−−− とかいって、それってみんな単に好き嫌いの問題じゃないの。その本も、さっきのあんたの音楽の話もさ。
キャンキャンキャン。
八王子−町田−相模原−大和−横浜
44.5KM
ぽそぽそ小雨の昼下がり、車は遅々として進まず、なかなか今日の起点の八王子に到達しない。イライラがつのる。こんな車の波に阻まれているのは、いや自分もその波の一部になって世間にアホづらさらしているのは、とてもみじめである。なんて格好悪いんだ。俺は全ての行列を憎む。えっ?前回といっていることが違う?今日は日曜日なのです。日曜日。遊んでいるのは俺たちだけじゃないのです。
それで、格好のいい人のいない時代というお話になった。ヒーロー不在の時代。1971年8月24日生まれのハゲはエディーベダーという人物が格好いいという、エディーは「パールジャム」というグループのリーダーということであるが、俺はその人物に関して一かけらの知識も有していない。これはどういうことだ?
俺のインタビューの仕方が稚拙なのだろうが、ハゲにその人物の何がどう格好いいのかを聞き出そうとするが要領を得ない。しょうがないからハゲのヒーローの条件を聞いてみると、外人、白人、有名ロックミュージシャン、ボーカルまたはギター、黒毛(ブラックヘア)はダメ、生まれ育ち家庭環境などで深読みしやすい(感情移入しやすい)キャラクターといった感じだそうな。完全に気のない返事。これもどういうことだ?
それでは、俺が23才のころ、俺は誰が好きだったのか?
23才といえば、大学4年。初めて惚れて惚れられた女の人にであい、あっという間に絶縁され、死のうかしらと思ってたころである。外部に救いなんてない、それより自分の内部をどう鍛えるかだの個人戦がすでに始まってた。そうだよな。ハゲだって同じに違いないのだ。ハゲの機嫌が悪く、話がうまく噛み合わないのは、全て俺の愚問のせいである。 話の設定が悪かったとハゲにあやまり、女の人の話になる。23才の男にとり、女の人の問題の切実さこそは時代を超えて不変のはずである。
−−− 俺、なんかやはり母みたいな女性を求めている気がする。
−−− !!!!????
なんだそれ? ご時勢ながら、23才のハゲの女性経験は現在36才の俺のそれを現時点ですでに凌駕している。それなのに素直というか幼稚というか、それでもこんなこというの?俺の頭は真っ白になっていくのであった。
真っ白になったまま到着したのが本日のお絵描きポイント。国道16号線は、相模原市小山4丁目5、大河原陸橋脇、4階建て社宅らしきもの2棟の敷地に沿ってたたずむ12本の桜並木の前である。古木ともいえそうな太い幹の桜の見事な枝振りに桜の花は満開だが、天候の都合上ハゲは車の中でお絵描きを始めた。普段でもめったに傘をささない俺は濡れるのが大好きだからお散歩と洒落こむ。
黄色い社宅の各3っ計6っの入り口に全部で16台の自転車が停まっているが、1台として名前も住所もなく、この社宅のような建物が実際にはなんという名称なのかわからない。車は全部で12台。RVが多い。陸橋と交差するように、社宅らしきものの横を相模線の単線が走っていて、時々3両編成のシルバー車体に青のベルトの電車がゆきかう。
電車道と陸橋の人気のないクロスロードがゴミ捨て場と化していて、蒲団とか、自転車とか、リンゴ3個レモン2個ビンとコップ各1個から構成される広沢将一という人の描いた静物画とか(こんなもの捨てるなよ、見かけた方が恥ずかしいじゃないか)、壁には「畠山参上」という落書がバカでかい。これは懐かしい匂いがする場所であることよと思うまもなく、案の定、俺は2冊の文庫本を見つけてしまった。
「凶犬」(蘭光生)
「輪姦女教師・狙われた熟肉」(佳奈淳)
両方ともフランス書院文庫である。
「輪姦女教師」の方には「啓文堂書店」のカバーがあった。持ち主が捨てていく際「凶犬」には感じない、後ろめたさ、恥ずかしさのようなものを感じたのだろう。わからないでもない。
「凶犬」の「白衣肛虐」という章から抜粋。
「『大きな声を出すとこうだぜ』
脂じみた悪臭の染みこんだ靴下をはいたまま、足裏のターゲットを純子の胸乳から可愛らしい唇に移した。……
『やっぱり好きなんだな、あんたも。看護婦ってみんな助平だって聞いてたけど、あんたみたいな冷たい美人でもこんなだとはね』」
「XXは多くの場合XXである」という形式の書き物ほどくだらないものはないが、しかもそれを巧妙に「XXと聞いている」という形にして、最小限の文責からも逃亡を図っている。汚ねぇ汚ねぇ、臭ぇ臭ぇ。靴下のせいばかりでなく、匂いのリアリティのみが突だしている文章である。
さて「輪姦女教師」を覆っているカバーを検証すると啓文堂書店は全部で7店舗あり、地理的条件からして、「輪姦女教師」は「橋本店(県立橋本高校前)」で購入されたものと推察される。されば本来の所有者は神奈川県立橋本高校の男子生徒であったと推察するのが妥当であろう。あたりにちり紙でも落ちていないかと捜索したがそれは発見できなかった。どっちにしても、もう少しましなズリネタ使えよな。センズリはセックスの基本であり、セックスは人生の基本であるのよ。あんまり変なネタでセンズリしていると、俺みたいな変態になるぞ。イヒヒヒヒ。
そして、ある晴れた日、学校から帰宅した俺は、それらの俺のエロ本たちがカバーをはずされ剥だしにされ、堂々1列目に勢揃いしているのに遭遇したのである。憎むべき犯人が誰であったか、ここで語る必要もないだろう。その時俺がなにをいい、どんなリアクションしたのか、なにも覚えていない。ただただ頭が真っ白になったわけです。俺はおふくろは男の子にとっては正真正銘のセックスの敵だと思う。