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                     1996年10月11日開始

                               火だるまG

第20回:1998年5月11日

『汚れた女<マリア>/瀬々敬久/98』


俺は自分の欲望にいたって素直な人間だ。俺は人間が生きている間に、何が大事で何が小事かを知っている。俺が最も尊ぶところは人間の意志である。
意志。意志。あぁ俺は人間の意志が見たい。人間の意志に触れたい。愛。憎しみ。怒り。良きことでも悪しきことでも、なんでもいい、かまわない。人間の意志が俺に向かってきた時にのみ、俺は、生きている実感を味わい、感動に打ちふるえる。しかし、別に、人間の意志は俺に向かわずでもかまわない。とにかく俺は人間の意志が好きだ。人間の意志を眺めるのが好きだ。

そのような立場で生きていると、嫉妬という感情は、俺にはナゾである。嫉妬とは、おそらく、他人の意志が自分に向かわずに、他人に向かっていることが、辛く哀しく切ないという、感情なのだろう。
そこに意志があれば、それでいいではないか、自分に向かう意志のないものと一緒におってもなんの喜びもないではないか? と俺は思う。
本作は、嫉妬から職場の同僚の女を殺した女が、同様の嫉妬に狂う、その女の亭主のタクシー運転手と一緒に、とっくにこの世にいない、自分の殺した女を捜索に雪の温泉地をさまようというロードムービーである。
やがて、男は、この女こそが、自分の女房を殺した女と知り、その女に「俺もあいつを見つけたら、殺そうと思っていたんだ」と告白した上で、女に求愛する。しかし女は逃げる。逃げる女を雪道に追いかけ、男は女の頭を金属バットで強打する。
ここで女が死んでしまえば、ヌーベルバーグだが、ラストシーン、頭を包帯で包んだ女と男が、蕎麦屋で並んで信州蕎麦を食っている。どうやら、ようやく、お互いの意志の交通がなされ、折り合いがついたらしい。
しかし、本当の、この映画の見所は、殺された女が、殺されることとなる朝、勤務先の美容院に出掛ける前に、洗濯などの家事を黙々とこなすシーンである。そこには亭主に対する愛情がしずやかにしっとりと流れていた。
結局、人間の意志も、欲望も、けっして、オールオアナッシング、一直線というような、単純なものではないということだ。人間の哀歓のゆえんがそこにあり、だからこそ、ネバーギブアップという、嫉妬の炎がこの世から消えることもありえないのである。

前言撤回。
嫉妬もまた、人間の意志である。俺は嫉妬の味方です。
(この企画連載の著作権は存在します)

 

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