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                     1996年10月11日開始

                               火だるまG

第17回:1998年1月11日

『CURE/黒沢清/97』


映画の途中で多くの人が席を立った。ちょうど大雪の日の次の昼間だったので、映画館に暖と安眠を求めに来ただけの、前の席に臭い足を放り出して平気な風情の無礼な浮浪者風の男が何人もいたのだが、そのことごとくが途中でギブアップした。見心地だけでなく寝心地の悪い映画。怪作である。中高年の男もほとんどが帰った。
大学で心理学を勉強した男が、催眠術を駆使して会った人会った人を片っ端から衝動殺人に追い込んでいくというのがストーリー。男自身も、実際にそうなのか、それともそれを偽っているのか、記憶喪失という設定である。したがって、どうして、何の目的で、何が楽しくて、男が他者を殺人に追い込んでいくのかは一切説明されない。男を追求する刑事も男の術中にはまって正気を失っていく。同僚の精神科医も同様の理由で自殺する。
終盤近く、刑事は一切の会話もなしに、男を射殺する。
しかし最後のシーンでは刑事はファミレスで飯を喰っている、こんな話は全部何もなかったのだ、というイメージが喚起される。見ている間中、不快な緊張感を強いられていた神経が弛緩する、これは寓話だったんだ、あぁよかった、俺もファミレスいって飯でも喰おう、という気持ちになる。
ところが、よく見ると、遠くに映るファミレスのウエイトレスが、あたかも『サイコ』(アルフレッド・ヒッチコック/60)のアンソニー・パーキンスのように、鋭利なナイフを逆手に構えて誰かを殺しに行く様子である。そして映画は終わる。
「深層心理においては人は皆殺人者である」というのが、この映画のメッセージなのだろう。それには首肯しないこともない。
しかし、どのような時に人は他者に対して殺意を抱くかについての考察、すなわち、人間心理の理解については、この映画は凡庸である。男に踊らされた者たちは、がんばっているのに女性は自分を愛してくれないというもてない男の甘ったれた女性憎悪、バカにされているという中年の若者憎悪、男性社会における女性の男性憎悪といった潜在意識から殺人者に変身する。それはあまりに刹那的だ。
人間が殺したいほど人間を憎む時には、何かが満たされないというような相対的なものではない、絶対的な何かがあるのではないかと僕は考える。簡単にいえば、自殺にせよ、他殺にせよ、欠落感は、そんな積極的な行動には結びつかないと俺は思っているということである。
せっかく魅力的な主人公を創作したのにもかかわらず、彼の心の中の風景まで現出しきれずに、尻切れ蜻蛉の形で彼を退場させた監督には抗議したいが、そんな絶対的な何かなど、どこのだれにも描けないというのが実状ではある。そうなるとこの映画の本当のメッセージは、だれもそこから逃げることのできない人間の愚かさ・弱さということになり、早々と映画館から逃亡した人たちは、それに直面するのを本能的に避けたということになろう。

(この企画連載の著作権は存在します)

 

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