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                     1996年10月11日開始

                               火だるまG

第12回:1997年10月11日

『もののけ姫』/97/宮崎駿


こんな立派な映画と立派な監督にけちを付けると、バチが当たりそうで怖いが、そんなことをするとバチが当たるから禁制しろというものの語り口は、いかがなものだろうか?、というのが、私の本映画に対する感想である。

宮崎駿監督、56歳。よほど現代に対しての絶望が深いのだろう。自然に代表される、生命、のようなものを、ないがしろにし続けると、ものすごいバチが当たるぞという、単純な話を壮絶なスケールで展開している。
同感であります、ありますが、なんらかの形で同世代の人間に警鐘したいというのなら、生命をないがしろにした当事者と、バチを当てられる運悪き人間の間には、タイムラグがあって、必ずしも一致しなかったりするということを、も少し考慮すべきだと思うのです。
つまり、バチや恐怖や畏怖というような感情は、必ずしもそれを行う人間に禁制として働かないということです。
オゾン層の破壊でも、熱帯雨林の破壊でも、地球の温暖化でも、ボスニアヘリツェゴビナの人種間闘争でも、赤字国債の累積でも、本当の意味で、そのつけを払う、あるいは、そのバチを当てられのは、次や、次の次の世代でしょう。
旅の恥はかき捨て。しらぬは世間ばかりなり。ジキルとハイド。赤信号みんなで渡れば怖くない。
自分につけが回らねば、なにをするかわからないのが、人間という愚かな生き物です。

それでは、畏怖のかわりになにが、してはいけないこと、生命をおろそかにすることの、禁制として機能するのか?
私は、それは、哀しみ、悲しみ、かなしみ、ではないかと思うのです。
必ずしも必要もないところに道を作るために山林を切り出す。何百年も何千年もそこにいた、樹木に刀を入れれば、その手応え、その音、あふれる樹液。切り終えて、崩れるようにして倒れる光景。
戦争で捕虜を銃で撃つ。脳味噌と血が吹き出す。手がダラーンと伸びて、舌もダラーンと伸びる。眼は飛び出ている。それを遠くの群衆の中で見ていた、その男の妻が悲鳴を上げている。
するべきことではないことを実行した人間には哀しみ、悲しみ、かなしみが実感として残るのではないでしょうか?
その耐え難き哀しみを直視することにしか、人間が、くり返してきた愚行から解放される道はない。
もちろん、なんらかの行為には、同じく喜びも付随します。その喜びの量と哀しみの量をしっかり秤に掛けて、哀しみの量のほうが多い愚行を避けていくというのが、あるべき、人間の姿なのではないでしょう。戦争や民族浄化なんてことについては、論外ですが。
しかし、哀しみも畏怖の兄弟で、ひねくれた弱虫の弟としては、宮崎監督には、本当は、自然や生命に代表されるようなものを大事にした時に、人間にもたらされる喜びを、壮絶なスケールで、展開して欲しかったような気もします。
人間はアホだから、そんなもの、何万扁くり返しても、あぁよかった、楽しかった、で、終わってしまうことを宮崎監督はよくご存じなのでしょうけどね。
宮崎監督の映画だと思って、安心して子どもを連れてきたママさんたちが、あまりに怖いシーンの連続に泣き出した子どもを抱えてロビーに飛び出す。そんな光景が現出された満席の映画館。子どもを怖がらせることに、なんらかの建設的な意味が本当にあるのだろうか? などと考えてしまった、私は、いつまでいっても人間が甘いのかも知れませんが。


(この企画連載の著作権は存在します)

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