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火だるまGのTHANK YOU REPORT


since 96.5.03

毎月3と9の日に僕のHEART AND SOULからお届けします。1カ月単位でバックナンバーに在庫していきます。

1997年7月3日〜7月29日

7月3日 MAY MY SORROW BE A SONG(I MISS HIM)
9日  ALONE**老婆心**TOGETHER(001)
13日  溶けこめた?・溶けこめなかった?・溶けこめてた?
19日  夏の夜、老犬は縦に歩く
23日  今年はおそらくヤクルトできまり
29日  偶然は必然の果てにのみ

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3日(木曜日)

MAY MY SORROW BE A SONG(I MISS HIM)

8年間、2週間に一度づつ、顔を合わせていた人が、突然いなくなりました。
とても寂しい。
映画版『傷だらけ』の天使での、豊川悦二扮するミツルのセリフではないが、「いつか一緒に酒を飲みたい」人でありました。
しかし、それが叶わない人でもあったのです。
僕は彼の名前と職業しか知らず、彼は僕の名前と年齢しか知らない。
そんな関係の二人でした。
彼は医者、僕は患者でありました。
僕は喘息持ちなのに、煙草を吸います。
僕は糖尿病みなのに、大酒を飲みます。
そしてそのことを彼に告げもせずに、殊勝な顔をして、僕は彼に会ってきました。
もちろん僕は大バカであっても、馬鹿ではないから、自分の分際はわきまえています。自分のルールの中で、自滅しない程度の放蕩をしています。
しかし、それは、彼のような立場の人に通用する論理ではありません。
とくに表向き、建て前の部分なら、なおさらです。
僕の心根の奥底では、いつもなにかが、ずぶずぶと嫌な臭いをたてています。
そんな僕の腐った心の奥底を見すかしたように、「病気があったって、ちまちま退屈に暮らすことはない、病気はコントロールすればいいんだ」と、僕がなんにもいってもいないのに、いってくれる彼でした。
そんな彼に、僕は血圧を測ってもらい、血糖値をはかってもらい、僕の「糖尿病手帳」には、彼の書き込んでくれた、綺麗な文字が並んでいます。
僕から見れば、嘘で固めた、彼とのつきあいでして、この年になり、いまさら生き方を変えられそうもなく、僕にできそうなことといえば、そんな嘘吐きの心の中にも、嘘吐きなりの真実があると、こうして日々文章を書いていくしかないのでしょう。
もちろん嘘の言葉を並べ立ててです。
僕はそれだけは誓います。
彼の簡潔な文字のような、後味を残す、文章を僕も書いていきたいと思います。
彼は真冬でも素足にサンダル、白衣の下はランニング一丁でした。
僕も声はでかいのですが、彼はそれに輪をかけて大きかった、しかし、無口でした。
医者はこうでなくてはならないと思わせる人でした。
おそらく、そろそろ50に手が届くという年齢の人だったので、いまさらUターンもないだろうと、勤務医でいてくれるだろうと、末永いお付き合いができるのだろうと、僕は、密かに喜んでいたのですが、実家の方でご不幸があったよし、彼は突然消えました。
これまた慣れ親しんだ看護婦さんが、「急に決まって、ばたばたっと、帰郷なさったので、私も寂しい」と、呟きました。
故郷は博多だそうです。
いつかまた彼に会える日が来ればいいなと、僕は、そう思います。

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9日(水曜日)

ALONE**老婆心**TOGETHER(001)

(1)酒鬼薔薇少年の件。世間では、病めるこの社会のリゾーム(地下茎)から発芽した、社会的抽象的な事件という解釈がはびこりつつあるが、物事を分析の対象にすることで、分析者の対象物からの客観性が留保されるという構造は、アカデミズムやポリティックスの現状がそれを示すがごとく、無意味だ。(毒にも薬にもならないということ、だから飲み屋の酒の肴や、井戸端会議の煎餅のかわりとして通用もし、それが『フォーカス』となった)
人間の首を切り落とすということのたいへんさを、もっと想像すべきである。ショットガンやマグナムで顔面をすっ飛ばすということは、たいへんなことではない、すぐ終わる。しかし刃物で人間の首を胴体から分断するということは、とても重労働だ。
魚を三枚におろすでも、大木を切り倒すでも、そういうたいへんな行為は、そういうたいへんな行為になんらかの喜びを見いだす類の人間がする行為だと、俺は考える。
3分以上かかる行為を人間がやる場合には、そこに人間の意志が存在する。逆にいえば、3分以上かかる行為は、すべて、それをした人間にのみ、責任が問われるべきだ。
事件を社会科学的、あるいは心理学的に分析して、みんなの責任にすることに、俺は違和感を感じる。この国の歴史では、みんなの責任というのは、責任者なし、と、同意語であることは、歴史が示すところである。
まだ犯人とは断言できない段階だが、14歳といえば、もう性的には立派な大人だ。倒錯した変態野郎の、倒錯した変態行為に、倒錯した変態知識人たちが、倒錯した変態的な考察をすることは、倒錯した変態的行為ではないか? というのが、筋金入りの倒錯した変態野郎としての、俺の意見です。おそらく残された胴体には、なんらかな性的な痕跡があろうと確信するのは、俺が筋金入りの変態野郎だからかもしれません。
社会から疎外された透明な自分を自覚する者であるのなら、人間疎外という構造そのものを憎みこそすれ、だれかを疎外することでは、その疎外感は救われないことを、理解するはずなのに、明確な弱いものいじめをしていることが、この酒鬼薔薇君の事件が、社会的なものではなく、個人的なものであることを端的に示している。他人を傷つけて、己の喜びを発見する人間は、傷つけられることに喜びを感じたことのある人間だろう。そのような経験や感性は、きわめて個人的なもので、他人が考察すべき普遍的なものではない。

(2)さて、この酒鬼薔薇少年の件で、一番、保護色的に得したのは、命をなくした人間に石を投げつけるようで、申し訳ないが、第一勧業銀行の面々、とくに、自死を選んだ、宮崎元会長であり、みなさんに想起していただきたいのは、彼は彼の存命中にこの事件が表にでなければ、過去の事例から考えて、勲一等少なくとも勲二等は確実の立場であったということです。つまり、この国では、勲一等や、勲二等をもらう人が、総会屋にちょっと脅かされるといくらでもいわれのないお金、しかも預金者から預かっているだけの、自分で稼いだのでもなんでもないお金を大盤振舞する、非倫理的な人と、同一人物であるということ。
国は一生懸命、そういう人たちをえらいのだ、尊敬せよ、と、年に2回づつ達して回っているが、そろそろ、嘘吐きはやめにしないか。社会にしらけが蔓延して、酒鬼薔薇みたいなガキが増えるばかりだと、俺は思うよ。
手塚治虫先生は勲四等でしたが、去年の老人ホームの事件で逮捕された厚生事務次官、岡光なんて、ばれなければ、勲一等です。

(3)同じく、社長になれば、勲二等間違いなしの、大船舶会社、日本郵船のタンカーが東京湾で浅瀬に乗り上げ、原油を流失した事件には考えさせられた。1996年以降に完成したタンカーは、舟底を二重にする義務があるのだが、このダイヤモンド・グレースは、94年生まれなので、それから免責だったそうだ。
どうして、車の車検では、あんなにガシガシうるさい、運輸省が、ひとたび、事故が起これば、その規模の重大性はかりしれぬ、船舶の船検(そんな言葉あるのか?)では、ものわかりがいいの、だろう? 普通考えてみれば、同じ海を行く船で、同様のリスクがある場合、片っ方がよくて、片っ方は駄目、しかも、それが共在するということはあり得ない。もっとも、その答えは、日本郵船やその関連会社・団体・公益法人に、何人くらい、運輸省出身者がいるかを知れば、わかるというものだろうけれどね。イヒヒヒヒ。
資本主義はしょうがないな、と、思わざるを得ないのは、この日本郵船の面々も、社会生活を営む個人にひき戻れば、戸締まりに気をつけたり、煙草の火の始末に気をやる、普通の大人たちに違いないのに、その常識が、資本とか会社とかの場においては、発揮できなくなるということである。
第一勧銀の、自殺した元会長、逮捕された前会長を見てもその思いは強くなる一方だが、資本主義とか、会社は、人間を馬鹿にする装置なのだろう。
もちろん、官僚制とか、叙勲制度もしかりである。

(4)その、まだまだ勲二等は大丈夫であろう日本郵船社長、河村健太郎さんの、世田谷の自宅の門柱に、どこかのアホが、牛の生首をおいた。原油流失→悪い奴→懲らしめ→酒鬼薔薇のまね→牛の生首、という短絡的思考回路のアホ。今時、牛の生首が簡単に手に入る、東京近辺の人間なんて、簡単に絞り込みができる。義賊ぶったアホを野放しにして、庶民をガス抜きしてやろうと考えている、警視庁は本物のアホだ。
『フォーカス』の酒鬼薔薇君の写真流失の事件でも、まじで少年法に違反しているというのなら、編集長を逮捕して、司法の場で、言論の自由とマスコミの社会的な使命について、議論すべきだろう。
今の日本、なにもかもうやむやだから、次の酒鬼薔薇が、サバイバルナイフを研ぐのですよ。

YES, WE ARE ALONE BUT TOGETHER.
老婆心ニュースでした。
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13日(日曜日)

溶けこめた?・溶けこめなかった?・溶けこめてた?

(溶けこめた?)

現地時間、7月10日の、ヤンキース伊良部の初登板を見たが、初登板、初勝利という結果はよしにせよ、伊良部とその奮闘を眺める、俺に、ニューヨーカーの嫌なところをつくづく思い知らせる観客どもの反応であった。別に俺は、伊良部じゃないし、ニューヨークに行ってなにかすることもなかろうから、この場合の、俺には意味がないが・・・・・・。
結論からいえば、とことん娯楽資本主義に染まったニューヨーカーどもは、スポーツとエンターテーメントの見境がつかなくなっている。一球、一球、声援を送り、ツーストライクになる度に、三振を期待するスタンディングオベーションは、ちょっと見た目には純粋な行為に見えるが、実は、28歳の伊良部をガキ扱いする無礼な行為である。
ブレーブスに、グレッグ・マダックスという投手がいる、彼は精密なコントロールで、バッターの嫌がるところに投げ続けるという、大エースだが、彼にはニューヨーカーたちは、ツーストライクになる度に、立ち上がって三振を要求するような態度を取りはしない。
大リーグの一試合の、最多奪三振は、現トロントのロジャー・ロケット・クレメンスが2回記録した20個である。伊良部には、それを破れる可能性があるとしても、三振かホームランかという、言葉のあるが如く、それを真に受けていたら、自分のアドバンテージの選択肢を狭めて、プロとして結果的にアメリカで破れ去ることになろう。
同じ試合で、「別にニューヨークなんか好きではない」と口を滑らした結果、強烈なブーイングを浴び、スランプの泥沼にいるセシル・フィルダー(元阪神)をよーぉく見つめ、ニューヨーカーどもが、ヒーローを称えるよりも、負け犬に水をかけることを好む人種であることを伊良部は、あらためて心すべきである。
フィルダーも、伊良部も、金銭的には十分勝者であり、そこの最低線を確保した上での、ニューユーカーどもの、妙に人間くさいゲーム感覚であるので、別に気にとめる必要はないのかもしれないけど、金持ちは必ずしも精神的にタフな人を意味しはしないと、俺は思うので、少々老婆心してしまいました。

しかし感動的なシーンもあった。

さすがに、これは尋常ではないと思ったのか、伊良部に対してそれほど友好的ではないと、報道されてきた、ヤンキースのチームメートが、4回の裏あたりから、伊良部の近くを通り過ぎる度に、彼の膝やお尻にタッチして、仲間であることを表明し始めた。その口火を切ったのは、ライトを守る、好漢ポール・オニールである。そして最後には、一番伊良部に対してきついといわれていた、巨漢左腕デビッド・ウエルズも、伊良部に微笑みを与えていた。
野球はスポーツであり、エンターテーメントではないことを証明した瞬間だった。だれも伊良部の失敗を期待してはいなかった。少なくともベンチの中では・・・・・・。

(溶けこめなかった?)

10日、原稿書きのバイトの取材で、久しぶりに、俺の故郷・横須賀に行った。ドブ板通りに関する文章を書くために、雨の夕方、それらしい光景を写真に収めていて、声をかけられたので、やはりなと思った。
国道16号をはさんで、ベースの入り口をにらみつけるように立ち尽くす、李礼仙によく似た、50がらみの彼女に眼がいった時から、尋常ではないとは思っていた。しかし、どちらかといえば、攻撃を受けるような予感というよりも、なんらかの形で、情を通じ合えそうな予感であった。寝るとか、飲むとか、そういうことではない、微笑みを交わせそうな予感。
「うわーっ」と叫びだしたので、これは絶対俺に対する、メッセージだなと思って、俺は、10メートルほど戻って、彼女の前に立った。 人間こういう場合に、避ける人と近づく人に別れるが、俺は近づく人である。
「なにか?」
「ちょこっとやってきては、勝手に写真とりくさって、また変造テレカの件でも調べとるね」
完全な九州弁。
「はぁ?」
「私を撮ったら、私を追いかけてるストッカー(おそらくストーカー)が、今度はあんたを追いかけるからね」
まったく、コミュニケーション不全に終わった。
残念だった。

(溶けこめてた?)

この話を書いていたら、昔は溶けこめていたつもりで馴染んでいて、いつのまにか、疎遠になった、何人もの人たちの顔が走馬燈のように浮かんできた。ロックバーというのも切ない商売だ。
それでも、勘違いにせよ、一時は溶けこめたような気持ちを持てたことをありがたいと思うべきなのだろう。

伊良部は、彼の膝や、お尻に軽く触れた、仲間の掌の感触を、記憶していくだろうか?

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19日(土曜日)

夏の夜、老犬は縦に歩く

「犬だって、こんなに長い散歩にはつきあわない」
新宿から明治通りを目白へ、鬼子母神を抜け護国寺、不忍通りの六義園にかかったあたりで、寡黙な絵描きがぼそっといった。
すでに2時間近く歩いている。夏の夜もとっぷりとふけた。
「犬にはこんなに長い散歩を楽しむ能力はないということかな?」
絵描きが続ける。
もうしばらく歩き、千駄木で安そうな居酒屋に入る。
800円という値段に誘惑され鰻丼を頼んでしまう。2時間半の運動が一瞬にして無になる瞬間。放蕩という名の快感が、中ジョッキの生ビールに変身して、ごくごくと俺の喉を行く。
カウンターの真ん中にこびとの中年男。
俺を見つめているのはすぐにわかった。怖いのだ。でも、俺の何が怖いのだ?
しょうがないので、視線をあわせる。
うんうんとうなずくこびと。でも、俺の何に納得したのだ?
こびとがカウンターの常連たちにからかわれている。昼の3時からいるんじゃしょうがないか。
「ほっとけ!!」
こびとはそれしかいわず、にやにやと、支給された夜食、鶏の唐揚げ定食に食塩をかけ上手にナイフとフォークで喰っている、インド系のウエートレスを見つめている。
ウエートレスは大きい。170センチ、60キロはあろう。ウエートレスはこびとを見ない。低い椅子なのに、こびとの足は宙に浮いて、一定の律動。腰を使っているみたい。
店を出る。
「あのこびと、女と寝たことあるのかな? 死ぬまでに女と寝ることがあるのかしら?」
歩いている間、女と女のカラダの一部分のことばかり話し合っている、駄目な物書きと絵描き。
「じじぃ、何見ているんだ!!」
根津の交差点で、ションベン座りしている、ガキに怒鳴られる。
そのガキを見ていたのは事実。茶髪、イヤリング、ネックレス。そんなガキの格好が、どうしようもなく似合わないガキで、俺はそのガキの歳をはかりかねていた。カラダもぶくぶくだし、俺の前に勤めていた会社の、一昨年死んだT課長にそっくりなのだ、でも、ガキはおそらく15〜16で、日曜日の夜、こうして、もっとガキガキした仲間とションベン座りして、携帯をかけまくって、「なんだ、どうせやることないんだろう。来いよ。最近冷たいじゃねぇかよ」などどやっている。
「ジジイは事実にしても、おめぇにジジイといわれる筋合いはない! 」
引き返して、俺がガキを見ていた理由を説明してやろうかと思うが、俺のカラダには、加速がかかっていて、ガキからどんどん遠ざかっていく。べつにたちどまってみてわけではないのだ。歩きながら眺めていたのだ。
逃げたと思われるのは嫌だ。やるならやる。しかしガキは追いかけては来ない。こういう場合に、わざわざ戻ってやりに行くだけの気力は生まれつき俺にはない。にらみ合ったままのガキと俺の間の距離がどんどん遠くなっていく。
無視すれば、透明な存在としてのボクなどとぬかすは、眺めれば、何見ているんだジジイといわれるは、まったく最近のガキはむずかしいが、そこに女性がいたのが救いだろう、ションベン座りの中には、派手派手のルーズソックスがいて、いつの世でも、近くに女の人がいれば、男の鶏冠とあそこは奮い立つというものである。
ガキから見れば、俺があのこびとに見えるのだろう。
よっ、御同輩。
「やーぃ、ブス〜、ばか〜」
交差点を右折していく、ワンボックスの車の後部座席から、首を出した、ガキが捨てぜりふを残して消えて行くが、これは、俺と絵描きに対しての言葉ではないようだ。
やはり交差点で深夜の井戸端会議を開いている、二人連れのおばちゃんに対しての言葉、しかし、おばちゃんたちは気がつかなかった。
悪意があるにせよ、それが回路を繋がなかったので、何も起こらなかったということを由とすべきや、いかん。使わなければ原爆を作ってもいいのかという、核不拡散条約の現状にもつながる大問題が闇夜に消える。
しかしいうまでもなく、車の4人のうちの半分は女性であった。女のコたちよ、こんなアホな男とつきあうなよな。オマ○コがくさるぜ。それぐらいなら、このジジイと・・・・・。
交差点を渡り、東大農学部の脇の坂を後楽園方面に上る。
ジャージに野球帽、首にタオルをかけた、中老年の6人組がウォーキングに汗を流す。
若者は、先の余りにも長い人生に早くも疲れているが、長い道のりを歩んできた中老年は長命を願い、健康に留意している。
この事実は、長く生きればだんだん人生の楽しみが見えてくるということを示すのか、それとも、いくら長く生きてもまだまだ楽しみが見つからないので、とりあえず、長生きにその可能性を託そうということなのか?
どちらにしても、閉塞しきった現代に生きる若者たちには、届かない議論だろう。
若者より、中老年がイキイキとしている現実を、社会的な倒錯と呼ばずして、いかにせん。
もちろん、中老年の方も6人のうちの半分は女性。ここでも男たちの自動巻が作動しているけどね。イヒヒヒヒ。
正面から、犬が来た。老犬だ。温度の下がった、深夜とはいえ、いまさら、散歩など面倒だという風情。俺のことならほっといてといいたげな犬の表情。
引っ張っているのは、見るからに健康そうで、育ちの良さそうな娘である。
娘はずんずん歩く。足の不自由な老犬は引きずられて、縦に歩いている。
行き違っていく。振り返って見る。
老犬の股ぐらで、もう用がなくなった、ふぐりが、縦に揺れていた。
その先で、ライトアップされた後楽園のドームが金色に光っていた。


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23日(水曜日)

今年はおそらくヤクルトできまり

20、21日、久しぶりに野球をじっくり見ようと思った。伊良部の第3戦。そしてメインは横浜と広島の2試合である。
しかしテレビ観客としての集中力が続かない、横浜が勝った第2戦目は、NHK衛星でも放映していたが、僕と同じ年の解説者のあまりにも世代踏襲的で無難で平凡な語り口が哀しいのでパス。そこで、TVKでの観戦と相成った。
TVKでは今年から、各イニングの1打者後の、ほんの30秒ほどの間に必ずコマーシャルを流す。そのCMが終わり画面が球場に切り替わると、ピッチャーがふりかぶっているか、あるいは、1球投げ終わっているか、場合によっては打球が外野スタンドに突き刺さっていることもある、という案配である。弱小TV局の哀しさよ!
しらけちまうぜ。
それでもなんとかこれまで耐えてきたのは、その合間のCMのスポンサーが横浜の親会社で、となると、CM音楽は天才小林亜星となり、彼の調子のいいBGMがどうにか救いになるという、これも考えようによってはとても哀しい話によるものであった。自費出版の小説みたいでしょ?
しかし、その第2戦目には参った。問題のスポットCMが、長野オリンピックまで200日うんたらかんたらで、その関連商品特別キャンペーンうんたらかんたらなのだ。これはだれがどう考えても横浜市が立候補している、次の次の(あっ、その次かな?)夏季オリンピックがらみの企みで、さすがに吐き気に耐えきれず、その度ごとにチャンネルを切り換えることと相成った。
オリンピックなんていうものは発展途上国が次の段階に進むための通過儀礼に決まっている。と、なると来世紀は東南アジアやアフリカ、南米に決まっているじゃんかよ。アナクロもいいかげんにしろよな。高秀さんよ、そんな金があるならもっと福祉に税金を回せよな。もっとも土建屋資本主義出身の建設官僚に道理がわかるわけもないけどね。(この人が、大学のホエールズファンクラブの後輩の父親であるということも、実に、こくのある哀しい話です)
さて、さて。
基本的に、僕はテレビで同じ画面をじっくり見ていることができない。だから、リモコンをがちゃがちゃする。そして、そんな自分に気がつく度に、なんか自分が血の薄い人間になった気がして、激しい自己嫌悪に襲われる。だから、通常、スポーツ以外はテレビはライブで見ずに、録画して夜中に眺めるという作戦をとっている。野球の試合の時間はだいたい店に出ているから、野球放送をそのまま3時間も録画して、2週間後くらい、経過を忘れたころあいに、眺め返すということもしばしばである。それなのに、なんたる、この仕打ち。生で横浜の試合を最後まで見れるなんて本当に久しぶりなんだよ。僕は愉快になるために野球を見ているのに、僕を不快にさせる情報をちらちらさせないでおくれよ。
それで、どうしようも不快な気分で、そのスポットCMのたんびに、ヤクルト・巨人にがちゃがちゃ切り換えていると、1点差を追う6回表2死満塁、巨人の4番打者石井浩郎の3遊間に飛んだ打球がヤクルトの超名手宮本慎也遊撃手の飛びついたグラブの先をライナーで抜けていった。レフトは弱肩ドゥエイン・ホージー。当然、ランナーひとり還り、ふたりめも還ったけど、その時本当に珍しく、ヤクルトのこれまた超名手古田敦也がワンバウンドの中途半端な高さの返球に対しグラブを下から出したために後逸した。前に逸らすことはあろうとも、古田が球を後ろに逸らすなんてことは、ほとんど天変地異とでもいうべきできごとで、あっと驚いたら、それが、審判のお腹の真ん中にあたって真っ直ぐ古田のあしもとに戻ったから、もっと驚いた。まるでサッカーのセンタリングを胸でとめるサイドバックみたい。もちろん偶然だけどね。
それが抜けていれば、投手のカバーは見当違いな方向に向いていたから、もう1点巨人は加点していた。試合は結果的に、あっちいってこっちいって、ぎりぎりの1点差で巨人が逃げ切ったらしいけど、ここまでついているんじゃ、今年はヤクルトで決まりです。
TVKが、いつもの、「マァルハノギュウドンオヤコドン〜」ですましておいてくれたなら、こんな決定的なシーンに気がつかずにすんだのに、まったく、哀しい話であります。

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29日(火曜日)

偶然は必然の果てにのみ

ニューヨーク時間26日、ヤンキース伊良部秀輝の4回目の登板は2イニングジャストで降板。被本塁打2本。失点6、自責点5という結果に終わった。
この結果については、彼自身の品行不方正問題の露見とともに早くも巷をにぎわせつつある、伊良部の対アメリカ的実力をどう見るか、すなわち、日本では通用してもアメリカでは通用しないのではという疑問、および、今シーズンキャンプをしていないという根本的フィットネス=基礎体力の蓄積不足、の問題など多々見解はあろう。
しかし罪が深いなぁと思うのは、伊良部が本当に積年アメリカ大リーグに憧れていて、ようやく、思いを果たしたというのなら、伊良部には、僕はアメリカに行ったらこういう風に投げるぞ、というようなイメージがあってしかるべきなのに、これまでの4試合のピッチングからは、今のところ、そのようなストーリーが感知できないことである。
いっておくけど、これは結果論ではない。偶然が偶然を呼んで好結果をもたらすこともあるし、必然に必然、最善に最善を尽くしても不運や体調不良に結果的に涙をのむ場合がある。
ただただ、漫然と投げているようにしか見えない、今の、伊良部の投球は、その点でまったく物足りない。こんなはずではなかったのは、結果ではなく、内容であるべきなのだ。日本での伊良部の投球を知っている者から見れば、たとえば、ブルー・ウエーブのトロイ・ニール、バッファローズのタフィ・ローズに対する時に彼はもっとセンシティブであったといわざるを得ない。そして、現在彼が対面しているバッターたちは、そのような日本国内の外国産強打者よりも、はるかに破壊力が上の人たちなのに、どうして、そういう人たちに、そんなに雑に接するのか? と思い我ざるを得ないのである。おまえ、マジか? という感覚。
ホセ・クルーズ・ジュニアに打たれた3ラン。フォークの落ち損ないとはいえ、落ちてくれぇ、このやろぅ三振しやがれ、という切実な思いに欠けていた。アレックス・ロドリゲスに打たれた2ラン。ストレート勝負という1ストライク3ボールという状況で、このストレートで勝負だぞ、打てるかこのアホぅ、という気迫に欠けていた。
というか、ヤンキースに入る。すればマリナーズやオリオールズやホワイトソックスにあたる。すればケン・グリフィーやカル・リプケンやアルバート・ベルにあたる。というのは、見ているこちらでも、簡単に見当のつく話で、やっている本人なら、もっともっと緊密なシュミレーションを行っておいてしかるべきである。第1打席のグリフィーのライトフライなんて、単なる、伊良部の凡球にあきれ果ててずっこけた結果の、うちそこないだもの。ヤンキース入団前に、俺の記憶では、伊良部に、メジャーに入ったらだれとの勝負が楽しみですか? と質問したメディアがなかった。もしかして、伊良部にはその回答がなかったのではないかと、俺は、危惧する。
現在、アメリカでピッチングマウンドに登っている、野茂(ドジャーズ)、長谷川(エンゼルス)、柏田(メッツ)には、これだけ考え、これだけ細心の注意を払い、これだけていねいに投げて、いやそのようにパフォーマンスさえできれば本望と祈って、それで通用しなければ、それができなければ、それはもう運命だというような、潔さがある。
伊良部さんに申しあげます。これが、本当に自分で望んだ道ならば、これが自分で望んだ道なのだということを、しっかりと見ているものに、わからしてくれないと困ります。実際、フィットネスが問題なら、2週間ぐらい休んでミニキャンプをはらしてもらえばいい。おそらく次回が最終試験です。何気なく今のタイミングで最終試験に向かうのなら、俺は、悪びれずに、延期をお願いした方がいいと思います。
しかし本当に心配なのは、伊良部が、いまだにおのれを失いっぱなしでいる可能性である。大リーグ入りという目的を達して、雲の上を歩いている状態、大観衆に飲まれっぱなしで、あがりっぱなしの状態なら、もうあとは神頼みしかない。
でも、偶然は必然の果てにのみ。
次回のピッチングは必見です。

とここまで書いたら、伊良部はブルペンに左遷されると、一時的なものか? それとももう捨てられたのか? 


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