MZで棒に振った?人生

1999年12月30日更新

自分とMZとの関わりを書くつもりが、自分の自叙伝のようになってしまいました。 あまり面白くないと思いますが、おヒマなら読んでください。 やっつけで書いた部分もあるため、気が向いたら改訂するかもしれません。

コンピュータ歴

0 小学生時代

0.1 小学6年生 … アブない兆候

父が電機関係の会社に勤めていた影響もありまして、 自分は子供の頃から電気関係の技術に関心があり、 「エレクトロニクス」という言葉の響きが好きでした。 男子の多くが興味を示す、 車とかバイクといった機械関係にはあまり興味がありませんでした。 6年生ぐらいなると、電子工作をはじめてみようと思い、 図書館に行って「初歩のラジオ」などの雑誌を読んだりしました。 残念ながら電子工作の方は、本を読んでもよく分からず、 抵抗のカラーコードを覚えただけで終わってしまいました。 以来現在に至るまで、ハードウェア設計にはあまり縁がありません。 「初歩のラジオ」などの雑誌にも、マイコン関係の記事は載っていたようですが、 当時の私には全く興味のない世界でした。

1 中学生時代

1.1 中学1年生 … 洗脳されてしまいました

中学に入った頃、 本屋に行ったら「楽しく学ぶBASIC」という本が平積みになって置いてありました。 なんかよく分からないけどコンピュータの入門書のようです。 その本をなんとなく買ってしまいました。 その本はBASIC言語の入門書で、 当時テレビ東京で放映していた「パソコンサンデー」という番組のテキストでした。 家に帰って、さっそく読みました。初歩的な部分はなんとなく理解できました。 「パソコンサンデー」を毎週欠かさず見るようになりました。 マイコンショップにマイコンをいじりに行くようになりました。 入門レベルとはいえ、すっかりマイコンのプログラミングが趣味になりました。 同時に、「パソコンサンデー」を通じて、シャープに洗脳されてしまいました。 好きなパソコンといえばMZです。NECのPCは敵です。 この洗脳が解けるのに、結局10年ぐらいかかりました。

MZ-700 「パソコンサンデー」を見るようになった当時、MZの主力機種はMZ-80Bでした。 当然の成り行きで、私はMZ-80Bが欲しくなったのですが、 定価で278000円もする機械を、あまり裕福でもない中学生が買えるわけがありません。 しばらくして、MZ-80Bの後継機種MZ-2000が登場しました。 この機械も、MZ-80Bよりは安いとはいえ、定価で218000円もしますので、 私には手が出ません。 その年の年末になって、MZ-700という機械が出ました。 MZ-1200の後継機で、いわゆる入門機です。 この機械を親が買ってくれることになり、 私も晴れてマイコンユーザーの仲間入りをしました。 MZ-700 (MZ-731、右の写真) を買った当時は本体があるだけでディスプレイは持っておらず、 1台しかない家のテレビにRF接続して使っていました。 ずいぶんきゅうくつなマイコン生活?でしたが、 当時はマイコンを自分の家で、テレビが空いていれば、 自由に使えるだけでもうれしいものでした。

1.2 中学2年生 … 道を踏み外しはじめました

マイコンを購入したことで、私が人生を踏み外すのも、 いよいよ本格的になってきました。 運動の苦手だった私は、中学校で美術部に入っていました。 残念ながら美術部では絵の勉強は全くせず、毎日部員達と部室で遊んでいたのですが、 とにもかくもそういった形で、 コンピュータとは接点のないところで人と親しくしていました。 しかし、2年生の途中で父の仕事の都合で転校することになりました。 自分はやはり絵を描くのには不向きだと分かりましたので、 転校先の中学では美術部には入りませんでした。 とはいえ、2年生の途中になってから他の部に入ったところで、 まともにやっていけるわけがありません。 結局、ほとんど活動していない休眠状態の部に所属し、 実質的に帰宅部になりました。 放課後の、一般の生徒が部活動で健全な汗を流していた時間に、 家に帰ってマイコン雑誌を読むあまり健康的とは言えない中学生のできあがりです。

この年は、私にとって大きな出来事?がありました。 新聞の地方面に、ある高校のあるクラブが載ったのです。 別に部員が暴力事件とか万引きなどをやらかしたというわけではなく、 旺文社が主催している高校生対象のパソコンプログラムコンテストに、 その部が特選か何かで入賞したのです。 この高校に入学し、そのクラブに入れたらいいな、と憧れることになりました。

1.3 中学3年生 … 受験勉強しているフリしてポケコン

中学3年の時は、受験の年だということで、 親の見ている前であまりマイコンをいじれなくなりました。 当時はマイコンが自分の部屋にはなく、 居間の隣の部屋に置いてありましたので、こっそり使うわけにはいきません。 そこで、こずかいをはたいて、シャープのPC-1245というポケコンを買い込み、 自分の勉強机で遊んでいました。 幸い自分の住んでいたところは田舎なので、高校受験はあまり厳しくないので、 手を抜いた受験勉強でも高校受験はなんとかなりました。 第1志望の高校 ― 中学2年の時にパソコンコンテストで新聞に載った高校 ― に合格しました。 さあ、自分には輝かしい未来が待っている…ハズだったのですが…。

2 高校生時代

2.1 高校1年生 … 転落への序曲

高校に入学し、中学時代に新聞に載ったクラブに入部しました。 新聞に載った当時の主力メンバーはすでに卒業し、 当時1年生だったメンバーも3年生になり受験勉強で引退していたので、 残念ながらそのクラブは機材にも事欠く落ち目集団になりさがっていました。 しかし、すでに人の道を踏み外していた?自分には他に行くところもないので、 全く迷わなかったわけではありませんが、入部しました。 実は、他のクラブへの入部を全く考えなかったわけではありません。 新入部員が不足気味のある運動部に、偶然声をかけられました。 この運動部に入っていれば、 自分もまともな人生?に戻ることができたかもしれません。 とりあえず1日だけ練習に参加しました。1日で挫折しました。 やはり自分にフツーの人の道は向いていないようです。

X1turbo 毎日よく分からない授業を6時間我慢し、 放課後になると部室で古いパソコンをいじる毎日です。 家では、 高校合格祝いということで親に買わせた新しいパソコンX1turbo (X1turbo model30 右の写真) をいじっています。 その成果?は、如実に表れました。 初めての中間試験で、下から3割ぐらいというすばらしい成績を取ってしまいました。 ここで心を入れ替えていれば良かったのですが、 中学時代から怠慢が身についていた自分には、まじめに勉強することは難しく、 こんな成績がズルズルと続いてしまいました。 大学進学に対する理想もなくなり、 単なるコンピュータ好きの劣等生に身を持ち崩していました。

2.2 高校2年生 … 何の価値もない生徒

2年生に進級しても、相変わらずの毎日でした。 クラブでは、1番のヒマ人ということで部長に就任しました。 ロクに勉強をしないため、学業成績は右肩下がりです。 試験で落第点をとって、補習や追試の召集令状をもらうようになりました。 元々これと言った取り柄がないのに加えて、 勉強でも落ちこぼれているということで、担任には見放され、 クラスでも居場所がありません。 授業が全然分からないので、先生の話を聞かず、 ノートにZ80の機械語プログラムを書いて時間をつぶしたりしました。 放課後のクラブ活動だけが楽しい時間です。コンピュータだけが友達です。 このまま学歴社会に背を向けて、好きなことをやるのも一つの道だったのですが、 そういうわけにもいきませんでした。 冬休みに親の怒りが頂点に達し、パソコンを押収され、 大学に合格するまで封印されてしまいました。

2.3 高校3年生 … コンピュータはお休み

パソコンを封印されたことと、 自分の将来のことをそれなりに考えるようになったため、 一応まじめに受験勉強しました。 2年生の時に「月刊マイコン」に投稿したオセロゲームが、 夏に掲載されるといううれしい出来事もありました。

3 大学生時代

3.1 大学1年生 … 暗くてキケンな学生

晴れてというわけにもいきませんでしたが、一応?大学に進学しました。 普通は、大学に入ったら自由気ままな生活をしようとするものですが、 どうも私はフツーではなく、洗脳されやすい?性格もあってか、 入学早々華やかな学生生活に背を向けて、よく言えば勉強好きな、 悪く言えば暗い学生に突っ走っりました。 大学に入るために受験勉強をしているうちに、 暗く勉強しているのが実は自分の性にあっている?ことに気がついたからです。 こうなると止まりません。遊びを一切罪悪視し、 人とワイワイやることを嫌うキケンな学生の出来上がりです。 時代はバブルの絶頂期で、ハデに遊ぶことが流行っていたようです。 そんな時代にまじめで暗い学生生活を送るのは、 全く流行りませんでした。 そんな調子では、学生生活がうまくいくはずもありません。 友達もロクにおらず、5月病のようなものかもしれませんが、 大学を辞めて浪人してやり直そうと思った時期もありました。 当然バイトに走ることもしませんでしたので、 パソコンを買いかえるお金はありません。 引き続きX1turboを使っていました。 X1turboをそれほど古くはない機種として使えたのは、 この頃までだったと思います。

3.2 大学2年生 … 時代から取り残されはじめました

時代はPC-9801 + MS-DOSが日本のデファクトスタンダードといった感じでした。 私は相変わらず8ビットパソコンのX1turboを使っていましたが、 16ビットパソコンに関心がなかったわけではありません。 シャープのX68000というパソコンでした。 とはいえ、実際にX68000を使う機会はありませんでしたので、 あまり勉強にはならず、 PC-9801やMS-DOSにいたっては洗脳のため?かほとんど興味がなく、 だんだん最近のことはよく分からなくなってきました。 学校では、某先生 (この先生は後に学長になりました) に必修科目の単位を落とされたのですが、 翌年再履修でも単位をくれなかったらこの先生を殴って退学になろうなどと、 相変わらずキケンなことばかり考えていました。 この頃は、友達もそれなりにできて (キケンな連中が多かったですが)、 暗いなりに楽しい学生生活でした。

3.3 大学3年生 … 時代から取り残されました

この年は、基本的に前の年の延長と言った感じで、あまり変わっていません。 成人になっているので、事件を起こしたりできなくなった?ことぐらいでしょうか。 一応、大学のコンピュータ関係のサークルに中途入部しましたが、 あまりたいしたことはしませんでした。

3.4 大学4年生 … 洗脳が解ける予兆

この頃、X68000XVIという、 X68000のCPUクロックを10MHzから16MHzに向上させた機種が発売されました。 まだ洗脳の解けていなかった私は、この機械を買おうかとも思ったのですが、 大学院入試の受験勉強をしなければならなかったので、 幸い?断念しました。 就職する気の全くなかった私は、就職活動は全くせず、 ひたすら受験勉強をして、他大学の大学院に進むことが決まりました。 もし大学院の試験に落ちていたら、たいへんなことになっていたでしょう。 まだ就職難の時代ではなかったので、どこかの会社に入れてもらえたとしても、 すぐに辞めてしまっていたでしょう。 とにかく、進路も決まり、卒業論文もデッチ上げて、 晴れて(曇って??)卒業する次第となりました。 とはいえ、そこは暗い学生らしく、級友達とあまり談笑することもなく、 式が終わると謝恩会その他には顔を出さず、真っ直ぐ下宿に戻りました。 卒業研究をした研究室のスキー旅行にも参加しませんでした。

4 大学院生時代

大学院では、UNIXのワークステーションを使えないと話にならないという環境でした。 UNIXどころかMS-DOSすら満足に知らなかった私は、ずいぶん苦労をしました。 どうも私の今までの方向(主に大学時代)は間違っていたようです。 コンピュータには自信があったはずが、 いつの間にコンピュータにあまり詳しくない人間に成り下がっていました。 大学院時代は、色々な面で方向転換をした時代でした。 10年間買いつづけたOh!X (旧Oh!MZ) を買うのをやめました。 もっとも、最後の方は10年間の記録のために買っていたような感じでしたが。 やはり、世の中はデファクトスタンダードだと思うようになりました。 学生時代も残りわずかとなった、修士2年の年末に、 修士論文を下宿でも書けるようにするために、 エプソンのPC-9801互換のノートPCを買いました。 ついに、NECの軍門に下ったわけです。 しかし、AT互換機が日本でもデファクトスタンダードになる時代は、 すぐそこまで来ていました。


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