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写真表現は2段階で考える

写真表現を大きく分けると2段階

 写真を用いた表現は、「被写体をどのように映像化するのか」という形で捉えることができます。その際には、大きく分けて2つの考え方があります。自分が見た印象をそのまま映像化する方法と、自分が頭の中で想像したイメージを写真として生み出す方法です。写真表現を習得する順番としては、前者が第1段階、後者が第2段階となります。

・第1段階:自分の感じた印象が伝わるように写す
・第2段階:自分が想像した印象を意識的に創り出す

 もちろん、この2段階で作品が明確に区別できるわけではありません。作品の一部には、この両方の要素を含むものもあるでしょう。あくまで、重要な分類としての捉え方です。

第1段階:自分の感じた印象が伝わるように写す

 被写体を見て何かを感じたとき、その印象を最大限に映像化するのが、第1段階の表現方法です。被写体にカメラを向け、そのまま撮影したのでは、自分が被写体に感じた印象を映像化できません。印象を的確に伝えるには、写真の表現術が必要なのです。

 具体的には、次のように考えて撮影します。まず、被写体のどんな点に感じたのか、頭の中で整理します。形の美しさなのか、全体の迫力なのかなどと。そして、その印象が一番強く伝わるために、被写体の中の余計なものを取り除き、本当に重要な部分だけ切り取ることで、感じた印象を強調します。場合によっては、レンズによるぼけ、ハイキーやローキーなどの露出も利用します。

 もっとも重要なのは、被写体の切り取り方です。写す範囲、移す方向、背景や脇役の利用など、フレーミングの良し悪しによって、写真の魅力がほぼ決まります。また、的確にフレーミングするためには、伝えたい内容(表現意図)を頭の中で整理することも重要です。表現意図とフレーミング、この2つが上手に出来たとき、実際の被写体よりも魅力的な印象の写真が得られます。

第1段階の作例:春の息吹

 春になると、色々な植物で新しい枝や葉が作られます。そうした植物を細かく観察したとき、植物の息吹を感じました。この作品は、そんな息吹を表そうと考えて写した1枚です。

春の息吹←クリックで拡大
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 マクロレンズを用い、息吹を感じさせる部分だけアップで捉えています。狙いが息吹ですから、上に向かって成長している雰囲気が大事です。周囲から1本だけ目立って育っている葉を探し、主役として用いました。周囲をぼかすとともに、ピンと立っている感じで切り取ることで、元気な雰囲気である息吹を演出しています。

 このように、被写体を見て感じた印象を実際の映像として仕上げるのが、第1段階の表現方法です。表現術が上手なほど、実際の被写体を見たときよりも強い印象に仕上げられます。

第2段階:自分が想像した印象を意識的に創り出す

 被写体を見て感じた内容とはまったく関係なく、頭の中で想像したイメージに仕上げるのが、第2段階の表現術です。ただし、世の中に存在する被写体を使って映像化するわけですが、まったく自由に創作できるわけではありません。

 実際には、次のように考えて作品を生み出します。被写体を見ているとき、何かがヒラメキます。あのレンズを用い、この範囲を切り取り、こういった感じで写したら、こんな感じの作品になるかな~などと頭の中で想像して。

 このようなヒラメキは、何かの被写体の見たときでなく、考え事をしているときに出てくることもあります。その場合は、想像した映像を生み出すために、どんな被写体なら可能なのか頭の中で逆算し、該当する被写体を探すことになります。

 どちらにしても、出来上がりの映像を想像することが大事になります。想像した映像は、基本的に何でも構いません。抽象的なイメージだったり、何かを模倣したり、自分が魅力的だと感じるものを想像します。

 この種の作品は、映像だけで伝えるのが困難な表現意図もあります。その場合、適切なタイトルと組み合わせて、できるだけ意図が伝わるように工夫することも大事です。

 撮影前に頭の中で想像するわけですから、本当に映像化できるとは限りません。ファインダーを覗いてみて無理だなと感じるときや、撮影結果を見て失敗だと感じることも多くあります。そうした経験を経て、想像の精度が高まるのも特徴の1つです。

第2段階の作例1:光の誕生

 写真はそのまま写るのが基本ですから、通常の撮り方では、頭の中で想像したとおり自由に映像化するのが困難です。一番の例外は、マクロ撮影でしょう。通常の撮影よりも大きくぼけますし、余計な要素を取り除きやすいからです。

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 この作品の被写体は、光を発しているわけではありません。中央部分が周囲より明るいため、周囲に露出を合わせることで、中央部分が光っているように見せています。また、柔らかい写りのレンズを用い、中央部分をぼかすことで、光を発している感じを強めています。さらに、中央から周囲へと葉が伸びているのも、光っている感じに役立っています。このように、複数の要素を組み合わせて、光が誕生する印象を生み出しました。

 映像だけでは表現意図が伝わりにくいので、タイトルの言葉で大きく手助けしています。タイトルを付けることで、何かの中から光が生まれている、少し不思議な感じを表現できました。

第2段階の作例2:窮屈なタワー

 マクロではない撮影では、映像を想像することが難しいでしょう。でも、考え方というか、視点を大きく変えることで、新しい映像を創り出すことは可能です。その1つが、異なる被写体を組み合わせる方法です。

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 この枯れた木が、タワーの周囲を取り囲んでいるわけではありません。そうではないことは、冷静に考えたら誰もが分かるでしょう。でも、このように組み合わせることで、タワーが窮屈な感じに見えてきます。写真が創り出す嘘の世界ですね。

 こうした映像を生み出すとき、この写った状態を目で見て作品を思い付くわけではありません。2つの被写体を別々に見て、組み合わせたら面白いとのヒラメキが生まれ、実際に写してみるわけです。

 もちろん、ヒラメキではなくて実際に目にして気付くこともあり得ます。でも、目にする確率が極めて低いので、実際の作品作りではヒラメキの方が圧倒的に多くなります。その意味で、目の前にある被写体の色々な組み合わせを、普段から想像する癖が大事でしょう。

第2段階の作例3:未来へ

 マクロではない例を、もう少し紹介しましょう。この作例は、光を利用した作品です。明暗差の大きな被写体で、明るい部分を思いっきり飛ばし、何も写っていない状態を作り出します。それを未来に割り当て、人物二人が進む先として見えるように演出しています。

 未来というのは、分かっていない未知の状態ですから、何も写っていない状態と一致します。また、明るい未来を夢見るとい意味で、真っ白く飛ばした状態とも一致します。この2点の意味で、白く飛ばした箇所を利用しました。

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 明るい未来を思い浮かべやすいように、写真全体の綺麗さや生き生き感も大事です。その点を強く意識し、人物の周囲に緑を選びました。演出の完成度を高めるなら、右側の暗い部分まで緑になる撮影地を選ぶべきです。仕事用の撮影なら撮影地を変えるべきでしょうが、これは趣味の作品作りですから、そこまで完璧を求めませんでした。

 この作品では、光の状態に加えて、レンズの欠点(収差やゴーストなど)も利用しています。撮影に用いたのはアンジェニューの50mm F1.5で、開放だと収差が強く、中心部から周囲へと流れます。この収差を利用して、白い部分へ向かっている様子を強調しました。

 以上のように、光の状態やレンズの欠点を利用しても、第2段階の表現が可能です。とくに大事なのは光の状態で、白く飛ばしたり、黒くつぶしたりしながら、狙う表現に近づけていきます。一番大事なのが“表現上の意味付け”で、それに合った状態へ仕上がるように注意深くフレーミングします。

第2段階の作例4:神が舞い降りた木

 光の状態とレンズの欠点を利用する場合、光の状態が中心となり、欠点の利用が補助となることがほとんどです。しかし、欠点の利用が中心となる作品も可能なので、1つの例を紹介します。

 この作品で利用しているのは、ズイコーデジタル7-14mm F4のワイド端で現れるゴーストです。光源を中心に配置すると生じます。写真全体にゴーストを入れることで、神が現れたという空想的な状態を表現しました。

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 作品に表現解説を付けてありますから、表現についての詳しい内容はそちらを参照してください。

第2段階の作例5:ヒマワリも暑がる夏

 写りの悪い古いレンズを開放で使うと、もやっとした独特の雰囲気に仕上げられます。このような写りのレンズも、それに適した雰囲気作りに用いることで、第2段階の作品に適した道具となります。

 この作品は「尋常ではない暑さ」を表現しようと試みたものです。暑さの象徴であるヒマワリすら、暑さにやられてグダッとしている様子に写せば、凄い暑さだと感じるのではないかと考えました。詳しい内容は、作品に付けた表現解説を参照してください。

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 この作品では、ヒマワリを人間のように扱っています。何かを人間と見立てて写す擬人化という手法です。擬人化を使えば、人間を写さずに、人間の感情などを表すことが“ある程度は”可能です。最近では、人権意識の高まりにより、知らない人を勝手に使うことが難しくなりました。こうした状況なので、擬人化が、表現の非常に有効な方法となるでしょう。

第2段階の作例6:ビルを見つめる球体

 擬人化の例が出たので、別な擬人化の例も紹介しましょう。擬人化する対象としては、動物や植物などの生き物の他に、生き物ではない物体も使えます。

 生き物の場合は、生き物だと認識できるためか、擬人化が比較的やりやすい傾向があります。それに比べて物体の擬人化は、もっと注意して用いなければなりません。一番気を付けなければならないのは、物体の形です。人間と思ってもらうためには、人間に似た形である必要があります。頭として擬人化するなら、球体に近い形が必要ですし、首に相当するつなぎ部分もあった方が良いでしょう。立方体でも可能ですけど、頭の形に少しでも近い方が、擬人として見えやすくなります。頭以外でも同様で、手と腕の擬人化なら、手や腕の形に似ていなければなりません。

窮屈なタワー←クリックで拡大
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 擬人化した写真を写すのは、擬人化が目的ではありません。擬人化を利用して、人間界の何かを表すことが目的です。その目的を明確にして表現意図に設定し、その意図に最適なフレーミングを見付けることがもっとも大切です。

 この作品では、都会での悩みや迷いといった感情だけでなく、何かの思い出まで含めた、様々なことを思い浮かべるような意図を狙ってみました。写真を観て想像する範囲が広い作品です。狙いの範囲が広いので、背景のビルを大きくぼかし、ビルだと何とか分かる程度にぼかしてあります(逆の写し方を採用すると、ビルが細かく見え、現実感が増して想像を邪魔してしまいます)。想像を促す作品では、現実感を少しでも減らすことが大事ですから。

第2段階の他の作例

 第2段階に該当する作品は、当サイトに数多くあります。それらも参考にしながら、第2段階の作品はどう撮ればよいのか、深く考えてみてください。当たり前ですけど、当サイトに掲載されている作品が、第2段階で実現できる範囲のすべてではありません。もっと幅広い表現が可能ですから、広く深く考えてみてください。

第1段階から第2段階へと進む

 写真表現を前述の2段階に分けるのは、作品の作り方が大きく異なるからです。第1段階では、被写体の特徴を映像化することが中心となり、想像する(創造も含む)要素はあまりありません。第2段階では、想像する要素が中心になって、新しいものを生み出す大きな意識が必要です。あえて比べると、第2段階の方が表現の要素が強いわけです。

 写真表現の腕を磨くためには、まず先に第1段階の表現を習得します。美しいとか迫力あるとか、正(正負の正:プラス)のイメージに属する印象を、意識して自由に作れるように勉強します。とくにフレーミングの上達が一番重要です。

 それがある程度まで習得できたら、第2段階の表現を少しずつ試みます。第1段階で習得したフレーミングの腕は、第2段階でも大いに役立つというか、より必要性が増します。ですから、フレーミングの腕を上げることこそ、第1段階で注力すべき点なのです。

 第2段階での表現を始めると、失敗も含めた様々な経験が蓄積されます。その蓄積が想像の精度を高めるとともに、表現の幅も広げます。表現の幅が広がるほど、写真表現の面白みも増します。写真表現の一番の面白さは、第2段階にあると言っても過言ではないでしょう。

それぞれの段階を短い言葉で表すと

 2つの段階の特徴を分かりやすく伝えられるようにと、それぞれの段階の意味を短い言葉で表してみました。次のような言葉が適していると思います。

・第1段階:見た感じで上手に撮る段階
・第2段階:自分なりに表現する段階

 かなり短い言葉で表しましたけど、2つの段階の特徴を的確に示しているのではないでしょうか。第1段階でも表現の要素はありますが、表現と呼ぶに相応しくなるのは第2段階です。その意味を、短い言葉で表してみました。

幅広い味のレンズの充実が不可欠

 第2段階で幅広い表現を試みようとすると、いろいろな味を持ったレンズが不可欠となります。良い写りのレンズだけでは不十分です。柔らかい感じで写すためには、描写の柔らかいレンズが必要なのです。表現の幅は、レンズの味の幅で決まってしまいます。様々な味のレンズを揃えることも、“幅広い表現”にとっては必須となります。

 どんな味のレンズがあればよいのでしょうか。開放で柔らかいレンズ、ぼけが凄く美しいレンズ、ぼけが汚いレンズ、ぼけが暴れるレンズ、周囲が流れるレンズ、開放で全体が乱れているレンズ、凄く寄れるレンズなど。柔らかいレンズでも、フレアーの出方、柔らかさの感じ、ぼける度合いが様々です。味の異なるレンズを多く持っているほど、表現の幅は広がります。

 実際にレンズを集めようとするとき、困った状況を知ることになります。雑誌や単行本での古いレンズの紹介を読んでみると、筐体の造りといった見た目、レンズの歴史、他のレンズとの関係など、実際の写りとは関係のない話題が多く書かれていて、肝心の写りの話は非常に短いのです。写りにまったく触れてない紹介もあるぐらいです。もっと悪いことに、掲載されている作例は、レンズの味を利用したものではなくて、そのレンズを使って単に写したものがほとんどです。これでは、レンズの味を詳しく調べるのにほとんど役立ちません。

 ただし、状況は少しずつ良くなっています。雑誌や単行本の傾向は変わってませんけど、いろいろなレンズで写した画像が、世界中のサイトにアップロードされています。レンズ名で検索すれば、レアなレンズでない限り、撮影した画像が何枚も見付かるでしょう。それを見れば、レンズの味が大まかに分かることがあります。必ずではないですけど。

 私がレンズを数多く集めているのは、表現の幅を広げるためです。レンズの写りにしか興味がないので、外見が悪くても安さを優先しています。外見が悪いと、描写も悪くなっていることがあります。でも実際には、悪い描写はめったになく、もし該当したら逆に貴重なぐらいです。変な写りをするレンズは、独特の味を持ったレンズとして表現に利用できますから。

(作成:2006年11月21日)
(更新:2007年2月28日:第2段階の作例を2つ追加)
(更新:2007年3月19日:第2段階の作例を2つ追加)
(更新:2007年5月8日:短い言葉とレンズ充実を追加)
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