八千矛神 やちほこのかみ 別名:大国主命・大穴牟遅(おおあなむじ)神ほか

出雲大社の祭神。多くの異称を持ち、様々な神格を併せ持つ、偉大な神。須佐之男命の子。母は古事記によれば刺国若比売(さしくにわかひめ)、日本書紀によれば奇稲田姫(くしなだひめ)
兄弟の八十(やそ)神が稲羽の八上比売を婚(よば)いに行った時、袋を負って従い、菟を助けて八上比売を得た。怒った八十神たちに謀殺されるが、神産巣(かむむすひ)の神の配慮で復活する。やがて須佐之男神のいる根の堅洲国に下り、異母姉妹の須勢理比売(すせりひめ)を妻とした。父神から様々な試練難題を課されるが、妻や鼠の助けでこれを乗り切り、父より「大国主の神」の称を得て地上に戻る。八十神を追い払い、少名毘古那(すくなびこな)の神と共に国土造りをおこなった。その後、天から派遣された建御雷(たけみかずち)の神の要請を容れ、国土を天照大神の子に譲ることを承服した。代りに出雲の国に大宮殿を建ててもらい、ここに鎮座した。
以下は、古事記に八千矛の神が詠んだと伝える歌二首である。

出雲大社       【広告】
出雲大社 島根県簸川(ひかわ)郡大社町

この八千矛の神、高志こしの国の沼河比売ぬなかはひめよばはむとして幸行でます時に、その沼河比売の家に到りて歌よみしたまひしく

八千矛やちほこの 神のみことは 八島国やしまくに 妻きかねて 遠々とほとほし 高志こしの国に さかを ありとかして くはし女を ありとこして さよばひに り立たし よばひに かよはせ 大刀たちも いまだかずて おすひをも いまだかね 嬢子をとめの すや板戸いたとを そぶらひ が立たせれば 引こづらひ 我が立たせれば 青山あをやまに ぬえは鳴きぬ さ野つとり きぎしとよむ 庭つとり かけは鳴く うれたくも 鳴くなる鳥か この鳥も 打ちやめこせね いしたふや 天馳使あまはせづかひ 事の 語りごとも こをば

【通釈】八千矛の神は、いくつもの島からなる国を、妻を求めて歩いたが、相手を得られず、遠い遠い越の国に、賢い女がいると、お耳に入れて、麗しい女がいると、お耳に入れて、求婚しようとお立ちになり、求婚しようとお通いになり、大刀の緒もまだ解かず、上着もまだ脱がずに、お嬢さんがお寝みの家の板戸を、押し揺さぶり、俺様がお立ちになっていると、引っ張ってみて、俺様がお立ちになっていると、青山では鵺が鳴いたよ。野の鳥、雉は鳴き叫ぶよ。庭の鳥、鶏は鳴くよ。いまいましくも鳴く鳥どもだよなあ、こんな鳥どもは打っ叩いて鳴き止めさせてくれろ。走り使いの者が伝え聞く、事の語り伝えは、かようでございます。

【語釈】◇ありと聞かして・ありと聞こして いるとお聞きになって。「聞かす」「聞こす」はいずれも「聞く」の尊敬語。◇鵺 トラツグミの異称。夜に美しい声で鳴く。◇いしたふや 「天馳使」の枕詞。◇天馳使 神話の伝誦者。海人部の出身者が担ったという。天空を飛んで走る使者の意とも。

【補記】古事記上巻。八千矛の神が越の国(今の北陸地方)の沼河比売に求婚しようと出かけ、その家に着いた時に詠んだという歌。結局沼河比売は明け方になるまで家に入れようとせず、二つの歌を詠んでその日は八千矛の神を帰したが、翌晩になって受け入れたという。最初は八千矛の神を三人称で詠み、途中から八千矛の神の一人称に変わっている。「我が立たれば」の「せ」は尊敬の助動詞。神や王者が自らの行為に敬語を用いる、いわゆる自敬表現である。

【主な派生歌】
月影のくまなき夜はも小倉山妻まきかねて牡鹿鳴くらん(橘千蔭)

またその神の大后おほきさき須勢理比売の命、いたく嫉妬うはなりねたみしたまひき。かれそのひこぢの神侘びて、出雲よりやまとの国に上りまさむとして、装束よそひし立たす時に、片御手かたみて御馬みまの鞍にかけ、片御足かたみあしはその御あぶみに踏み入れて、歌よみしたまひしく

ぬばたまの 黒き御衣みけしを まつぶさに 取りよそひ 沖つとり むな見る時 羽敲はたたぎも これはふさはず つ波 て そにどりの 青き御衣みけしを まつぶさに 取りよそひ 沖つとり むな見る時 羽敲はたたぎも こもふさはず つ波 に脱きて 山県やまがたに 蒔きしあたねき 染木そめきが汁に 染衣しめごろもを まつぶさに 取りよそひ 沖つとり むな見る時 羽敲はたたぎも よろし 愛子いとこやの いもみこと 群鳥むらとりの 我が群れなば 引けとりの 我が引けなば かじとは は言ふとも 山処やまとの 一本ひともとすすき 項傾うなかぶし が泣かさまく 朝雨あさあめの きりに立たむぞ 若草わかくさの つまみこと 事の 語りごとも こをば

【通釈】黒いお召し物を、すっかり身に装い、水鳥のように胸を見る時、羽ばたきのように両手をぱたぱたさせてみると、これは似合わない。波打つ磯辺に脱ぎ捨ててしまって、カワセミのような翡翠色のお召し物を、すっかり身に装い、水鳥のように胸を見る時、羽ばたきのように両手をぱたぱたさせてみると、これも似合わない。波打つ磯辺に脱ぎ捨ててしまって、山の畑に蒔いた茜草をついて、染料の木の汁で染めた服を、すっかり身に装い、水鳥のように胸を見る時、羽ばたきのように両手をぱたぱたさせてみると、これはぴったりだ。可愛い奥さんよ、鳥の群のように、従者をたくさん引き連れて俺が旅立っていったなら、鳥がさっと引いてゆくように、俺が去って行ったなら、泣くまいとお前は言うけれども、山に生えている一本の薄、そのようにうなだれて、お前が流すだろう涙が、朝の雨のように、霧になるだろうよ。若草のような奥さんよ。伝え聞く、事の語り伝えは、かようでございます。

【語釈】◇ぬばたまの 「黒」の枕詞。ぬばたま(檜扇)の種子は黒いことから。

【補記】古事記上巻。沼河比売に求婚したことで正妃の須勢理比売の嫉妬を買った八千矛の神が、出雲から倭に上ろうとし、旅支度を整え馬に乗る準備をした時に詠んだという歌。これに対し須勢理比売も歌を返している。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年04月12日