対馬娘子玉槻 つしまのおとめたまつき 生没年未詳

伝不詳。対馬国玉調(たまつき)郡出身の遊行女婦(うかれめ)か。天平八年(736)六月に出航した遣新羅使船が対馬の竹敷(たかしき)の浦に停泊した際、使人らをもてなす宴が催され、ここで歌を二首詠んでいる(万葉集巻十五)。

竹敷(たかしき)の浦に舶泊てし時、(おのもおのも)心緒(おもひ)を陳べて作る歌(二首)

もみち葉の散らふ山辺ゆ榜ぐ船のにほひに()でて出でて来にけり(万15-3704)

【通釈】黄葉の散り続ける山のほとりを通って漕いでゆく船――その色の美しさに心惹かれて出て参りました。

【語釈】◇竹敷の浦 対馬の浅茅(あそう)湾最奥部。古来要港があった。参考サイト「九州絶佳選 竹敷の浦」◇散らふ 繰り返し散る。「ふ」は動詞に付いて継続・反復の意をあらわす接尾語。◇山辺ゆ榜ぐ 山のほとりを通って榜いで行く。◇船のにほひ 丹塗りの船の色鮮やかさをいう。船体が紅葉と照り映えている情景。

 

竹敷の玉藻なびかし榜ぎ出なむ君が御舟をいつとか待たむ(万15-3705)

【通釈】竹敷の浦の美しい海藻を靡かせて漕ぎ出してゆくあなたの御船――そのお帰りをいつかと心待ちにしておりましょう。

【補記】左注に「右二首、対馬娘子、名玉槻」とある。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日