建内宿禰 たけしうちのすくね

武内宿禰とも書く。古事記によれば孝元天皇の孫。比古布都押之信命の子。母は山下影日売(木国造の祖、宇豆比古の妹)。巨勢・蘇我・平群・葛城氏などの祖とされる。景行・成務・仲哀・応神・仁徳の五朝に仕えたとされる臣。
景行天皇の時、北陸・東国を視察し、蝦夷の征討を進言。成務天皇が即位すると、大臣となる。仲哀天皇崩御の時、忍熊王らの反乱を鎮圧する。応神天皇の時、韓人池を造る。また謀反を讒言され、探湯(くかたち)により罪を晴らした。仁徳天皇が誕生した際には、自分の子供と同日の生れであったため、名を取り替えたという。
神功皇后に和したという歌が古事記・日本書紀に伝わる。以下は古事記からの引用である。

ここに建内宿禰の命、御子のために答へて歌ひして曰ひしく

この御酒みきを みけむ人は そのつづみ うすに立てて 歌ひつつ みけれかも 舞ひつつ みけれかも この御酒みきの 御酒みきの あやに うただのし ささ

こは酒楽さかくらの歌なり。

【通釈】このお酒を醸造した人は、その太鼓を、臼のそばに置いて、歌いながら醸造したからかねえ、舞いながら醸造したからかねえ、このお酒の、お酒の、妙なほど、愉快でたまらないや。さあさあ、お飲み下さい。

【補記】神功皇后が御子(のちの応神天皇)に御酒を献った際に詠んだ歌に対し、御子に代って建内宿禰が皇后に返した歌。日本書紀巻第九にほぼ同内容の歌が載る。


更新日:平成15年04月17日
最終更新日:平成21年04月16日