当麻麻呂妻 たぎまのまろがめ 生没年未詳

伝未詳。持統六年(692)三月、伊勢行幸に従駕した夫当麻麻呂を思いやった歌を万葉集に載せている。

伊勢国に(みゆき)したまひし時に、当麻麻呂(たぎまのまろの)大夫(まへつきみ)()の作る歌一首

我が背子はいづく行くらむ沖つ藻の名張の山を今日か越ゆらむ(万4-511)

【通釈】私の愛しい人はどこを旅しているのだろう。名張の山を今日あたり越えるのだろうか。

【語釈】◇沖つ藻の 「名張」の枕詞。藻が海中に隠(なば)る、から掛かるか。◇名張(なばり)の山 大和と伊賀の国境の山。「なばり」の原文は「隠」。今の三重県名張市あたり。

【補記】題詞の伊勢国行幸は、持統六年(692)三月。当麻麻呂は伝不詳。なお、この歌は万葉巻一・巻四に重出している。

【主な派生歌】
はしきやしわがせの君はいは国のあらき山路をけふかこゆらむ(本居宣長)
日は暮れぬ山も見わかずなりにけり別れし人はいづくゆくらむ(橘曙覧)


最終更新日:平成17年05月07日