後深草院少将内侍 ごふかくさのいんのしょうしょうないし 生没年未詳

正四位下左京権大夫藤原信実の娘。藻壁門院少将弁内侍の妹。正四位下侍従資光王(花山源氏)の妻となり、資邦王を産む。
姉と共に後深草天皇の皇太子時代から仕える。寛元三年(1245)九月の光明峰寺入道摂政家秋三十首歌、宝治元年(1247)の宝治歌合、同二年の宝治百首、建長二年(1250)八月十五夜鳥羽殿歌合、同三年九月十三夜影供歌合、同年閏九月の閑窓撰歌合などに出詠。
『弁内侍日記』にも多くの歌を残している。また連歌も能くし、『菟玖波集』に十五句入集。続後撰集初出。以下、勅撰集に四十五首入集。女房三十六歌仙

建長二年八月十五夜鳥羽殿歌合に、月前風

山の端をいでてさやけき月になほ光をそへて秋風ぞ吹く(続拾遺281)

【通釈】山の端を出て、夜空をさやかに照らす月――その光に一層明るさを付け加えるようにして、秋風が吹く。

【補記】藤原長方の「雲はらふたびに光ぞまさりける月をば風のみがくなりけり」(『長方集』)のように、秋風が雲を払い月を磨いて光を添えるという趣向は以前からあったが、掲出歌は、もともと雲に邪魔されない「さやけき月」に秋風が更に「光をそへ」るとした。

十首歌合に、忍久恋

おさふべき袖は昔に朽ちはてぬ我が黒髪よ涙もらすな(続後撰677)

【通釈】抑えとめるのに使うはずの袖は、とっくの昔に朽ち果ててしまった。我が黒髪よ、涙を洩らすな。

【補記】詞書の「十首歌合」とは、宝治元年(1247)九月、後嵯峨院が主催した歌合。八十九番右勝。藤原為家の判詞に勝の理由として「題の心ふかく面影あはれにいたはしくもみえ侍れば」とある。

【他出】宝治元年歌合(十首歌合)、閑窓撰歌合、口伝抄、女房三十六人歌合、題林愚抄

【参考歌】式子内親王「新古今集」
わが恋はしる人もなしせく床の涙もらすなつげのを枕

【主な派生歌】
しるといふ枕も人にかたらずは涙もらすな夜々の黒髪(正徹)

月前恋のこころを

恋せじと月にややがて誓はまし曇る涙のうきにつけても(続古今1137)

【通釈】月を眺めると、涙で曇って鬱陶しい。こうなったら、もう金輪際恋などしないとこのまま月に誓ってやろうかしら。

【補記】万代集恋四「八月十五夜に、月前恋を」。

光明峰寺入道前摂政家秋三十首歌に

秋風のよさむに吹けば忘れにし人も恋しくなるぞかなしき(玉葉1641)

【通釈】夜寒の季節となったことを知らせるように秋風が吹くと、私を忘れて去って行ってしまった人のことが思い出されて、そんな人でも恋しくなってしまうのが悲しい。

題しらず

契りあらばまたも結ばむ山の井のあかでわかれし影な忘れそ(続古今1352)

【通釈】もし宿縁があるのなら、また契りを結びましょう。山の清水の閼伽(あか)ではありませんが、飽かずに別れた私の面影を忘れないで下さい。

【補記】「結ばむ」「あか」「影」は「山の井」の縁語。

【本歌】紀貫之「古今集」
むすぶ手のしづくににごる山の井のあかでも人に別れぬるかな

新院いまだ御くらゐのとき、みやこどりの侍りけるを題にて人々に歌よむべきよしおほせられける時

吹く風ものどけき花の都鳥をさまれる世のことや問はまし(続古今1668)

【通釈】風ものどかに吹く花の都――その名にちなむ都鳥よ、おまえに話ができるなら、平和に治まっている御代の感想を尋ねたいものだ。

【補記】「新院」すなわち後深草院が皇位にあった時、都鳥を進上した者があり、それを題に歌を詠むよう命ぜられた時の作。『古今著問集』巻二十では違う話になっているが、少将内侍の作として語句を換えて載っている。

【本歌】在原業平「古今集」
名にしおはばいざ事とはむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと
【参考歌】後鳥羽院「後鳥羽院御集」「続古今集」
吹く風もをさまれる世のうれしきは花見る時ぞまづおぼえける


公開日:平成14年09月21日
最終更新日:平成21年09月03日