熊谷直好 くまがいなおよし 天明二〜文久二(1782-1862) 号:長春亭・軽舟亭・桃屋

天明二年二月八日、周防国岩国に生まれる。鎌倉武士熊谷直実の子孫を称する武家の出。父は直昌、母は山県忠左衛門の娘。初名は信賢。通称は助左衛門。
父と同じく岩国藩士として仕え、若くして物頭・究方などを勤める。和歌は幼少より才をあらわし、十六歳になる寛政九年(1797)、香川景樹に書簡を送り入門を許される。十九の歳には上洛し、以後たびたび直接の教えを受けた。門弟の筆頭として景樹より重んじられ、桂門の歌人としては木下幸文と並び称された。故郷でも名声あがり、岩国藩主の歌道師範となるが、藩内の紛議に関わって文政八年(1825)脱藩した。その後大坂に住んで歌道に専念する。文久二年八月八日、北浜の家にて死去。八十一歳。墓は天王寺区の西念寺にある。
家集は、自筆歌稿をもとに門弟が編集した『浦のしほ貝』(浦の汐貝・浦の塩貝とも)、及びこれに洩れた歌をやはり門弟が編集した『浦のしほ貝拾遺』の二つが主要なものである。歌学書には『古今集正義補注』などがある。

「私は『浦のしほ貝』の平凡なる歌の中に、天然と人間との相触れ相離れて存在してゐるさまを認めて、今も不思議に感ずる一人であることを断言して憚らない。天然と人間との交渉を歌つた歌の作者は随分ある。しかし『浦のしほ貝』の作者ほど自然に、無邪気に、あるがままの境に達したものはない。其師景樹も、其自由な天真流露した点に於ては一歩を譲らなければならない」(田山花袋「『浦のしほ貝』に見出したる『自然』」花袋全集第15巻)

『浦のしほ貝』(続歌学全書五・校註国歌大系十八・新編国歌大観九などに所収)、『浦のしほ貝拾遺』(続歌学全書十に所収)より二十八首を抜萃した。後者より採った歌の末尾には[拾]を付した。

  6首  4首  7首  2首  1首  8首 計28首

羈中聞鶯

うぐひすの鳴く声きけば故郷を出でにし春にまたなりにけり

【通釈】鶯の鳴く声を聞けば、故郷を出立した時と同じ春に再びなったのであった。

【補記】題の意は「旅の途中にあって鶯を聞く」。長い旅に出てちょうど一年が経った頃、鶯の声が望郷の念を誘う。題詠歌にも切々たる抒情が脈打つところに作者の風格が感じられる。

【参考歌】紀貫之「古今集」
ほととぎす今朝鳴く声におどろけば君に別れし時にぞありける
  小沢蘆庵「六帖詠草」
鶯の鳴く声きけばいそのかみふりし都の春ぞ恋しき

日枝の山なる音羽の滝の花を見て

咲く花も滝もましろにあらはれて暮れゆく山のおくぞ淋しき

【通釈】咲いている桜の花も、流れ落ちる滝も、真白なすがたで現れて、この奧山が暮れてゆくのは寂しいよ。

【語釈】◇日枝(ひえ)の山 比叡山。◇音羽の滝 音羽川の上流、修学院あたりにあった滝。三段の滝であったという。

【補記】同題二首のうち。一首目は「さく花にうぐひすなけどおく山の春はこのよの物としもなき」。

花下友

名も知らずところも聞かず逢ふや誰ことしも同じ花陰にして[拾]

【通釈】名も知らず、住む所も聞かないまま逢うのは誰か。今年も同じ花の陰にあって。

【補記】「花下友」「花下待友」「花下遇友」などは中世以後しばしば見られる歌題であるが、掲出歌はあたかも平生の感懐を詠んだように自然である。『浦のしほ貝拾遺』に見え、直好が詠み捨てにしていた歌。門弟が捜し拾いあげて、辛うじて伝存したのである。

菫菜

立ちかへり我が子()てこむ片岡の沢辺のすみれ今さかりなり[拾]

【通釈】家に引き返して我が子を連れて来よう。片岡の沢辺の菫が今盛りである。

【語釈】◇片岡 「半端な岡」の意。なだらかに続く丘陵地を意味する「岡」に対し、野中にぽつんとあるような小丘や、山へとつながる傾斜地などを「片岡」と言った。

【補記】これも旧来の和歌の題詠の常識を脱した、闊達な詠みぶりである。

【参考歌】大伴田村大嬢「万葉集」
茅花抜く浅茅が原のつほすみれ今盛りなり我が恋ふらくは

山家春雨

かねてわが思ひしよりもさびしきは入りぬる山の春雨の頃

【通釈】前以て予想していたよりも寂しく感じたのは、入り込んだ山に春雨が降る季節であった。

【補記】世を捨てて山の庵に住む人の立場で詠む。題詠歌でありながら作り物めいたわざとらしさがなく、この作者の特色が出ている。

【参考歌】房観「新拾遺集」
かねてわが思ひしよりも吉野山なほたちまさる花の白雲
  よみ人しらず「新後拾遺集」
かねてわが思ひしよりも山里はなれぬる後ぞさびしかりける

雨中款冬

をとめ子が手に折りもたる山吹の花もしとどに春雨ぞふる[拾]

山吹の花 鎌倉市二階堂にて
山吹の花

【通釈】少女が折り取って手に持っている山吹の花を、しとしとと濡らして春雨が降っている。

【語釈】◇しとど 「しとしと」の約。全体が水にひたされ、浸み入るように濡れたさま。

【補記】巧まないゆえの趣深さということを考えさせられる歌。あるいは、巧んだことを全くおもてに表さないゆえの…。

卯月のころ雨すこしふる日

風ふけば楓の若葉ひるがへりこころに物の思はるるころ

新緑の楓 鎌倉市二階堂にて
新緑の楓

【通釈】風が吹くと、楓の若葉がひるがえる――すると、心にも何かがふとひらめいて、物思いのされる頃である。

【語釈】◇卯月(うづき) 陰暦四月。初夏で、若葉の美しい季節。

【補記】上句の叙景は、下句の叙情の譬喩というわけではなく、原因というわけでもない。和歌の形式が自然に惹き起こす、景から心への飛躍である。

新樹風

椎の花みな山水に吹き入れてもとの青葉にかへす風かな[拾]

椎の花 鎌倉市二階堂にて
花をつけた椎の木

【通釈】椎の花をみな谷川の水に吹き入れて、椎の木をもとの青葉に戻す風であるよ。

【語釈】◇椎の花 椎は晩春から初夏にかけて香のつよい穂状の花をつけ、梢はクリーム色に覆われる。

【補記】淡黄色の花が散り過ぎたあと、青葉がひときわ美しく感じられる。椎の花を取り上げた和歌は前例を見ない。

夏虫

日ざかりに夏野をくればいくたびかおどろく蛇の草隠れゆく

【通釈】日盛りに夏野をやって来ると、幾たびか、人の気配に驚いた蛇が草に隠れてゆくのを見た。

【補記】「夏虫」は平安時代から見える歌題であるが、蛍・蛾などを詠むのが普通。

見池蓮

はるばると蓮の立葉(たちば)ぞさわぐなる風わたるらし大くらの池

【通釈】遥か遠くで蓮の立葉が騒いでいる。風が渡ってゆくらしい。巨椋の池は。

蓮の立ち葉 鶴岡八幡宮にて
蓮の立葉

【語釈】◇蓮(はす)の立葉 蓮は夏、水の上に高く茎を伸ばす。水面に浮いている「浮葉」に対し、これを「立葉」と言う。◇大くらの池 巨椋池(おぐらいけ)。宇治川の巨大な遊水池。山城国の歌枕。「巨椋の入江」は万葉集にも詠まれている。蓮の名所として知られた。昭和時代に干拓で消滅した。

【補記】巨椋池の広大さが髣髴とする。

南北雁

遥かにもなりぬと思へば初雁のまた峰越ゆる声ぞ聞ゆる[拾]

【通釈】遥かに遠ざかってしまったと思うと、初雁がまた峰を越えながら鳴く声が聞こえる。

【補記】北から南へ遠距離を渡る雁を詠むのが題の本意。

我が門の西の(つかさ)にのぼり立ち四方に晴れたる月を見るかな[拾]

【通釈】我が家の門の西の小高い所に登り立って、見渡す限り雲ひとつない空に輝く月を見るのだ。

【補記】「我が門の西の阜」という場所の指定が偶然的で、いかにも「巧まない」という自然さを一首にもたらしている。作者が実際に巧まなかったかどうかは判らない。いずれにせよ、趣向を凝らした旧派の題詠歌には無い味わいがある。

路頭月

影を追ひ影に追はれて往きかへる月の夜道は遥けくもなし

【通釈】往きは月影を追い、帰りは月影に追われて、月の照る夜道は遥かな距離も遠いと感じない。

【補記】師の景樹にも夜道の歌が多い。夜道を歩く時、人の感覚は鋭くなり、歌の感興も湧きやすいのである。

枕上虫

いろいろの虫の声聞きまどろめば千草の花ぞ夢に見えける[拾]

【通釈】さまざまな虫の声を聞くうち微睡んだので、秋の色々の草花が夢に見えたのだった。

【語釈】◇千草(ちぐさ)の花 秋の七草を初めとする、野に咲く様々な花。

【補記】『浦のしほ貝拾遺』は、正編に洩れた歌や、直好が読み捨てにしていた歌を門弟が集めて編集したもので、収録歌は作者が捨てて顧みなかった歌ということになるが、掲出歌のように味わいのある作が少なくない。因みに『浦のしほ貝』正編の序には直好の言葉として「歌は…折にふれ物につけて、心の動くままにいひいだされたるはかな言(ごと)なれば、殊更に書いとめなどせぬこそよけれ。とく忘れむもまた悪しからず」云々を伝えている。

田家秋興

植槻(うゑつき)や田中のもりの秋まつり初穂の()さけ我()ひにけり

【通釈】植槻の田中の杜の秋祭り、初穂で醸造した濃酒(こさけ)に俺は酔ってしまった。

【語釈】◇植槻 大和国生駒郡植槻。今の大和郡山市の内。おんだ祭で知られる植槻神社がある。この歌では「植槻や」で「田中のもり」の枕詞のように用いる。◇田中のもり 大和国の歌枕。「郡山の西南十町許を田中村と云、(今片桐村に属す)田中社あり」(大日本地名辞書)。◇濃さけ 一夜造りの濃厚な酒。

【補記】直好は田中社に縁があったものか、他にも幾つかこの社を歌に詠んでいる。「あらしふく田中のもりの夕がらす宿りかねてもさわぐ声する」(浦のしほ貝)、「みとしろの初穂の濃酒はやしぼれ田中の杜は色づきにけり」(浦のしほ貝拾遺)。

【参考歌】応神天皇「古事記」
須須許理が 醸みし御酒に われ酔ひにけり 事和酒咲酒 われ酔ひにけり
  神楽歌
殖槻や 田中の森や 森や てふかさの 浅茅が原に 我を置きて 二妻とるや とるや てふかさの 浅茅が原に

路薄

夕日さす浜辺の薄分け行けばやがて赤穂の里も見えけり[拾]

【通釈】夕日が射す浜辺の薄野を分けて行くと、やがて赤穂の里も見えたのだった。

【語釈】◇赤穂(あかほ) 播磨国赤穂郡。今の兵庫県赤穂市。塩の名産地。

【鑑賞】「平坦を極めてゐて、しかも味ひを持つてゐる。淡い味ではあるが、はつきりした味である。直好によつて創められた味ともいへる。この、淡くして、しかもはつきりした味は、物を全体として捉へてゐるところから来てゐる。もし反対に、部分的に捉へたなら、一種の趣味となり、厭味なものとならうと思はれるが、直好にはさうしたところがなく、多くのものが全体として捉へられてゐる。生得の歌人だと思はせられる点の一つはここにある」(窪田空穂『近世和歌研究』)。

菊花色々

白菊に黄菊をりそへ玉だれの小瓶(をがめ)に挿して見れどあかぬかも

【通釈】白菊に黄菊を折り添えて、小瓶に挿して見ると、一向に見飽きることがない。

【語釈】◇玉だれの 「小簾(をす)」など「を」を頭にもつ語の枕詞に用いられる。◇見れどあかぬかも 万葉集に頻出する結句。王朝和歌では殆ど用例がないが、江戸時代に万葉調歌人(田安宗武など)や国学者歌人(本居宣長など)が復活させた。桂園派の歌人が万葉調の句を用いるのは珍しい。

山居冬到

夜もすがら松のほた火を焼きあかし藁沓(わらぐつ)打たむ冬は来にけり

【通釈】一晩中松を囲炉裏にくべては、朝が明けるまで藁沓を打つ冬はやって来たのだ。

【語釈】◇ほた火 榾火。囲炉裏に薪をくべて燃やす火。◇藁沓 藁を編んで作る深沓。雪の積もった時に用いる。

【補記】山住いの庶民の暮らしの中に訪れる冬を、実感を籠めて詠んでいる。

夜落葉

夜もすがら木の葉かたよる音きけばしのびに風のかよふなりけり

【通釈】夜もすがら落葉が庭の片方へ寄って行く音が聞こえるので、ひっそりと風が通っているのだと分かる。

【補記】風は響かないが、落葉が夜を通して少しずつ吹き寄せられてゆくのが聞こえる。その幽かな音に耳を澄ましている。

【主な派生歌】
おともせでなびくを見れば桜花しのびにかよふ風もありけり(八田知紀)

ある所にて

わかれつる涙のひまに一め見し松原ごしのあけがたの波

【通釈】恋人と別れたあと流した涙――そのひまに一目見た、松原越しの明け方の波よ。

【補記】制作事情などは不明。「おそらく、たまたま海辺にいて素材を得たものなのであろう」(林達也『近世和歌の魅力』)。映画の一場面を思わせるような印象的な情景描出は、師の景樹の詠風をさらに推し進め、近代的な感じのするものになっている。しかし直好はこうした詠風に必ずしも積極的ではなかった。

小松

風のおと(なみ)のひびきにかよふまで早()ひのぼれ松よ小松よ[拾]

【通釈】風や波の音と交じり合って響くまで、はやく伸び育て、松よ、小さな松よ。

【補記】松籟を響かすまでに早く成長しろと、海辺の小松に呼びかけている。作者が自然に対して深く親愛の情を寄せていたことが感じられる。

【参考歌】紀貫之「後撰集」
大原や小塩の山の小松原はやこだかかれ千代の影みむ

ふる年の雪のしら魚さくらだひ春の境の海にてぞひく

【通釈】旧年に降った雪のように白い白魚、そして春に咲くであろう桜の名を持つ桜鯛――冬から春へ移り変わる境の海で、網を引いて獲るのである。

【語釈】◇ふる年 過ぎ去った年。旧年。「ふる」は「雪」の縁語。◇雪のしら魚 雪のように白い白魚。「しら魚」はシラウオ科の硬骨魚で、いわゆるシラスとは別種の魚である。◇さくらだひ 桜鯛。桜の咲く頃、産卵のため沿岸に近づき、漁獲されるのでこの名がある。鯛の中でも美味とされる。

【補記】春先の漁獲物である白魚と桜鯛を、冬の風物である雪と春の風物である桜にことよせ、冬と春の境い目の海で漁獲すると興じた。

ある夕べに

遅くとく皆わが宿に聞こゆなりところどころの入相の鐘

【通釈】遅く早く、少しずつ時間がずれて、どれもみな我が宿に聞こえて来るのだ。あちらこちらの寺の入相の鐘が。

【補記】同時に鳴らすはずの晩鐘であるが、距離の遠近によって遅速が生ずる。音響の高低にも違いはあるだろう。そんな「ところどころ」の鐘の響きに耳を澄ませる、山の暮らしの趣深さ。

旅行友

古郷はひとりひとりに別れ来て旅こそ友は親しかりけれ[拾]

【通釈】各自べつべつに故郷を別れて来て、こうして出逢い、同道する――そんな旅だからこそ、友は親しいのである。

【補記】旅中に知り合った友の情けも、古人にとっては趣深い旅情の一つであった。同題の歌に「東路のうまやうまやに相宿り親しくなりぬ知るも知らぬも」。

【参考歌】中院通村「後十輪院内府集」
たれとなく草の枕をかりそめに行きあふ人も旅は親しき

羈中望

古郷の山のすがたの山見ればたちかへりたるここちこそすれ

【通釈】旅先で故郷の山の姿と同じ山を見ると、昔に戻ったような気持がするのだ。

【補記】「たちかへりたるここち」とは、故郷に帰ったような気持であり、故郷に過ごした昔に戻ったような気持でもあるのだろう。

山家橋

うき世にはかくる心はなけれどもわが山河に橋なくはあらず

【通釈】浮世に心残りはないけれども、私の住む山の川には、橋が無いわけではない。

【補記】捨てたはずの世。思い残すことはないが、山川に架かる橋は、浮世との間に残された唯一の絆であり、やはり心の拠り所である。「山家橋」は平安末期以後に見える、比較的珍しい題。題詠ながら、微妙な心境を詠んで切実さがある。第二句を「かへる心は」とする本もある。

をりをり思ひつづけたる

里の子が沢に鴫罠(しぎわな)はりしより心にかかり夜こそ寝られね[拾]

【通釈】里の子供が沢に鴫罠を張ってからというもの、鴫のことが心配で夜も寝られない。

【語釈】◇鴫罠 鴫を捕るための仕掛け。古事記歌謡に「宇陀の 高城に 鴫罠張る」とあり、古来行われていたらしい。なお「心にかかり」の「かかり」は罠の縁語。

おのづからおのが心を見る夢をはかなきものと何思ひけむ[拾]

【通釈】自然と自分の心をあらわす夢を、どうして虚しいつまらないものと思っていたのだろうか。

【補記】人はしばしば、見た夢によって、自分では気づかなかった自分の心を知るものであろう。


公開日:平成19年11月11日
最終更新日:平成21年09月16日